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ヒストリー

ヒロシマの記録1991 4月


1991/4/1
ニューヨークの「広島『原爆の子』記念財団」(内田仁理事長)が「原爆の子」(長田新氏編)の英訳本読書コンクールを計画、感想文を募る
1991/4/2
環境や平和問題を考えながら北海道から沖縄まで歩く「生存への行進90」の6人が広島市に到着
1991/4/3
ニューヨーク・タイムズが「米国防総省が極秘裏に戦略防衛構想(SDI)の一環として宇宙へ打ち上げる原子力推進ロケットの開発を進めている」と報道
1991/4/4
第4回「谷本清平和賞」に広島大名誉教授の森滝市郎氏。13日に授与式
1991/4/4
米エネルギー省が「ネバダ核実験場で4日、この年2回目の地下核実験を行った」と発表
1991/4/5
平岡広島市長が米核実験に抗議文
1991/4/8
米核実験に抗議し、広島県原水禁が「核実験禁止ネバダ行動」に連帯の座り込み
1991/4/8
放射線被曝者医療国際協力推進協議会(放医協)が初会合を開き、活動スタート。海外研修医受け入れなど事業計画決める。放射線影響研究所の重松逸造理事長を会長に選出
1991/4/9
チェルノブイリ原発事故で被災した子供と現地の医師ら11人が日本赤十字社などの招きで広島入り 1991/4/9
米国原爆被爆者協会の寺西啓中・南カリフォルニア支部長らが平岡広島市長を訪ね在北米被爆者検診の継続を要請
1991/4/9
中山太郎外相が参院外務委員会で、国連軍縮広島会議の開催に政府も協力する意向示す
1991/4/9
1983年アキバ・プロジェクトの女性記者ロシェル・シャープさんが1991年ピュリツァー賞国内報道部門で受賞
1991/4/9
ソ連最高会議がチェルノブイリ原発事故被害者救済の補償法案を採択。放射能汚染で身体、財産に損害を受けた480万人が対象
1991/4/11
ソ連がゴルバチョフ大統領の訪日日程に広島訪問を組み込むよう外務省に連絡。政府は同日、広島訪問見送りの方針決める
1991/4/13
韓国のハンギョレ新聞が「韓国の李鍾九国防相が『北朝鮮が核兵器開発をした場合、強力な制裁措置を取る必要がある』と発言。すぐ取り消したが、北朝鮮に対する韓国の先制攻撃の可能性を示唆したもの」と報道
1991/4/14
「チェルノブイリ原発事故の科学調査担当幹部が事故死者は7,000人から1万人に達していると明らかにした」と英紙が報道。ソ連科学アカデミーのレオニード・イリイン副総裁が16日「事故発生から2カ月間の被曝死者は28人」と述べ報道を否定
1991/4/15
小説「黒い雨」の主要な登場人物のモデル広島県神石郡三和町の重松シゲコさんが死去。76歳
1991/4/16
米エネルギー省が「ネバダ実験場で16日、この年3回目の地下核実験を行った」と発表
1991/4/17
在日本大韓民国居留民団広島県地方本部が、韓国人原爆犠牲者慰霊碑の平和記念公園移設問題で「韓国朝鮮人原爆犠牲者慰霊碑」との新碑文案を公表
1991/4/17
東京の市民団体「エストニア・チェルノブイリ・ヒバクシャ基金」がソ連のエストニア共和国で25日から開かれるチェルノブイリ原発事故5周年市民集会に代表団を派遣。広島から広島大原医研の佐藤幸男教授、林悠子さんらが参加
1991/4/17
平岡広島市長が米核実験に抗議文。19日、被爆者らが広島市の原爆慰霊碑前で座り込み
1991/4/18
原爆被害者相談所の被爆証人捜しが300回に。1972年に広島県被団協(森滝市郎理事長)が始めて以来、19年間で766人を公表
1991/4/18
「HIROSIMA87―97コンサート」の南こうせつ代表らが広島市に1990年度の収益金1,500万円余を寄付。通算4回目で計1億4,929万円余に
1991/4/18
日ソ政府が「チェルノブイリ原発事故被害対策協力に関する覚書」に調印
1991/4/18
ゴルバチョフ・ソ連大統領が東京の来日歓迎パーティーで、日ソ相互理解に努力した政治家として、荒木前広島市長の名前を挙げる。荒木氏は「市民の平和への取り組みや姉妹都市ボルゴグラード市との交流が、広島の存在を強く印象づけたのだろう」と語る
1991/4/19
ゴルバチョフ・ソ連大統領夫妻が長崎市のロシア人墓地と平和公園に献花。長崎原爆被災者協議会の山口仙二会長が「核戦争を阻止し、核兵器廃絶を進めてください」と訴え
1991/4/19
米紙ロサンゼルス・タイムズが「米国防総省は東欧やソ連の軍事基地など核攻撃目標8,500カ所のうち1,000~2,000カ所以上をリストから除外」と報道
1991/4/19
ニューヨークで平和の火を走り継ぎ世界に平和を訴える「ピース・ラン91」の出発式。70カ国の代表が参加。50万人が7大陸4万キロをリレー
1991/4/21
山口県上関町長選で原発推進派の片山秀行氏が反対派の新人を破り3選
1991/4/22
中国新聞が世界各地の核被害者の実態を追い1年間連載したルポ「世界のヒバクシャ」が講談社から出版
1991/4/22
政府、自民党が、ペルシャ湾の機雷除去で海上自衛隊掃海艇派遣を決定。24日、閣議決定
1991/4/23
スリランカのジャヤワルデネ前大統領が広島市を訪問。同大統領は1951年の対日講和条約の際「人はただ、愛によってのみ憎しみを超えられる」とのブッダの言葉を引用し対日賠償請求権を放棄する演説
1991/4/23
日本赤十字社などの招きで広島市を訪問していたチェルノブイリ原発事故被災地の子供6人の検診終わる。2人から通常の10~14倍のセシウム137を検出
1991/4/23
米ノースダコタ州ミノット市近郊の大陸間弾道ミサイル、ミニットマン3地下サイロから原因不明の蒸気が漏出。半径2キロの住民避難
1991/4/23
核戦争防止国際医師会議(IPPNW)ソ連支部のウラジーミル・ポポフ事務局長が広島市を訪問し、放射線影響研究所の重松逸造理事長にチェルノブイリ原発事故など被曝者医療の研修医受け入れを要請。24日に平岡広島市長、25日に竹下虎之助広島県知事にも
1991/4/24
日本被団協が原爆死没者調査で判明した名簿の公開を厚生省に要請。同省は拒否
1991/4/24
「自衛隊の掃海艇派遣は憲法違反」と、広島市の波田一さんら広島県内の9人が、国を相手取って派遣差し止めを広島地裁に提訴
1991/4/24
原水禁国民会議、社会党、総評センター、護憲連合でつくる平和センター設立準備委員会がセンターの大綱を初めて示す。名称は「日本平和運動センター」とし、1992年1月発足の予定
1991/4/25
広島連帯ユニオンでつくる反原発労働組合連絡会議(今川澄男代表)の7人が、チェルノブイリ原発事故5周年を前に広島市の中国電力本社前で座り込み
1991/4/26
チェルノブイリ原発事故5周年。ウクライナ共和国キエフ市や白ロシア共和国ミンスク市などソ連各地で犠牲者追悼集会。ミュンヘン五輪女子体操の金メダリスト、ソ連のオルガ・コルブトさんがワシントンで記者会見。「周辺住民はいつ死んでもおかしくない状態」と世界の支援を訴え。コルブトさんはチェルノブイリから290キロ北のミンスク市在住
1991/4/26
呉市の海上自衛隊呉基地Fバースから、掃海母艦はやせと掃海艇ゆりしまの2隻が機雷除去のためペルシャ湾に出港。ピース・リンク広島・呉・岩国のメンバーらが海上デモ
1991/4/27
平和の火を手に世界各国を走り継ぐ「ピース・ラン91」の広島―東京コースが広島市の平和記念公園を出発。日本国内は4コース、1,500人がリレー。8月29日ニューヨークに集結
1991/4/27
国際ユースホステル連盟のジョン・パーフィット会長が広島市を訪問。原爆慰霊碑に参拝
1991/4/28
英紙サンデー・タイムズが「アリジェリアは首都アルジェ南方のアイン・ウサーラに核兵器用プルトニウム工場を建設中」と報道
1991/4/30
核戦争防止国際医師会議(IPPNW)ソ連支部のウラジーミル・ポポフ事務局長が長崎県庁を訪れ、チェルノブイリ原発事故など核被害者治療で研修医師の受け入れを要請
1991/4/30
島根県飯石郡三刀屋町が永井隆博士の没後40年を記念して「永井隆平和賞」を設け、全国の小、中、高校生から作文や論文の募集を決める
1991/4/-- 
広島電鉄の被爆敷石180枚に観音像を刻み、世界各国の元首に贈る計画が進む
1991/4/-- 
広島市の本川小学校が校内にある平和資料館を訪れた455人の感想文「あの日を見つめて」を刊行

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