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ヒストリー

ヒロシマの記録1991 2月


1991/2/1
反核市民団体「ピース・リンク広島・呉・岩国」の林修二世話人ら7人が、湾岸戦争に反対し広島市の原爆ドーム前で48時間のハンガーストライキに入る
1991/2/1
ニューヨーク・タイムズが「米核兵器産業が岐路に」と報道。南カロライナ州のサバンナリバー核物質生産工場の原子炉を1基閉鎖するほか、新しい核物質生産工場設計計画が大幅に縮小されることなどが根拠
1991/2/2
湾岸戦争や多国籍軍への政府の資金協力に反対し、広島県労連の労組員ら150人が広島市の原爆慰霊碑前で座り込む
1991/2/2
宇部市・小野田市原爆被爆者協議会(竹内一作会長)が被爆証言集「21世紀への伝言2」を出版。ヒロシマ学習した中学生の作文も併載
1991/2/3
チェイニー米国防長官が米CNNテレビで、湾岸戦争の戦略について「現時点で核兵器を使うことは全く推奨しない」と言明。広島への原爆投下と湾岸戦争を比較し「日本を破るためには大量の米軍による本土侵攻が必要で、100万人以上の死傷者が想定されたが、いま直面している状況はまるで違う」
1991/2/5
ソ連チェルノブイリ原発事故で放射能汚染地域とされたウクライナ、白ロシア両共和国から1990年1年間に7万2,000人が他の地域に避難―。タス通信が伝える
1991/2/5
広島で被爆し、被災者の救護活動に尽力したペドロ・アルペ前イエズス会総長がローマで死去。83歳
1991/2/6
広島市で「湾岸戦争の即時停止を求める被爆者・市民のつどい」。120人が集まる。湾岸戦争開戦後、広島の被爆者が組織を超えて声を上げるのは初
1991/2/7
米エネルギー省が「2015年までに17の主要核物質生産施設を半分から三分の一に削減し、老朽化が著しいオークリッジY12、ロッキーフラッツ、ハンフォードなどは閉鎖」との軍事用核物質生産工場の再編成を発表
1991/2/8
カナダ・モントリオール市のジャン・ドーレ市長が広島市を訪問。原爆慰霊碑に参拝
1991/2/8
広島県原爆被爆教職員の会の石田明会長、原爆被害者証言のつどいの久保浦寛人代表ら4人が東京の米、イラク両大使館を訪れ、核、化学兵器の使用禁止と早期停戦を求める要望書を手渡す
1991/2/8
「放射線被曝者医療に関する国際協力検討委員会」(HICARE=会長、重松逸造放射線影響研究所理事長)が3回目の会合で、実際の事業を行う推進協議会の4月設立を決める
1991/2/8
広島、長崎市長も加わる「核軍縮を求める22人委員会」(座長、宇都宮徳馬参院議員)が、「湾岸戦争の即時停戦を求める」緊急シンポジウムを東京で開催。650人が参加。90億ドルの追加支援に批判が集中
1991/2/9
韓国原爆被害者協会の辛泳洙会長が、韓国政府と共同で進めている被爆者実態調査への協力を広島市に要請
1991/2/9
福井県の関西電力美浜原発2号機で、蒸気発生器細管に大きな穴が開き、緊急炉心冷却装置(ECCS)が作動。事故によるECCSの作動は日本原発史上初で、国内最大級の事故
1991/2/10
マーク・ハットフィールド米上院議員が広島市を訪問。原爆慰霊碑に参拝。「1945年8月下旬、廃虚になった広島を見た。あの惨禍が湾岸戦争で再現されかねない事態を深く憂慮している」
1991/2/10
広島県高校生平和ゼミナールが「湾岸戦争で広島の悲劇を繰り返すな」との緊急アピールを採択。米、イラク両国へ送付決める
1991/2/11
米下院のダン・バートン議員がロイター通信とのインタビューで湾岸戦争での核兵器使用を主張
1991/2/11
福井県の関西電力美浜原発2号機で蒸気発生器細管が破損し緊急炉心冷却装置(ECCS)が作動した事故で、福井県が「発電所周辺の大気や海水を調査した結果、放射能漏れはなし」と発表
1991/2/12
米国防総省が、戦略防衛構想(SDI)の主眼を地域紛争での弾道ミサイル攻撃に対抗する限定攻撃防衛構想(GPALS)に切り替えると計画縮小を発表
1991/2/14
世界平和アピール7人委員会の隅谷三喜男東大名誉教授らが「湾岸戦争の平和解決を訴える」アピール発表
1991/2/14
長崎の証言の会が、長崎市の被爆直後の援護報告や日記、公文書類を集めた長崎の証言双書「地球ガ裸ニナッタ」を出版(長崎新聞2・14)
1991/2/14
広島県庁前庭に「核兵器廃絶に関する広島県宣言」の碑が完成
1991/2/15
広島市の山本真理子さんら広島や呉市の住民93人が「90億ドル追加支援や自衛隊機派遣は憲法違反」として、全国初の湾岸貢献策の差し止め請求訴訟を広島地裁に提訴
1991/2/16
香港の映画スター、ジャッキー・チェンさんが広島市を訪問。原爆慰霊碑に参拝。「二度と原爆投下があってはいけない。湾岸戦争の終結と世界平和を祈った」
1991/2/16
広島市で「原爆遺跡保存運動を進める市民フォーラム」開く。50人参加。日赤被爆建造物保存連絡会など15団体でつくる原爆遺跡保存運動懇談会主催
1991/2/18
呉市の長谷川愛貴さんらが外国艦船に「非核証明」を義務付ける港湾条例改正を求める直接請求を2万2,091人の有権者署名を添え呉市に提出
1991/2/19
俳優の牟田悌三さんやボランティアグループによる「日本チェルノブイリ連帯基金」が発足
1991/2/19
ソ連の国家産業・原子力発電安全委員会が「チェルノブイリ原発事故の主因は原子炉構造上の欠陥」との報告書。「運転員のミスに加え原子炉の制御とバックアップ安全システムが安全要件や建設条件を満たしていなかったり、物理的特性の点でも劣っているなど設計、開発段階で10に上る規格を満たさない点があった」
1991/2/20
世界で唯一、法律による原子力発電所廃棄を決めているスウェーデンのモリン工業相が「1995年までに最初の1基を、96年までに2基目を廃棄との既定方針を繰り延べる」と発表。2010年までに12の原子炉すべてを廃棄するとの全体計画は変更なし
1991/2/20
湾岸戦争に反対する被爆者の全国統一行動日。広島市では、2つの県被団協などによる被爆者援護法実現県100万人署名実行委員会が座り込みや署名集め
1991/2/22
荒木広島市長が4期16年の任期を終え退任
1991/2/22
呉港入港の外国艦船に「非核証明」を義務付ける港湾条例改正の直接請求を受け、呉市の佐々木有市長が「港湾管理者である市長権限を逸脱しており、条例改正はできない」との意見書を添え、改正案を市議会に提出
1991/2/22
被爆体験の語り部、広島平和文化センターの高橋昭博氏がNHK放送文化賞を受賞
1991/2/23
平岡敬氏が広島市長に就任。就任会見で、原爆死没者への国の弔意の表し方について「個々の弔慰金支給にはこだわらない」と、従来の市の姿勢と異なる発言。27日、発言を撤回し陳謝
1991/2/25
原子力船「むつ」が初の実験航海のため青森県むつ市を出港
1991/2/25
ローマ法王ヨハネ・パウロ二世の来広10周年を記念し、「カトリック正義と平和広島協議会」(代表、三木篤実カトリック広島教区長)が神父や信者らの被爆証言を集め「戦争は人間のしわざです」を出版
1991/2/27
湾岸戦争多国籍軍がクウェート市を解放
1991/2/27
平岡広島市長が2月市会の所信表明で、被爆建物の保存について検討委員会設置の方針示す
1991/2/28
湾岸戦争が開戦以来43日目に戦闘停止。ブッシュ米大統領が勝利宣言
1991/2/-- 
広島県医師会が南米被爆者の帰国治療対象者を1人から2人に増やす方針決める
1991/2/-- 
広島平和記念公園の原爆慰霊碑付近の石畳工事が進む。「土の方が温かみがある」と疑問の声も

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