×

ヒストリー

ヒロシマの記録1991 3月


1991/3/1
静岡県原水協、同県平和委員会などが焼津市で、原水禁国民会議は静岡市で3・1ビキニデー集会。広島市でも原水禁世界大会広島実行委員会(共産党系)のビキニデー広島集会
1991/3/1
ビキニ被災37周年。静岡県焼津市の弘徳院で故久保山愛吉さんの墓前祭。日本宗教者平和協議会主催で、1,500人が参列。午後から原水禁国民会議の墓前祭。100人が参列
1991/3/2
原水禁国民会議が静岡市で開いた全国委員会で、原水禁運動と護憲運動の一元化をはかる平和センター設立構想を表明
1991/3/2
高知県ビキニ被災問題調査会(高知県原水協などで構成)が「1954年のビキニ米水爆実験の被災漁船は548隻」との漁業関係者の文書を入手。県別の船籍も記載
1991/3/3
放射線影響研究所の重松逸造理事長を団長に、外務省のチェルノブイリ原発事故調査団がソ連へ出発
1991/3/3
英の原爆の父と呼ばれた原子物理学者ウィリアム・ジョージ・ペニー氏が死去。81歳
1991/3/4
障害者の戦争被害史を研究している埼玉大の清水寛教授が、1990年6月に続き広島市内で障害者の被爆体験を聞き取り調査
1991/3/4
終戦直後に玄界灘で遭難した被爆朝鮮人徴用工を描いた創作劇「鎮魂の海峡」を長崎県壱岐高校生らが広島市内で上演
1991/3/5
広島市現代美術館に展示してあるヘンリー・ムーア作の彫刻アトム・ピースは「反核作品」か「原爆賛美」か、作品の理念をめぐり広島市議会で論争
1991/3/6
呉港に入る外国艦船に非核証明提出を義務付ける、住民請求に基づく条例改正案が呉市議会で否決
1991/3/6
平岡広島市長が3月市会で「国家補償の精神に基づく被爆者援護法制定を国に要望」と援護法を求める姿勢を広島市として初めて鮮明に示す。これまで市は援護法という言葉を避け、被爆者対策の充実と表現。広島・長崎原爆被爆者援護対策促進協議会(八者協)を通じ国に要請へ
1991/3/7
被爆死者が火葬された広島市似島の旧陸軍馬匹検疫所跡の馬焼却炉の移設、保存工事が終了
1991/3/9
核戦争防止国際医師会議(IPPNW)日本支部が湾岸戦争被災者向けに医薬品を緊急援助
1991/3/9
ポップアート界の第一人者、米のピーター・マックス氏が広島市役所を訪れ、天使が地球を抱く姿を描いた「ラブ・ザ・ワールド」を贈る
1991/3/11
スウェーデン国防研究所が「米ネバダの地下核実験とみられる地震波を8日に観測」と発表
1991/3/11
広島市が第二次大戦前、戦中の戦勝記念碑などを市有地に設置する際の「彫像・記念碑の設置基準要綱」見直しへ。市議会予算委員会での質問に平岡市長が答弁
1991/3/11
通産省・資源エネルギー庁が、福井県美浜町の関西電力美浜原発2号機の蒸気発生器細管破断の事故原因調査結果を発表。「細管の振動を抑える振れ止め金具(AVB)が設計通りの範囲まで入っていないため、高速で流れる2次冷却水による高いサイクル振動で強度が低下した金属疲労の疑いが濃い」
1991/3/12
広島市の「8・6」休日の認定を盛り込んだ地方自治法改正案が衆議院地方行政委員会で可決
1991/3/14
米核実験に抗議し被爆者らが広島市の原爆慰霊碑前で座り込み。広島市は「実験未確認」と抗議文送らず
1991/3/15
岡山県真庭郡湯原町議会が「放射性廃棄物等の持ち込み拒否に関する条例」案可決。全国で初
1991/3/17
原爆小頭症患者と親たちの「きのこ会」(長岡千鶴野会長、21家族)が45歳を祝う会開く
1991/3/18
日米政府間の原子力協議がワシントンで開かれ、核拡散防止体制の強化で一致
1991/3/20
ヒロシマ被爆二世の会(下中奈美代表)が、広島県内の被爆二世の意識と健康調査まとめる。4人に1人が健康不安を訴え
1991/3/20
米国原爆被爆者協会が厚生省に在北米被爆者実態調査を要請する文書を発送
1991/3/20
通産省・資源エネルギー庁が、福井県高浜町の関西電力高浜原発2号機の蒸気発生器細管振れ止め金具の取り付けミスを確認。運転を停止し調査へ
1991/3/21
広島市で湾岸戦争後の中東復興支援を訴える「3・21平和のためのヒロシマ行動」。広島県原水禁や広島県労センター加盟の労組員らが街頭募金
1991/3/22
核トマホークを積載できる米海軍の潜水艦母艦プロテウスが呉港に入港。市民団体が反対行動。26日出港
1991/3/23
浄土真宗本願寺派の安芸教区平和委員会(光寺重信委員長)が韓国人被爆者12人を広島市に招く。韓国人原爆犠牲者慰霊碑に参拝
1991/3/25
中山太郎外相が参院予算委員会で、チェイニー米国務長官の原爆投下是認発言について、「慎重に発言するよう米に伝えたい」と答弁
1991/3/25
在米被爆者をテーマにしたドキュメンタリー映画「サバイバーズ」を作った日系三世スティーブン・オカザキ氏の「待ちわびる日々」が第63回アカデミー賞ドキュメンタリー賞を受賞
1991/3/26
ワヒブ・エル・ミニアウイ駐日エジプト大使が広島市を訪問、原爆慰霊碑に参拝
1991/3/27
広島市の放射線影響研究所の専門評議員会で、馬淵清彦疫学部長が「強い放射線を浴びた被爆者は、非被爆者より循環器系疾患死亡率が高い」と報告。放射線の循環器系疾患への影響指摘は初
1991/3/27
反核市民団体「非核の呉港を求める会」や広島県平和委員会など8団体が呉市と海上自衛隊呉地方総監部にペルシャ湾への掃海艇派遣反対を申し入れ
1991/3/27
日系四世ジュディ・今井さんが2年をかけヨーロッパ、アジア大陸を平和行進するためロサンゼルスを出発。1993年8月、広島到着の予定
1991/3/28
米が1950年代に原爆など核爆弾の製造を急いだ結果、ワシントン州ハンフォード核施設内の土中に大量の核汚染物質を埋設処理したことが米環境保護局の調べで判明。ニューヨーク・タイムズが報道
1991/3/28
浄土真宗本願寺派の安芸教区平和委員会が招いた韓国人被爆者で被爆者健康手帳を申請していた6人中3人が、被爆事実を確認できないため手帳取得できず
1991/3/29
平岡広島市長がベススメルトヌイフ・ソ連外相と在日ソ連大使館で会談。同外相はチェルノブイリ原発事故被災者の救援継続を市長に要請
1991/3/31
広島原対協(会長、平岡広島市長)が「30年のあゆみ被爆者、市民とともに」を発行
1991/3/-- 
原爆詩人峠三吉氏らが編集した「原爆詩集」関係書簡や評論、日記など230点が広島市で見つかる
1991/3/-- 
ソ連ウクライナ共和国の登山家たちが、チェルノブイリ原発事故の悲劇を後世に残す基金を作るためマナスル登頂を計画。寄付金を募る
1991/3/-- 
米合同メソジスト教会が在米被爆者を支援している「被爆者友の会」(デニス・ハヤシ会長)に活動資金として7,000ドル(100万円)を贈る

年別アーカイブ