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ヒストリー

ヒロシマの記録1992 5月


1992/5/1
広島国際文化財団(山本朗理事長)が中国新聞社からの1億円寄付を基に「アジア平和交流基金」を創設。「アキバ・プロジェクト」に代えアジアの記者を広島、長崎に招く「アジア記者招請プロジェクト」を実施へ
1992/5/1
平岡広島市長が米核実験に抗議文
1992/5/2
広島茶業協同組合の大渕淳理事長らが広島赤十字・原爆病院患者に新茶プレゼント。毎年贈り30回目
1992/5/3
横浜市で開いた太平洋民衆フォーラムの梅林宏道実行委員会代表が「米原子力艦艇の事故基準は極端に甘く、日本への事故通報義務も骨抜き」と声明
1992/5/3
広島原水禁の森滝市郎代表委員らが4月30日の米核実験に抗議し、原爆慰霊碑前で座り込み
1992/5/6
日本原燃サービスが青森県六ケ所村の核燃料サイクル基地に、高レベル放射性廃棄物貯蔵施設の建設始める
1992/5/6
旧ソ連独立国家共同体(CIS)軍のゼレンツォフ総局次長が、「ウクライナからロシアへの戦術核移送が5日夜、完了」と発表。7日、訪米中のクラフチュク・ウクライナ大統領も確認
1992/5/6
米カーネギー国際平和財団調査団のセリグ・ハリソン氏が「北朝鮮当局者の1人が核施設のある寧辺で実験用の少量のプルトニウムを製造したことを確認」と明かす。7日、北朝鮮は否定
1992/5/7
戦時中、広島県加計町の日本発送電安野水力発電所建設現場に強制連行され、騒乱事件で広島市に留置中、被爆したと思われる元中国人労働者が生存。訪中した同市の保母牛尾美保子さんらが面会調査で確認
1992/5/9
日本原水協の「1992年原水爆禁止国民平和大行進」が東京・夢の島から広島へ出発
1992/5/10
広島市の平和記念公園で日本青年学生平和友好祭実行委員会の「反核平和の火リレー」採火式。27都道府県から180人の若者が参加。11回目
1992/5/11
広島市の「原爆の子の像」の折りづる約5,000羽が不審火で焼失
1992/5/11
広島出身の作家梶山季之氏が亡くなって17年の命日、広島に「梶山季之基金」(2,000万円)を設立。原爆、移民、朝鮮などをテーマに文芸・論文誌発刊へ
1992/5/12
被爆者援護法の制定を求め日本被団協が中央行動。約30人が参加。14日、首相官邸を訪ね宮沢首相に陳情。現職首相への直接要請は10年ぶり
1992/5/12
1976年にロシア・サハリン沖のオホーツク海で、2個の核爆弾を搭載した旧ソ連の戦略爆撃機が墜落、日本の自衛隊がキャッチし米軍が核爆弾を回収した可能性-。ロシア紙イズベスチヤがロシア海軍少将の証言として伝える。5月25日、ロシア国防省は否定
1992/5/13
広島県被団協(市岡正憲理事長代行)が、国連軍縮広島会議の主要テーマを「核兵器廃絶」とするよう国連本部に要請書送付
1992/5/14
日朝国交正常化交渉で、北朝鮮の李三魯首席代表が同国の寧辺実験施設で研究用の微量プルトニウムの抽出を確認
1992/5/15
島根県、八束郡鹿島町、中国電力が、核物質輸送日時や経路を非公開にすることで合意し「原発安全協定の運用に関する申し合わせ事項」を改定
1992/5/16
被爆者有志が呼びかけ広島市で国連平和維持活動(PKO)協力法案について意見交換する「広島ヒバクシャの集い」開く
1992/5/16
国際原子力機関(IAEA)のブリクス事務局長が「北朝鮮寧辺の放射化学研究所の規模は予想以上に大きく、完成すれば核再処理工場になり得る」と言明
1992/5/17
岡山市原爆被爆者会(高尾光信会長、600人)が岡山市で総会。相談業務の充実など申し合わせ
1992/5/18
オーストリア・ウィーンのヘルムート・ツィルク市長が広島市を訪れ、原爆資料館を見学
1992/5/19
ブッシュ米大統領とナザルバエフ・カザフスタン大統領が会談。米ソ戦略兵器削減条約(START)を批准し戦略核兵器をロシアに移管する核拡散防止条約の調印で合意
1992/5/20
修学旅行で広島を訪れた東京・国立市の市立国立第一中学校の264人が廿日市市など周辺部の被爆者やお年寄りの家を訪問し体験聞く
1992/5/20
島根県飯石郡三刀屋町が「第2回永井隆平和賞」の作文や論文の募集始める
1992/5/21
スウェーデン国防研究所が「中国の地下核実験を地震計で観測」と発表。1,000キロトン級で1976年以来最大。22日、中国も確認
1992/5/21
広島赤十字・原爆病院の旧本館保存問題で、原爆被害者証言のつどい、県被団協(市岡正憲理事長代行)など8団体が「部分保存でも」と譲歩案
1992/5/21
反核団体の米核管理研究所(ワシントン)とグリーンピース・インタナショナル(アムステルダム)などが、日本の欧州からのプルトニウム海上輸送計画に対し、国際的な阻止行動を開始と発表
1992/5/22
平岡広島市長が21日の中国核実験に抗議文。23日、被爆者らが原爆慰霊碑前などで座り込み
1992/5/22
広島県医師会、県、広島市の在南米被爆者帰国治療支援でブラジル在住の2人が広島に里帰り
1992/5/22
米バージニア州ウインチェスターのシェナンド大のジャズアンサンブルの一行20人が原爆慰霊碑前で追悼演奏
1992/5/22
広島市西区の広島信用金庫横川支店の新店舗に、被爆建物だった旧店舗の飾り柱を保存した展示ホールが完成。旧店舗は爆風に耐え、当時は被災者救護所に
1992/5/23
ロシア外務省が21日の中国核実験を「国際情勢の好転や軍拡競争抑制を困難にする」と批判
1992/5/23
ロシアなど旧ソ連核保有4カ国と米国がSTART新議定書に調印。ウクライナ、カザフスタン、ベラルーシは7年間で自国領土から戦略核を全廃し、将来の非核化を公式表明
1992/5/24
日本政府の核燃料プルトニウム海上輸送に反対する広島の市民グループ「プルトニウム・アクション・ヒロシマ」(大庭里美代表)が、原爆ドーム前で計画の情報公開と輸送中止を呼びかけ街頭行動 1992/5/24
47年前、被爆者が避難した道をたどり平和への誓いを新たにしようと広島県山県郡加計町、安野中学校の全校生徒32人と保護者ら計80人が広島市の平和記念公園から学校までの38.5キロを歩く。毎年実施し14回目
1992/5/24
核実験に抗議する長崎市民の会が、中国大使館(東京都)にあてた同国の核実験への抗議電報が、初めて受け取りを拒否されたことを明らかにする(長崎新聞5・25)
1992/5/25
爆心のほぼ直下だった元安橋の架け替え工事が終了、開通式。旧橋の親柱、中柱を使用。総工費10億2,000万円
1992/5/25
米ワシントン・ポスト紙が「米政府は現在実施している年6回の核実験を、半減から1995年までに完全中止までの幅で検討中」と伝える。26日、ホワイトハウスは報道を否定
1992/5/25
広島市内の被爆者の健康診断受診率は6割弱で、低下傾向にあることが広島原爆障害対策協議会(原対協)の調べで判明
1992/5/26
広島市の被爆建物等継承方策検討委員会が、市に被爆建物の保存助成を求める方針を決定。市が「現存被爆遺跡は木造建物10件、橋7件、樹木18件、神社灯ろう9件」と報告
1992/5/26
北大西洋条約機構(NATO)筋がロイター通信に「NATOは核の第1使用を容認する新戦略を立案」と明かす
1992/5/26
広島市立の全小学校に植える被爆アオギリ二世の贈呈・植樹式を本川小で実施
1992/5/26
「日朝友好親善広島訪朝団」(団長、松井五郎広島商工会議所副会頭)の191人と原水禁国民会議訪朝団10人が、広島空港からチャーター便で北朝鮮へ。広島訪朝団は自社両党県議、市議団、医師、学者ら。原水禁国民会議は「日朝被爆者の連帯を進める会」の原広司会長、広島市原爆被害者の会の近藤幸四郎副会長ら。朝鮮人被爆者協議会の李実根会長は、長崎市の造船所に強制連行され被爆した朝鮮人496人の名簿携える。6月2日帰国
1992/5/27
広島県原水禁が中国の江沢民共産党総書記に核実験の中止を求める要請文発送
1992/5/27
広島の市民グループ「平和公園のありかたを問う86人委員会」(相原一博代表)など12団体が、韓国人原爆犠牲者慰霊碑を現状のまま平和記念公園内に移設するよう平岡市長に申し入れ。「南北統一碑にこだわれば当面、移設は不可能」が理由
1992/5/28
ロシアが戦術核兵器解体をシベリアの軍事都市トムスク7やモスクワ南部のペンザで行うと発表
1992/5/28
ロシアが「プルトニウムを燃料とする高速増殖炉建設を再開」と発表。米は安全性を懸念
1992/5/29
「マレーシア日系合弁化学工場ARE社のずさんな放射性廃棄物管理がもとで健康被害」と訴えているペラ州のペラ反放射能委員会事務局長パン・クイ・ユーさんが原爆資料館を見学
1992/5/29
日本弁護士連合会が広島市で総会。非核三原則を守り、国家補償の理念に基づく被爆者援護法の制定を求める宣言を採択。同市での日弁連の総会は1950年以来4回目。その都度核兵器の廃絶を決議
1992/5/31
広島県被団協(森滝市郎理事長)が総会。事務局次長の迫田正利氏が退任、次長3人制に
1992/5/31
広島県山県郡加計町安野地区の「安野神楽団」が広島原爆被爆者療養研究センター「神田山荘」を慰問
1992/5/31
ワシントン・ポスト・マガジン誌が米上下両院の連邦議会議員用の核シェルターの存在を暴露。西バージニア州の山中
1992/5/31
原水禁国民会議の訪朝団が、平壌市内で朝鮮平和擁護全国民族委員会幹部と会談し、日本政府による帰国朝鮮人被爆者への補償実現などの共同コミュニケを発表。長崎での被爆者2人の渡日治療にも道開く
1992/5/-- 
日本出稼ぎで南米在住被爆者が続々日本へ
1992/5/-- 
広島平和文化センターが、平和冊子シリーズ8冊目として「平和記念式典の歩み」を発行。広島大原医研の宇吹暁助教授がまとめる
1992/5/-- 
日本被団協が、広島、長崎への原爆投下について米に損害賠償請求ができるかどうかを検討へ
1992/5/-- 
強制連行の末、長崎市で被爆死した中国人炭鉱労働者朱造火さんの遺族を小林文男広島大教授らが訪中し捜し出す
1992/5/-- 
多数の被爆死者を火葬した広島市安佐南区の「昭和橋」の保存を地元民らが要望
1992/5/-- 
原爆文学の代表作の一つで絶版のため入手しにくい大田洋子氏の「屍の街」を広島市の市民読書グループ「『ヒロシマ』文学を読む会」が出版
1992/5/-- 
大阪府堺市の八田荘中学校の3年生256人が広島原爆投下写真を基に特大のタぺストリーを完成 1992/5/-- 
放射線影響研究所の重松逸造理事長が世界保健機関(WHO)の中島宏事務局長とともにロンドン王立内科学会のフェロー(特別会員)に
1992/5/-- 
台風で倒れた広島赤十字・原爆病院の被爆ニワウルシに新芽
1992/5/-- 
広島市が原爆で消えた町並み、当時の中島本町(現平和記念公園)の一角を原寸大で復元準備始める。1998年に開館予定の比治山の市博物館に展示
1992/5/-- 
赤レンガの被爆建物、広島市の旧陸軍被服支廠の保存、再生案を市民グループがまとめる
1992/5/-- 
広島市の児玉辰春さんが原爆資料館に展示されている被爆三輪車を題材に「伸ちゃんのさんりんしゃ」を執筆。6月末、童心社から出版

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