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ヒストリー

ヒロシマの記録1992 1月


1992/1/1
ブトロス・ガリ前エジプト副首相が第6代国連事務総長に就任
1992/1/1
北朝鮮の金日成主席が新年の辞で「公正さが保障される条件下なら核査察を受け入れる用意」と言明-。朝鮮中央通信が伝える
1992/1/1
作家の大江健三郎氏が中国新聞に「ヒロシマからの新しい光」と題する評論を掲載。冷戦後の世界でも「広島の意味は深まりこそすれ、軽くなることはない」
1992/1/3
米エネルギー省が「4年ぶりに再稼働した南カロライナ州サバンナリバーの核兵器用核物質製造工場を放射能漏れで再び運転中止」と発表。トリチウムを含む冷却水570リットルが川に流出、一時、基準値の10倍を検出
1992/1/5
イラクがアルジェリアにウランを密輸し、原子力技術者を送り込んで、イスラム世界初の原爆製造計画を進めている-。英紙サンデー・タイムズが報道
1992/1/6
冷戦終結後の米戦略核戦力の在り方を検討していた諮問委員会が、米戦略核弾頭の半減などを提言する画期的な報告書-。米紙ワシントン・ポストが報道
1992/1/6
訪韓中のブッシュ米大統領と盧泰愚韓国大統領が共同会見。ブ大統領は「北朝鮮が国際原子力機関(IAEA)の核査察を受け入れ、南北間で合意した相互核査察に応じれば米韓合同軍事演習を中止」と言明
1992/1/7
韓国国防省が「今春の米韓合同軍事演習を中止」と発表
1992/1/7
1991年、広島、長崎への原爆投下を正当化する発言をしたブッシュ米大統領の来日に合わせ、原爆慰霊碑前で被爆者ら約180人が抗議の座り込み。被爆者への謝罪を求める電報を大統領に送付
1992/1/7
北朝鮮のチョン・インチャン駐ウィーン国連代表部大使が「国際原子力機関(IAEA)との核査察に関する保障措置協定を1月末に調印、速やかに批准」と表明
1992/1/8
中国電力の松谷健一郎会長らが年頭記者会見で、山口県熊毛郡上関町に立地を計画している原子力発電所の建設促進に最大限の努力を払う意向を表明
1992/1/10
社会党訪問団が中国入りし、田辺誠委員長が朱良・中央対外連絡部長と会談。朱部長は「常務委員会が核拡散防止条約(NPT)を3カ月後に調印する決定をした」とNPT加盟問題の国内手続き終了を再確認
1992/1/11
1960年に設立された原爆被爆者別府温泉療養研究所が「設立30周年記念誌」を発行
1992/1/12
中東和平会議パレスチナ代表顧問団のファイサル・フセイニ団長とアフマド・ヤーズジィ顧問が広島を訪問。原爆資料館を見学、原爆慰霊碑に参拝
1992/1/13
パキスタン訪問中のプレスラー米上院議員が「米政府はパキスタンが核爆弾を既に開発済みと確信」と述べ、核解体、除去を促す
1992/1/13
キューバ危機(1962年)の際、ソ連が中距離核ミサイルのほかに、局地戦に備えてひそかに戦術核も持ち込んでいたことが明るみに。旧ソ連のグリブコフ将軍が関係3国による「キューバ危機関係者会議」で明かす
1992/1/13
韓国の鄭元植首相が、1991年12月末に北朝鮮との間で仮署名した「朝鮮半島の非核化に関する共同宣言」に正式署名
1992/1/14
被爆者医療研修のため広島を訪問する米人医師2人が決まる。カリフォルニア大ロサンゼルス校医学部助教授のディーン・ノーマン医師と内科医のジェフリー・シモヤマ医師。ロス郡医師会が在米被爆者を代弁して1990年末に広島市に要請、放医協が招待
1992/1/14
元広島市医師会副会長の於保(おほ)源作氏が死去。88歳。内科医として戦後の被爆者診療に努め、被爆者のがん死亡率が高いことを統計的に調査、実証。被爆者治療の基礎を築く
1992/1/15
旧ソ連のベラルーシ最高会議がチェルノブイリ原子力発電所事故の復旧費用ねん出のため「チェルノブイリ税」新設を決める。各企業が賃金財源の18%を納付
1992/1/16
府中市の「ジュノーの会」(甲斐等代表)が、旧ソ連チェルノブイリ原発事故の放射能汚染に苦しむウクライナに派遣する専門家一行3人が広島を出発。広島大医学部の上田一博教授、武市宣雄講師ら
1992/1/16
核戦争防止国際医師会議(IPPNW)のバーナード・ラウン会長(米)らが執行委員会で、米や旧ソ連の科学者を中心に核兵器の廃棄技術を共同研究する「第2マンハッタン計画」を提唱
1992/1/17
北朝鮮の許鍾国連次席大使が米CNNテレビと会見、日本のプルトニウム生産計画を批判。「日本は核兵器開発の疑惑を取り除く措置を取らねばならない」
1992/1/18
ハード外相が英外相として初めてカザフ共和国を訪問、ナザルバエフ大統領と会談。旧ソ連核兵器の削減、撤去や核拡散防止など核管理問題を協議
1992/1/18
米ペンシルベニア州バーウィックのサスケハナ原子力発電所で小規模の爆発事故が発生。作業員1人が放射能チリで汚染。大気中への放射能漏れはなし
1992/1/18
広島県原水協の新理事長に市岡正憲副理事長が昇格。1991年9月に死去した佐久間澄理事長の後任
1992/1/19
リビアが高給で旧ソ連の原子力専門家を引き抜き-。英日曜紙サンデー・エクスプレスが報じる
1992/1/20
広島県原水禁が総会。組織、財政面で支えてきた総評センター解散予定や連合との路線の違いが明確になる中で「新たな組織、財政基盤づくりを通じ原水禁運動の全国拠点化を目指す」ことを決定 1992/1/20
日本原子力研究所が原子力船「むつ」の解役計画を青森県、むつ市、同県漁連に提示。3分割して原子炉室を撤去し、世界最大の海洋観測船として再利用
1992/1/20
核戦争防止国際医師会議(IPPNW)が、核兵器を保有する旧ソ連4カ国の議員を対象に21日から非核キャンペーンを開始と発表。核実験の全面禁止、戦術・戦略核兵器の全廃、4共和国の非核地帯化など訴え
1992/1/20
広島市が原爆資料館の館内案内テープ貸し出しサービスを再開。1990年4月の改装工事以降、中断。アジアの言語5カ国を増やし15カ国語に
1992/1/20
旧ソ連のカザフ共和国が米ソ戦略兵器削減条約(START)に違反し、1991年12月20日に大陸間弾道ミサイルSS19発射実験を行い、データを暗号化。米著名コラムニストのローランド・エバンズ、ロバート・ノバク両氏が米紙ワシントン・ポスト(20日付)で非難。ロシア紙イズベスチヤも発射を確認
1992/1/21
1992年のジュネーブ軍縮会議が国連欧州本部で開幕。焦点の化学兵器禁止条約の条文作りや核実験禁止、ソ連崩壊後の軍縮会議の構成問題など協議開始
1992/1/21
日本原子力研究所が原子力実験船「むつ」の最後の実験を青森県むつ市の関根浜で開始。26日終了。2月14日、すべての実験終了を宣言。1963年の基本計画の決定以来、29年の歳月と1,000億円を超す国費を投じた日本初の原子力船研究開発プロジェクトに終止符
1992/1/21
米ロサンゼルスのルーズベルト高校生4人が広島を訪問。原爆慰霊碑に参拝、原爆資料館を見学
1992/1/21
米で「原爆の子の像」姉妹像建設運動を進めるニューメキシコ州アルバカーキ市の建築家バージニア・カップファーマンさんが広島を訪問。原爆資料館を見学
1992/1/21
韓国と北朝鮮が両国首相の連名署名の「朝鮮半島の非核化に関する共同宣言」文書を交換。2月19日から開かれる第6回南北首相会談(平壌)で発効へ
1992/1/22
米と北朝鮮の高官による初会談がニューヨークの米国連代表部で開始。核問題など協議
1992/1/22
長崎原爆被災者協議会(山口仙二会長)が、長崎市の平和公園内で確認された旧長崎刑務所浦上刑務支所の収容棟の基礎部分を被爆遺構として現地保存するよう同市に要望
1992/1/22
山口県友愛会議(渡辺宏毅議長)が同県原爆被爆者福祉会館ゆだ苑に40万6,307円を寄付
1992/1/22
青森県六ケ所村で核燃料サイクル事業を始める日本原燃サービスと日本原燃産業が対等合併に調印
1992/1/22
原爆で倒壊、焼失した広島城二の丸表御門と御門橋の復元、改修工事が終わる
1992/1/22
米国防情報局のクラッパー局長が米上院軍事委員会公聴会で冷戦後の軍事情勢について証言。「北朝鮮が2、3年後に核兵器を保有すると判断」と言明。「イラクも数年後、遅くとも今世紀末までに運搬可能な核兵器を所有すると考える」
1992/1/23
ロシア政治週刊誌ノーボエ・ブレーミャ(23日発売)が「独立国家共同体(CIS)の戦略核の使用抑止機能が不十分で、核を一元管理するロシア大統領の意思に反して偶発的に核ミサイルが発射される恐れ」と論評
1992/1/24
旧ソ連ウクライナのクラフチュク大統領が訪問中の仏外相と会談。「ウクライナの戦術核は既に35%が撤去」と言明
1992/1/24
「中国地方反原発反火電等住民運動市民運動連絡会議」が、岡山県苫田郡上斎原村の人形峠事業所で動力炉・核燃料開発事業団が計画する回収ウラン転換実用化試験に関し、中国電力に動燃との試験契約内容の公開などを求める。中電は「動燃の計画する回収ウラン360トンの処理のうち中電分は1割」と説明
1992/1/24
全日空のスチュワーデスが広島赤十字・原爆病院の入院患者に沖縄の桜の花を贈る。全日空の広島空港就航30周年記念
1992/1/24
米平和運動家でオハイオ大名誉教授チャールズ・オーバビー氏が広島を訪問。29日、広島大平和科学研究所で地元の学者らと意見交換。「戦争放棄を定めた日本の憲法九条を米憲法に取り入れるべく、上下両院議員に働きかけるキャンペーンを始めた」と語る
1992/1/24
米ブッシュ政権が旧ソ連核科学者の流出防止のため、約2,000人の雇用を保障する特別措置の検討を開始-。米紙ロサンゼルス・タイムズ(24日付)が報道
1992/1/25
原爆で校区が壊滅した広島市の中島小学校の1936年卒業生57人が初の同窓会を中区の万象園で開催。2月2日には49年卒業生が43年ぶり初同窓会
1992/1/25
平和公園で見つかった旧浦上刑務支所遺構の平和会館前広場への移設始まる(長崎新聞1・26、1・27)
1992/1/25
ロシアのエリツィン大統領が米ABCテレビで「米の全都市を核ミサイルの標的から外す」と語る
1992/1/26
広島市中区にオープンした新天地プラザビル玄関前で新天地地蔵尊の開眼式。同ビル社長の住田一也さんが被爆死した弟妹や多くの子供たちのため建立
1992/1/26
広島県原水協前理事長の故佐久間澄氏をしのぶ会が広島市の広島国際会議場で開かれる
1992/1/27
ロシア共和国南ウラル地方で起きた放射能汚染事故の健康影響を調査している同国生物物理研究所のメルキール・サウーロフ主任研究員ら5人が放影研や広島大原医研を訪問、研究方法などで意見交換
1992/1/27
「ネバダ・デー」の国際共同行動として、原爆慰霊碑前で被爆者ら約130人が座り込み。核実験禁止や核兵器廃絶を訴える
1992/1/27
原爆遺跡保存運動懇談会(座長、後藤陽一広島大名誉教授)が広島市内で被爆建物の保存を求める街頭署名を実施
1992/1/27
ウクライナの核物理学者チェルノセンコ氏がドイツ誌シュピーゲル(27日発売)で語る。「ソ連チェルノブイリ原発事故で、防護策がないまま事故処理作業に従事した約100万人が生命の危機にさらされている」
1992/1/28
ブッシュ米大統領が一般教書演説で戦略核の新たな削減を軸にした軍縮計画を明かす。小型大陸間弾道ミサイル開発計画の中止、潜水艦発射弾道ミサイルの弾頭生産中止など。29日にはエリツィン・ロシア大統領も核軍縮計画を発表。米ソ戦略兵器削減条約(START)の3年以内の実現や大陸間弾道弾の発射サイロ130基廃棄など
1992/1/28
広島市が1995年の被爆50周年関連事業に関し実務者会議の初会合を開き、検討に着手
1992/1/29
平岡広島市長がブッシュ米大統領の新軍縮方針についてコメントを発表。「核軍縮の着実な進展を示すもので歓迎する。米、ロシア両国は2月の首脳会談で核軍縮の取り組みを一層加速させるよう強く望む」。宮沢首相も30日、エリツィン・ロシア大統領の核軍縮提案を評価
1992/1/29
エリツィン・ロシア大統領が米ABCテレビのインタビュー収録で、ロシアの核兵器専門技術者の給与を5倍にして国外流出を防ぐ方針を明らかにする
1992/1/29
米エネルギー省が、コロラド州ロッキーフラッツのプルトニウム生産工場の操業再開計画を放棄すると発表。米の新たな核弾頭製造は中止に
1992/1/30
北朝鮮が国際原子力機関(IAEA)との核査察協定に調印
1992/1/30
連合の山岸章会長が広島で記者会見。「平和運動の統一のため、2年後に原水禁、核禁会議を一本化した世界大会を開きたい」
1992/1/30
ラオスのヌーハック・プームサワン最高人民議会議長ら視察団7人が広島を訪問。原爆資料館を見学、原爆慰霊碑に参拝
1992/1/30
リトアニアのイグナリナ原子力発電所の技術職員がコンピューターウイルスを原発システムに侵入させ、原子炉を損傷しようとして逮捕
1992/1/31
冷戦後の世界の安全保障と国連の役割を討議する史上初の国連安全保障理事国首脳会議(安保理サミット)が国連本部で開会。国連の集団安保体制と平和維持機能の強化、軍備管理促進と核拡散防止などを盛り込んだサミット宣言を採択
1992/1/31
安保理サミットでロシアの元首として初めてエリツィン大統領が演説。「米を同盟国」と明言、協調姿勢を鮮明にする。独立国家共同体(CIS)の核管理問題については「統一戦略軍の一元管理下に置くことで加盟国は一致」と述べる
1992/1/31
エリツィン・ロシア大統領が会見で、核兵器廃棄を進める独立国家共同体(CIS)に対し米、英、日本が費用援助を表明したと明かす
1992/1/31
国際シンポジウム「アジア・太平洋の平和・軍縮・共生のために」が東京のJICA国際会議場で開会。超党派国会議員らで作る実行委員会主催。冷戦後のアジア太平洋地域の平和の枠組みを論議。2月1日まで
1992/1/-- 
広島赤十字・原爆病院が、取り壊し予定の被爆建物の本館の部分保存策について検討始める。爆風でゆがんだ鉄製窓枠や外壁タイルを中心に保存の可能性探る
1992/1/-- 
被爆の語り部活動をしている山口市楠町、野村智子さんが山口県原爆被爆者福祉会館ゆだ苑の被爆資料館に注射器3本を寄贈。義父で獣医野村源一郎さんが広島で被爆者治療に当たった際に所持

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