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ヒストリー

ヒロシマの記録1991 6月


1991/6/1
第2回国連軍縮京都会議参加者が、広島市で「国連と軍縮シンポジウム」。ブルガリアのディミタール・コストフ国連大使ら7カ国の軍縮担当者が、冷戦、湾岸戦争後の世界情勢を踏まえ、武器不拡散、地域軍縮など国連を軸とした新しい安全保障システム構築の道筋を討議
1991/6/1
仏核実験に抗議し、被爆者らが広島市の原爆慰霊碑前で座り込み
1991/6/1
モスクワ放送が「モスクワ近郊のカリーニン原子力発電所で火災が発生し、すぐ消し止め放射線漏れはなかった」と伝える
1991/6/2
広島市で第32回原子爆弾後障害研究会開く。放射線被曝者医療の国際協力をテーマにしたパネルディスカッションで、日赤長崎原爆病院の迎英明副院長が海外被曝者治療に関し「政府間レベルで現地に病院を建設し専門家を派遣するなど恒久な協力体制を確立すべき」と民間主導の日本受け入れ治療に疑問を提起
1991/6/2
黒い雨の降雨地域見直しを求めている広島県佐伯郡湯来町の住民が集会を開き、広島県と広島市の「黒い雨に関する専門家会議」がまとめた報告書に不満
1991/6/3
仏大統領府が核拡散防止条約(NPT)正式加盟を表明。デュマ外相は4日「NPT調印後も核実験を行う」と表明
1991/6/3
デルタ・女の会など広島市内の3つの市民団体が中曽根句碑の撤去を広島市議会に請願
1991/6/3
チェルノブイリ原発事故被災者の治療にあたっているソ連ウクライナ共和国の医師4人が広島市入り。10日まで滞在し広島大原医研や放射線影響研究所などで研修。チェルノブイリ救援広島委員会(森勉代表)が招く
1991/6/4
原水禁国民会議の北朝鮮訪問団(団長、竹村泰子参院議員、7人)が成田空港を出発。北朝鮮が被爆者との交流推進で訪問団を受け入れるのは初
1991/6/5
旧山口県労評系の岩国地区センターが仏核実験(5月29日)に抗議して岩国市民会館前で座り込み
1991/6/6
福井県美浜町の関西電力美浜原発2号機の蒸気発生器細管破断事故で、通産省・資源エネルギー庁が「事故の主因は振れ止め金具が設計通り挿入されていなかった初歩的ミス」との中間調査報告をまとめる
1991/6/7
ベーカー米国務長官とベススメルトヌイフ・ソ連外相がジュネーブで会談。戦略兵器削減交渉(START)妥結をめざす米ソ首脳会談の日程は決まらず
1991/6/8
韓国外務省が「北朝鮮が国際原子力機関(IAEA)に核査察協定締結のための交渉を7月に開始する意思があると通告してきた」と発表
1991/6/9
米紙ロサンゼルス・タイムズが「ブッシュ政権は北朝鮮の核兵器開発停止のため韓国内の核弾頭撤去を検討中」と報道
1991/6/10
国際原子力機関(IAEA)のブリクス事務局長が理事会で「北朝鮮がIAEAの核査察に関する保障措置協定に9月にも調印する意思を表明」と言明。13日、北朝鮮の陳忠国巡回大使が正式表明
1991/6/11
北米在住被爆者健康診断の第8次広島県医師会派遣医師団(伊藤千賀子団長、11人)が広島を出発
1991/6/11
1990年度に広島を訪れた修学旅行生は24万人を超す。89年に比べ1万8,000人上回る。広島市は「被爆45周年の節目に加え、湾岸戦争などで平和への関心が高まったため」と分析
1991/6/12
原水禁国民会議の北朝鮮訪問団が平壌市内で広島、長崎の被爆者5人と交流
1991/6/13
「ノルウェー沖で1989年4月に火災を起こし沈没した原子力潜水艦コムソモーレツから、早ければ1992年にも放射能が漏れ出す恐れ」とソ連科学者イゴール・スパスキ氏が警告
1991/6/14
北朝鮮の朝鮮平和擁護全国民族委員会の鄭浚基委員長が、原水禁国民会議訪朝団に原水禁世界大会に北朝鮮在住の被爆者派遣を表明。訪朝団は15日帰国
1991/6/14
広島市で第18回広島平和音楽祭開催。喜屋武マリー、加藤登紀子さんら出演。一般歌詞公募のゴールデン・メイプル賞に青森県八戸市、富沢知成さんの「チョコレートの海辺」
1991/6/14
仏国防省が「南太平洋ムルロア環礁で14日、核実験を行った」と発表
1991/6/14
第8次在北米被爆者検診団の伊藤千賀子団長らがロサンゼルスで記者会見し、在米被爆者援護を充実させるため毎年米から医師を招く計画を示す
1991/6/15
平岡広島市長が仏核実験に抗議文
1991/6/15
広島県原水協が理事会で(1)ヒロシマ・ナガサキ・アピール署名の国民過半数運動推進(2)被爆二世の組織化(3)黒い雨に関するシンポジウム開催-など1991年度運動方針決める
1991/6/15
広島県立廿日市高校文化祭で、広島原爆死没者11万8,661人分の顔写真を雑誌などから切り抜き展示
1991/6/15
広島文学資料保存の会(好村富士彦代表幹事)が被爆遺跡と原爆文学の保存を訴えるシンポジウム「ヒロシマからの発進」を広島市内で開く。50人が参加
1991/6/15
第8次在北米被爆者検診団(伊藤千賀子団長)の検診がロサンゼルスで始まる。7月7日までサンフランシスコ、シアトル、ハワイでも実施
1991/6/15
外国人に被爆の実相や核問題を英語で語る「ヒロシマ通訳」の養成講座が広島YMCAで始まる
1991/6/16
広島市のマルセル・ジュノー博士顕彰碑前で没後30年記念祭。ジュノー博士の長男でトルコのスイス大使館参事官のブノワ・ジュノーさんも出席
1991/6/17
仏核実験に抗議し被爆者らが広島市の原爆慰霊碑前で座り込み。20日、旧山口県労評系の岩国地区センターも岩国市民会館前で座り込む
1991/6/18
広島市の平和記念公園で沖縄県が開く「6・23沖縄平和祭PALinOKINAWA」のシンボルとなる「平和の灯」の採火式
1991/6/18
米ミネソタ州のガスティバス大合唱団が広島市の原爆慰霊碑前で黒人霊歌「平和への証言」など合唱
1991/6/19
広島市で第5回「宗教と平和シンポジウム~世界の核被害者はいま」開く。社会学者の渡辺正治氏がチェルノブイリ原発事故による被曝者の実態を報告
1991/6/19
韓国誌「月刊朝鮮」が「北朝鮮から亡命の社会安全省元幹部が『平壌郊外の寧辺で核兵器開発のための核再処理施設を建設中』と証言」と伝える
1991/6/20
日本被団協中央相談所の肥田舜太郎理事長が、原爆の悲惨さと核兵器廃絶を訴え海外154都市を回った体験記「ヒロシマ・ナガサキを世界へ」(あけび書房)を出版
1991/6/20
原子力船「むつ」が太平洋上の2度目の実験航海を終え、1カ月ぶりに青森県むつ市関根浜港に帰港。原子炉連続運転時間は最長の417時間を記録
1991/6/22
長崎原爆被災者協議会(山口仙二会長)が長崎市内で結成35周年記念式
1991/6/22
ソ連スモレンスク市の楽団「ゴールデンリング」のメンバーが、広島市の原爆慰霊碑前で鎮魂歌「涙」など演奏
1991/6/22
第19回全国平和教育シンポジウム(日本平和教育研究協議会主催)が広島市で始まる。湾岸戦争をテーマにした報告目立つ
1991/6/23
広島大総合科学部の小林文男教授が「広島、長崎の原爆投下日を知っている学生は3割、日中15年戦争はゼロ」との1、2年生600人を対象にした調査結果を第19回全国平和教育シンポジウムで報告
1991/6/24
広島市の路面電車軌道の被爆石に観音像を刻み世界各国に贈る運動を進めている「ひろしま・祈りの石の会」が、第1号の贈呈先をペルーのフジモリ大統領に決め、犬養智子会長がペルー大使館を訪れ目録渡す
1991/6/24
ソ連ウクライナ共和国の子どもたちが描いた絵や手紙を集めた「チェルノブイリからの手紙・絵画展」が広島市で始まる。30日まで
1991/6/24
国際環境保護団体グリーンピースが、ムルロア環礁の仏核実験場から放射能が漏れているとして、欧州共同体(EC)に徹底調査を要請
1991/6/26
国連安全保障理事会が、イラクが国連調査団の核査察を拒否したとして緊急公式協議を開く
1991/6/27
スウェーデンのストックホルムで核戦争防止国際医師会議(IPPNW)第10回世界大会が開幕。平岡広島市長や碓井静照国際評議委員らも参加
1991/6/27
ソ連セミパラチンスクの核実験汚染を告発するドキュメント映画「ポリゴン」の一般公開を前にオラス・リムジャノフ監督が広島市を訪問。「ポリゴン」は東京で29日から、広島は7月27日から公開
1991/6/27
笠岡市や市議会など9団体で作る市非核平和都市宣言啓発実行委員会(岡田伸志委員長)が、(1)毎月第3日曜日を平和感謝デーとする(2)7月末から8月にかけ広島市へ親子平和バス運行-など事業計画決定
1991/6/27
南アフリカが核拡散防止条約(NPT)への加盟を決定したと発表
1991/6/28
国連によるイラク核査察団のケイ団長が「濃縮ウランを製造する器材を入れた疑いのあるコンテナを撮影しようとし発砲された」と発表▽ブッシュ米大統領は核査察拒否を「議論の余地のない停戦違反」と激しく非難▽国連安全保障理事会が緊急協議でイラクの妨害を非難する議長声明を採択、明石康事務次長ら高官3人の派遣決める
1991/6/28
原水爆禁止世界大会広島実行委員会など4団体が核兵器廃絶を訴え広島市内で網の目平和行進。700人が参加
1991/6/29
中国新聞が日本人記者として初めて北朝鮮の被爆者にインタビューした企画「北朝鮮の被爆者」を連載
1991/6/29
広島県被団協(佐久間澄理事長)が総会で、ヒロシマ・ナガサキ・アピール署名の推進や被爆二、三世の組織化など1991年度の運動方針決める
1991/6/30
原爆遺跡保存運動懇談会(杉本麗次世話人)が取り壊し計画のある広島大理学部や日銀広島支店など広島市内の被爆建物の実態を調べるフィールドワークを実施
1991/6/30
第19回広島県青年婦人平和友好祭実行委員会(県労センター青年連絡会議など8団体で組織)の「反核平和の火リレー」が広島市の平和記念公園をスタート。延べ1万人が県内86市町村を巡る

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