×

ヒストリー

ヒロシマの記録1990 6月


1990/6/1
米ソ首脳が史上初めて戦略核戦力を削減する戦略兵器削減交渉(START)に基本合意、年内の調印を共同声明で確認。合意内容は大陸間弾道ミサイル(ICBM)、潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)、空中発射巡航ミサイル(ALCM)、戦略爆撃機の総核弾頭を6,000発とし、戦略核兵器の保有量を最大50%削減。新たな核・宇宙軍縮を行う第2次戦略兵器削減交渉(START2)の開始合意も共同声明に盛り込む▽日本政府は「アジア地域にも影響を及ぼす」と評価、広島の被爆者らは「原点の願いが核超大国の首脳に届いた」と歓迎
1990/6/2
仏が南太平洋ムルロア環礁で地下核実験
1990/6/2
香港紙が「中国が米ソに次いで第2世代の地下水爆実験に成功」と報道
1990/6/3
日本被団協総会。被爆者援護法の年内実現を求める1,000万人国民署名推進を決める
1990/6/3
社会党系労組の青年ら120人が広島市の平和記念公園で核廃絶を求め全国を走る「反核平和の火リレー」の採火式
1990/6/3
荒木広島市長が仏核実験に抗議文
1990/6/4
被爆体験を持つ漫画家中沢啓治さんの原作・脚本による原爆アニメ「クロがいた夏」が完成し、東京で試写会。6日には広島でも
1990/6/4
「90国際宇宙平和会議」出席の米アポロ12号元司令官で月面に降り立ったチャールズ・コンラッドさんが平和記念館原爆資料仮設展示場を見学。「未来への平和を希望」と記帳
1990/6/4
日本被団協の伊藤サカエ、山口仙二代表委員らが参院に原爆死没者遺族への年金を盛り込む原爆死没者補償制度創設を要請
1990/6/5
「核軍縮を求める22人委員会」(座長、宇都宮徳馬参院議員)が非核三原則立法化のための要項発表。外国軍用機・艦船の着陸・寄港、通過に非核証明の事前提出を求める
1990/6/5
仏と中国の核実験に抗議し被爆者らが広島市の原爆慰霊碑前で座り込み
1990/6/5
平和利用から宇宙開発を探る「90国際宇宙平和会議」が2日間の日程で始まる。広島県など主催
1990/6/5
米下院が1950年代の大気圏核実験で被曝し、がんなどにかかった周辺住民の健康被害補償法案を可決、上院へ。補償額は1人当たり5万ドル、ウラン鉱山の被曝労働者は10万ドル
1990/6/5
米ホワイトハウスが米ソ首脳会談で合意した核・化学兵器・ミサイル拡散防止の共同声明を公表。すべてのミサイル生産・技術保有国に輸出規制を呼び掛け▽シェワルナゼ・ソ連外相が全欧安保協力会議(CSCE)で演説、中部欧州配備の核弾頭1,500個撤去を公表
1990/6/6
戦略兵器削減検証システムを共同研究する米ソ物理学者らが「核弾頭総数を互いに2,000個以下にするのは科学的に可能」と研究成果を発表
1990/6/7
広島、長崎の平和祈念式典に海部首相の出席確定。両式典への首相出席は11年ぶり
1990/6/8
仏が南太平洋ムルロア環礁で地下核実験
1990/6/8
ニュージーランドのパーマー首相が「われわれが聞きたいのは核実験停止の声明だ」と仏を非難。荒木広島市長が「世界の核軍縮への潮流に逆行する」と抗議文
1990/6/8
参院の野党6会派が被爆者援護法案を共同提出して1カ月。自民党の抵抗で審議入りのめど立たず
1990/6/8
ヒロシマ修学旅行を終えた山口市の湯田小児童が県原爆被害者福祉会館ゆだ苑の改修費を寄付
1990/6/8
世界保健機関(WHO)が、ソ連チェルノブイリ原発事故被災者対策としてロシア共和国オブニンスク市に「国際研究センター」設立へ。広島市の放射線影響研究所の重松逸造理事長も協力を表明
1990/6/8
ソ連外務次官がマレーシアで、アジア・太平洋地域での海軍と核戦力の軍縮を日米に呼び掛け
1990/6/10
広島市の原爆慰霊碑前で被爆者らが仏核実験抗議の座り込み
1990/6/10
中国新聞が「深刻な核被害国際救援訴え」とソ連カザフ共和国核被害者の特集ルポ掲載
1990/6/11
広島県原水禁がソ連チェルノブイリ原発事故被災者の治療に注射器200本と点滴器具1組を贈呈へ
1990/6/11
在韓被爆者の女性がソウル日本大使館前で農薬を飲んで自殺を図り重体
1990/6/11
「放射性廃棄物のずさん管理で被曝」と日系企業を訴えたマレーシアのペラ州反放射能委員会代表、ヒュー・ユンタさんら4人が広島を訪れ、被爆者から話を聞く
1990/6/11
広島県山県郡戸河内町の上殿小が広島赤十字・原爆病院に地元の山ユリを携え、40回目の慰問
1990/6/13
自民党が党本部で原爆被爆者対策小委員会。死没者への弔意を表すため原爆二法の改正検討へ 1990/6/13
オーストラリアの詩人で反核活動家ロス・クラークさんが、豪州の「核軍縮を求める人々」(PND)の活動記録を広島市の原爆資料館に寄贈
1990/6/13
米がネバダ核実験場で、米ソ戦略兵器削減交渉(START)合意後、初の地下核実験
1990/6/14
広島市の医師や宗教家、ジャーナリストら8人が韓国人原爆犠牲者慰霊碑の平和記念公園内移設問題を話し合う建立準備委員会を発足。市民の手で「韓国・朝鮮人原爆犠牲者慰霊碑」(仮称)の建立を申し合わせ
1990/6/14
荒木広島市長が米核実験に抗議文
1990/6/14
ソ連カザフ共和国の反核市民団体「ネバダ・セミパラチンスク運動」がオルザス・スレイメノフ議長ら12人の代表団を8月の原水禁世界大会に送ると原水禁国民会議に連絡
1990/6/14
浄土真宗本願寺派青年僧侶連絡協議会が広島市で青年僧侶全国大会を開催。核被害者に対する宗教者の役割を討議
1990/6/14
連合、原水禁(社会党系)、核禁会議(民社党系)の3団体が広島原爆の日に「被爆者援護法制定を求める広島集会」開催へ。1961年の核禁会議発足後、原水禁と核禁会議による初の共同行動
1990/6/15
広島県医師会の南米被爆者帰国治療第1号として広島赤十字・原爆病院に入院の山藤俊江さんが退院
1990/6/15
1958年の日米安保条約改定交渉で、当時のダグラス・マッカーサー駐日大使が米海軍艦船の通過・寄港は条約の事前協議対象外と通告していた-。NHKが入手した米外交機密文書で明るみ▽マッカーサー氏は共同通信の取材に「米側の立場を藤山愛一郎外相(当時)は了解」と明言し、核兵器の搭載有無にかかわらず米艦船寄港は協議対象外と強調
1990/6/16
13日の米核実験に抗議し、被爆者らが広島市の原爆慰霊碑前で座り込み
1990/6/16
アフリカ西部、マリ共和国大統領でムッサ・トラオレ元アフリカ統一機構(OAU)議長が広島市の原爆慰霊碑に参拝
1990/6/16
広島テレビが、報道特別番組「核汚染の原野・ソ連核実験場セミパラチンスクはいま」を放送
1990/6/17
原爆アニメ映画「まっ黒なおべんとう」が完成し、映画のモデルとなった母の折免シゲコさんが住む広島市佐伯区で試写会
1990/6/17
広島救援のスイス人医師マルセル・ジュノー博士をしのぶ初の記念祭。市民ら100人が広島市の平和大橋西側のジュノー碑前に集う
1990/6/18
外務省の松浦晃一郎北米局長が衆院安全保障特別委で、米艦船寄港は日米安保条約の事前協議対象外と認めたマッカーサー発言を否定
1990/6/18
トルコ・イスタンブール市が「手に平和を平和に向かって」と名付けたブロンズ像を広島市に寄贈。平和記念公園の広島国際会議場で除幕式
1990/6/18
広島の少年・少女の手記「原爆の子」(長田新編)が上下2冊の岩波文庫となり、刊行。1951年の単行本発行以来、部数は10万部を超え、世界10数カ国語で翻訳・出版
1990/6/19
ヒロシマ修学旅行で被爆者の体験を聞いた1989年度修学旅行生は1,209校、22万3,330人と前年度よりやや減少。広島平和文化センターなど調査
1990/6/19
野党6会派共同提出の被爆者援護法が参院社会労働委で趣旨説明。事前の与野党折衝で実質審議は見送り、被爆者対策の見直しで合意
1990/6/20
日本被団協の斎藤義雄援護法実現国民運動推進本部長が、参院社会労働委の理事懇談会で死没者補償を含む被爆者援護法の実現を要望
1990/6/20
米空母ミッドウェーが千葉県沖の太平洋上で爆発火災事故。反核市民グループが母港の米海軍横須賀基地前で抗議。死者は3人、負傷者15人
1990/6/20
原爆アニメ「原爆ドーム物語」が完成し、広島市内で試写会。語り手は俳優の田村高広さん
1990/6/21
米コネティカット州ステイプル校の生徒らが折った1,300羽の千羽づるが広島女学院高に届く。「太平洋を隔てて世界平和の祈りを込めつるを折ろう」との運動
1990/6/21
NHK特別番組「大江健三郎の思索ドキュメント世界はヒロシマを覚えているか」の広島ロケが原爆ドーム周辺で始まる
1990/6/21
岡山県の西大寺地方原爆者の会(妹尾要会長、167人)の「原爆被爆体験記」が完成
1990/6/21
「広島の犠牲者にささげる哀歌」と「チェルノブイリ」と題する米現代音楽家らのコンパクトディスク(CD)が日本で発売
1990/6/22
国際放射線防護委員会(ICRP)が米ワシントンで総会。放射線作業従事者の年間被曝線量限度を現行の50ミリシーベルトから20ミリシーベルトへ引き下げるよう国際原子力機関(IAEA)や各国政府への勧告を決める。広島、長崎の被爆者研究を基に低レベル放射線による発がんなどの危険率を再評価し、13年ぶりの勧告
1990/6/22
米紙ウォールストリート・ジャーナルが「ソ連政府が民族運動を警戒してバルト3国に配備の核弾頭をロシア共和国に移動」と報道
1990/6/23
日米新安保条約の批准書交換30周年。反核団体「ピース・リンク広島・呉・岩国」の調査では、呉港入港の核兵器搭載可能な米軍艦船は1971年以降52隻
1990/6/23
日本平和教育研究協議会主催の第18回全国平和教育シンポジウムが長崎市で開幕。「すべての子ども・青年にいのちと平和の尊さ」をテーマに300人が参加
1990/6/23
ロシア正教会の要請で世界キリスト教協議会(本部ジュネーブ)がソ連チェルノブイリ原発事故の被災地に米、仏、ドイツ、日本4カ国の医学者、社会学者ら6人を派遣。日本からは広島大原爆放射能医学研究所の佐藤幸男教授が参加
1990/6/23
長崎被災協(山口仙二会長)が高齢化する被爆者を総合的に援助する「長崎被爆者相談所」を開設 1990/6/24
米政府が1946年から70年にかけ、サンフランシスコ沖ファラロン諸島に投棄していた核廃棄物の海中漏れが明るみ。米海洋大気局(NOAA)の調査で判明
1990/6/24
北朝鮮の朝鮮社会主義労働青年同盟の代表団5人が原爆慰霊碑に参拝。「朝鮮半島の南にある米核兵器をアジアの平和のために撤去すべき」と語る
1990/6/25
作曲家の団伊玖磨さんが被爆40周年に創作した「交響曲第6番HIROSHIMA」がオーストリア・ウィーン交響楽団の演奏でCD化、発売
1990/6/25
ソ連チェルノブイリ原発事故の被曝者治療や放射能汚染地域の防護策を討論する「日ソ放射線影響研究に関する講演会」が東京で始まる。ソ連側が、広島・長崎の被爆データを基にした住民の避難基準を紹介
1990/6/25
広島市が被爆建物の保存可能性を探るため「原爆遺跡」の本格調査へ
1990/6/25
社会党広島県本部や広島県原水禁などが県に、米空母ミッドウェー爆発火災事故を受け核搭載疑惑艦船の呉港入港拒否を要請
1990/6/26
参院野党6会派が提出した被爆者援護法案の継続審議が決まる。日本被団協は「趣旨説明だけに終わったのは極めて遺憾」と声明発表
1990/6/26
ソ連南ウラル地方チェリャビンスク州のプルトニウム生産用軍事工場で1949年から52年にかけ大量の放射性廃棄物が川に流入。下流住民2万8,000人が被曝、うち37人が白血病に。「日ソ放射線影響研究に関する講演会」でソ連生物物理研究所チェリャビンスク支所のミイーラ・コセンコ臨床部長が公表
1990/6/26
仏がファンガタウファ環礁で地下核実験
1990/6/26
在日本大韓民国居留民団(朴炳憲団長)が韓国人原爆犠牲者慰霊碑の平和記念公園内移設に関し、碑文の全面削除に同意
1990/6/26
原爆資料館の展示内容などを討議する7つの市民団体の「今、平和公園のあり方を問うシンポジウム」実行委が荒木広島市長に出席を要請
1990/6/27
竹下虎之助広島県知事が「広島市の放影研や広島大原医研などの集積データを被曝者医療支援のため国内外に提供する体制づくりを進める」と表明
1990/6/27
仏核実験に荒木広島市長が抗議文(「広島市核実験抗議文書発信状況綴」)
1990/6/29
仏の核実験に抗議し、広島原水禁のメンバーらが広島市の原爆慰霊碑前で座り込み
1990/6/29
韓国人原爆犠牲者慰霊碑の移設問題について、在韓被爆者問題市民会議など東京や大阪、長崎の救援市民団体が現状のままの移設を広島市に申し入れ
1990/6/29
ソ連カザフ共和国セミパラチンスク核実験場での地下核実験が1993年に完全中止へ。国防省、実験場周辺の住民らが発表。ソ連保健省は63年以前の約1万人の健康被害を認める
1990/6/30
広島市内の教師らでつくる広島教育レクリエーション研究会が基町小の被爆エノキ保存運動を題材にした紙芝居を披露
1990/6/--
長崎市が原爆殉難者慰霊納骨堂の159柱の遺族捜しのため、ポスターを作製、全国に発送へ
1990/6/--
広島の被爆者で元国連財務官の河内朗さんが原爆投下を告発した「ヒロシマの空に開いた落下傘」を米で英訳出版。タイトルは「WhyISurvivedtheA‐BOMB」

年別アーカイブ