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ヒストリー

ヒロシマの記録1992 10月


1992/10/1
ドイツ「緑の党」創設者で環境・平和問題に取り組んだペトラ・ケリーさんが、同居のゲルト・バスチアン氏とともにボン市内の自宅で死体で見つかる。バスチアン氏の無理心中の可能性
1992/10/1
平岡広島市長が県内7つの被爆者団体代表と初の懇談会
1992/10/2
9月25日の中国核実験に抗議し、被爆者らが原爆慰霊碑前で座り込み
1992/10/2
米ネバダ核実験場周辺で各国反核団体が集まり核実験禁止へ向け集会
1992/10/2
ブッシュ米大統領が「核実験停止法案」に署名。米の核実験は(1)10月1日から1994年6月末まで9カ月間停止(2)96年末まで最高、年5回、核弾頭の安全管理に限り実験(3)96年末までの総実験数は最高15回(4)他の国が実験しない限り97年以降は全面禁止
1992/10/5
原爆正当化発言のフィリップ・ゼリコー氏から広島県原水禁に返書。「核兵器が太平洋戦争の終結をもたらしたとすれば、日本を飢餓や空襲、連合軍の九州や本土上陸から防いだ」と改めて主張
1992/10/7
韓国人原爆犠牲者慰霊碑の移設問題で、平和記念公園内への「南北統一碑」建立は当初目標の10月中旬実現が絶望的に。在日本大韓民国居留民団広島県地方本部内部に根強い反対論
1992/10/8
「米国広島・長崎原爆被爆者協会」の寺西啓中会長らが、平岡広島市長と竹下虎之助広島県知事に在米被爆者検診継続を要請。市長、知事とも継続を約束
1992/10/9
前広島女子大学長で平和運動に尽くした今堀誠二氏が、多臓器不全のため死去。77歳。1949年、平和擁護広島大会で議長を務め、原水爆禁止世界大会にも第1回から参加するなど早い時期から一貫して原爆問題にかかわった。「広島・長崎の原爆災害」編集委員。著書に「原水爆時代」「中国の民衆と権力」など。専門は中国社会史
1992/10/10
米パールハーバー・ロータリークラブのハロルド・バーカー会長ら12人が原爆慰霊碑に参拝
1992/10/12
三洋電機労働組合が広島赤十字・原爆病院に120万円を寄付。1972年から21回目
1992/10/13
盛岡市で、被爆直後の広島、長崎を撮影した米海兵隊従軍カメラマン、ジョー・オダネル氏の写真展。死んだ弟を埋葬する穴が掘られる間、弟をおぶって立ちつくす少年など50点
1992/10/14
「仏政府は1992年末までの核実験停止を93年も継続する可能性」-。仏ルモンド紙が報道
1992/10/16
「長崎原爆松谷訴訟」で「支援する会」が原告側の被爆証人の採用を求めた署名5,000人余りを長崎地裁に提出(長崎新聞10・17)
1992/10/17
広島市の市民グループ「第九条の会ヒロシマ」が広島市内で総会。1993年の8月6日にも意見広告を新聞に掲載する運動を決定
1992/10/17
旧ソ連の核実験場ノバヤゼムリャ島に近いアルハンゲリスクで開かれた核戦争防止国際医師会議(IPPNW)などの国際医学セミナーが、1996年の核実験完全禁止を求める声明を発表し閉幕。放射性廃棄物の海洋投棄で、島の対岸住民の喉頭がん発生率が他地域の20倍との報告も
1992/10/17
従軍慰安婦問題に取り組む「韓国挺身隊問題対策協議会」共同代表の尹貞玉さんが原爆資料館を見学。18日、市内で講演
1992/10/19
エリツィン・ロシア大統領が、核実験停止措置を1993年6月30日まで延長する大統領令に署名
1992/10/19
アジア7カ国・地域の新聞社や通信社の東京特派員らが広島市内で日本の過去の侵略戦争などをめぐるシンポジウム。中国新聞社と「東方2001」が主催
1992/10/19
長崎市の本島等市長が訪韓し、韓国人被爆者に謝罪の意を表明
1992/10/19
日本被団協が核実験の度に抗議声明を出すことを決定
1992/10/20
広島県などが派遣する在南米被爆者巡回医師団の4人が広島を出発。21日、東京で厚生省、長崎県メンバーと合流し11月6日まで南米5カ国を巡る。団長、平田克己広島赤十字・原爆病院第1内科部長
1992/10/21
広島赤十字・原爆病院の冨重守院長が、原爆の爆風でゆがんだ旧本館の窓枠を切り取り、現地保存する意向を表明
1992/10/21
連合山口(白木幹章会長)が山口県原爆被爆者福祉会館ゆだ苑の支援組織「ゆだ苑を支える会」への全面協力決める
1992/10/22
姉妹都市提携20周年記念行事出席のため、広島市を訪れているロシア・ボルゴグラード市のユーリ・チェーホフ市長らが原爆資料館を見学
1992/10/22
広島市原爆被害者相談所の被爆証人捜しが、1972年7月以来20年で通算800人に
1992/10/23
米司法省が、大気圏内核実験やウラン採掘の核被害者を対象とした「核被害者補償法」の適用者数を発表。355人で補償総額は32億4,000万円。同法は1990年10月に成立したが、施行規則が決まったのは1992年3月
1992/10/23
科学技術庁が1992年版原子力白書。「国際的な疑惑を招かない透明性のある利用計画」を強調
1992/10/24
日本原水協、関東反核法律家協会などが東京で裁判劇「日本政府を裁く反核国民法廷」。松井康浩弁護士が裁判長役
1992/10/24
ブラジル・サンパウロ市で広島、長崎の医師により第5回在南米被爆者巡回検診始まる
1992/10/25
ドイツ・カールスルーエ市の高校生らが、広島市の原爆慰霊碑前で平和を祈るミニコンサート
1992/10/26
核禁会議の第19次訪韓医師団が広島を出発。慶尚南道陜川保健所で健康診断
1992/10/26
美術の分野で人類の平和に貢献した作家に広島市が贈る第2回ヒロシマ賞に、米の現代美術作家ロバート・ラウシェンバーグ氏。第1回受賞者は広島市出身の三宅一生氏
1992/10/27
東広島市の「原爆被爆資料保存推進協議会」(五島正三会長)が、広島県内の全市町村を対象に被爆資料収集状況などのアンケート調査
1992/10/27
東京で劇作家村井志摩子さんの「広島の女」シリーズ第6作「日本人形・沈黙」が上演
1992/10/27
広島平和文化センターが7回目の「広島市民平和の集い」。大阪の大衆演劇団「むらさき」が「愛と死の傷痕-伸ちゃんの三輪車」を上演
1992/10/31
広島市内で仏教関係者らが「平和を願う念仏者の集い」
1992/10/31
「広辞苑」の編さん者で、平和運動に尽力した名古屋大名誉教授の新村猛氏が死去。87歳。1977年に分裂状態の原水禁国民会議と日本原水協の仲介役として行動、14年ぶりの統一合意の実現に貢献。専門は仏文学
1992/10/-- 
ネパール・カトマンズの国連アジア・太平洋軍縮センター初代所長に軍縮室の石栗勉政務官
1992/10/-- 
「被爆した器」「夾竹桃の舞う太田川」などヒロシマへの鎮魂作品が多い元陽会の山田鉄郎さんが個展

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