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ヒストリー

ヒロシマの記録1992 4月


1992/4/1
広島赤十字・原爆病院院長の弘中哲也氏が勇退し、後任に副院長の冨重守氏が昇格。弘中院長は在職17年、韓国、米などに医師を派遣し被爆者治療に力を入れ、病院の近代化はかる
1992/4/1
広島平和文化センターの新理事長に前中国新聞社論説委員会主幹の大牟田稔氏
1992/4/3
政府が日本原燃サービスの高レベル放射性廃棄物貯蔵施設(青森県六ケ所村)の事業を認可
1992/4/3
広島市の平和記念公園の「平和の池」周辺に御影石を敷き詰める工事が完工
1992/4/3
北極海ノバヤゼムリャの旧ソ連核実験場付近で、長期にわたる核実験や核廃棄物、毒性化学物質の海洋投棄でアザラシ数千頭が死んでいることが判明
1992/4/3
日、米、ロなど27カ国参加の第2回原子力供給国会議が、核兵器開発関連機材65品目の輸出を規制する制度創設で合意
1992/4/4
日本被団協が東京で、原爆問題を総合的に検討する第3回被爆者問題研究会。医療、物理、歴史、法律など50人が出席
1992/4/6
旧浦上刑務支所遺構の移設準備始まる。市民団体は「破壊そのもの」と反発(長崎新聞4・7、4・8、4・12、4・15、4・17、4・18、4・22、4・29)
1992/4/7
府中市の「ジュノーの会」(甲斐等代表)の招きでチェルノブイリ原発事故で被災した子供ら5人と医師4人が受診などのため広島入り。同会の招待は2回目
1992/4/8
日本被団協が継続審議になっている被爆者援護法案の早期審議入りを求め中央要請行動
1992/4/8
マーシャル諸島で核実験被曝者への補償金裁定に当たる「核賠償請求裁定委員会」の2人が広島市役所で被爆者援護行政を調査。1985年、米が向こう15年間で支払う1億5,000万ドルの運用益で補償している病例リストの見直しが主目的
1992/4/8
仏のベレゴボワ新首相が、ミッテラン大統領の指示で南太平洋での核実験を1992年末まで停止と表明
1992/4/11
広島を拠点に核・軍事問題などに取り組む民間研究所「平和と人権ヒロシマセンター」が発足。専任スタッフに日系三世ケビン・ウチダさんと中国系フィリピン人リサ・ゴーさん夫妻が就任
1992/4/11
長崎県被爆者手帳友の会(深堀勝一会長)の創立25周年記念祝賀会が長崎市内で開く(長崎新聞4・3、4・12)
1992/4/11
核戦争防止国際医師会議(IPPNW)の代表団(5カ国10人)の一員として旧ソ連首脳に核兵器廃絶を訴えた同会議日本支部の碓井静照医師が帰国。ロシアのブルブリス第1副首相のほか、ベラルーシ、ウクライナ、カザフスタンの各最高会議議長らに面会
1992/4/13
広島で被爆し、韓国原爆被害者協会湖南支部を1991年に設立した崔英鐸さんが、広島市役所で被爆者健康手帳の交付申請
1992/4/14
原爆資料館に展示していた被爆直後の広島市街地のパノラマ(2代目)を市立本川小の「本川平和資料館」に移設。3代目が完成したため
1992/4/14
国際原子力機関(IAEA)のイラク査察団が「イラク核関連施設の大部分を破壊」と発表
1992/4/15
放医協が理事会。1991年度に旧ソ連や米、ブラジル、中国から54人の放射線医学の研修医を受け入れ、92年度は60人余を予定
1992/4/16
広島県原水禁の招待でロシアの医師ら6人が広島入り、放医協で研修へ。ロシア南ウラル・チェリャビンスク核惨事について「住民50万人が被曝し、うち1,000人が慢性障害に悩まされている」と語る
1992/4/16
エリツィン・ロシア大統領とクラフチュク・ウクライナ大統領が、ウクライナ領内の戦術核兵器のロシア移送と、ロシアでの廃棄過程の管理に関する協定、覚書に署名。タス通信が伝える
1992/4/17
ゴルバチョフ元ソ連大統領夫妻が広島入りし、原爆慰霊碑に献花し原爆資料館を見学。「ヒロシマは永遠に人類への警鐘。私は広島からの呼びかけにこたえ、それを意識して政策を進めてきた」。午後から広島テレビが主催し市民集会。基調演説「広島は美しい生命力にあふれた町であると同時に、原爆の廃虚からよみがえった象徴としての都市である。この町に来ると、政治と道義が分裂することがいかに恐ろしいかを意識する。…最も重要なことは、人間が連帯すること」
1992/4/18
核戦争防止国際医師会議(IPPNW)日本支部と府中市の「ジュノーの会」が主催し、広島市で旧ソ連の核状況やチェルノブイリ原発事故を考える講演会
1992/4/18
広島市の平和記念公園で「長崎平和公園の被爆遺構を保存する会」が長崎市の旧浦上刑務支所跡保存の支援訴え
1992/4/20
「長崎平和宣言」の起草委員、岩松繁俊長崎大経済学部教授が「本島等長崎市長の旧浦上刑務支所遺構の保存と取り扱いに疑問」と委員辞任を表明(長崎新聞4・21、4・12、5・15、5・31)
1992/4/20
広島平和記念館の建て替え工事始まる
1992/4/21
野党6会派が参院に1990年5月、共同提案していた原爆被爆者等援護法案が厚生委員会で可決。24日、参院本会議でも可決。参院での可決は89年12月に続き2度目。日本被団協が衆院可決を要請する声明
1992/4/21
広島市の被爆建物等継承方策検討委員会(委員長、庄野直美広島女学院大名誉教授)が会合。「市内の被爆建物29件(爆心から5キロ以内、木造を除く)のうち8件が改築を検討し、取り壊しの可能性も」と報告
1992/4/21
「HIROSHIMA87―97コンサート」を開いている歌手の南こうせつさんらが、1991年の収益175万円を広島市に寄付。5回目で総額は1億8,000万円に
1992/4/22
ウクライナ共和国のゴトフチツ・チェルノブイリ事故後遺症担当相が、事故によるウクライナでの死者は6,000~8,000人と語る-。タス通信が報道
1992/4/23
ジョックス仏国防相が東京で、仏核実験について「他の核大国に軍縮を求め、年末までの状況をみて来年以降判断」と表明
1992/4/23
「ロシアが今後2、3年間、年間2~4回のペースで核実験することで米と合意」との報告書を核戦争防止国際医師会議(IPPNW)が発表
1992/4/24
原爆資料館の1991年度入館者は1955年の開館以来最高の159万3,280人。東北地方からの修学旅行生が増える。外国人も7万4,000人で過去5年間で最高
1992/4/25
広島市の市民団体「第九条の会ヒロシマ」が、8月6日付の新聞に意見広告を出すため募金開始
1992/4/30
米がネバダで地下核実験。エネルギー省が発表
1992/4/-- 
広島市教委が被爆アオギリ二世を広島市内の全小学校130校に植樹へ
1992/4/-- 
大阪の音訳ボランティアグループが長崎被爆者の手記「あすへの遺産」(長崎原爆被災者協議会刊)を、劇団民芸の俳優南風洋子さんらの協力で録音
1992/4/-- 
広島詩壇の最長老米田栄作さんが20年ぶりに詩集「デルタ曼荼羅素吟」を刊行
1992/4/-- 
「カザフ共和国セミパラチンスク核実験場の被害は、白内障が多発するなどロシアのシベリア側にも波及」-。日本原水協訪問団が証言を得る

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