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ヒストリー

ヒロシマの記録1989 6月


1989/6/1
広島県原水禁、原水協がそれぞれ広島市に中曽根前首相の句碑撤去を要請
1989/6/3
隔年に広島、長崎市で開いている原爆後障害研究会が30回を迎えるのを記念し、広島原対協が作家の上坂冬子さんと陶芸家の藤原雄さんの講演会
1989/6/3
日本の戦争責任を考えようと「アジア・太平洋地域の戦争犠牲者に思いを馳せ、心に刻む会」が呼びかけた「マレー半島南部戦争追体験の旅」に参加した画家の吉野誠さん、語り部の沼田鈴子さんらが報告集会
1989/6/4
広島市で原爆後障害研究会。1957年にスタートし30年の被爆者検診について「全国被爆者検診の実態」をテーマに話し合う
1989/6/4
仏がムルロア環礁で地下核実験。ニュージーランド政府が発表
1989/6/5
荒木広島市長が仏核実験に抗議文。6日、被爆者らが原爆慰霊碑前で座り込み
1989/6/5
広島国税局が開局40周年を記念し、広島市の原爆ドーム保存募金に142万9,400円を寄付
1989/6/5
長崎の原子雲の高さは約1万メートル。「黒い雨に関する専門家会議」が発表。放射線医学総合研究所の丸山隆司第三研究室長らが写真から割り出す
1989/6/6
ヒロシマの戦後を描く広島市の新しい原爆記録映画「ヒロシマ・母たちの祈り」の撮影開始。小笠原基生監督ら日本映画新社製作
1989/6/6
米民間団体「政策研究所」(IPS)と国際組織グリーンピースが世界の海軍事故を発表。(1)米ソ両国の核艦船事故で行方不明の核兵器は50個。原子炉は9基。うち43個、6基はソ連(2)世界中で海軍艦船が搭載する原子炉は540基以上、配備核兵器は1万5,000個以上
1989/6/7
米カリフォルニア州サクラメント郊外のランチョセコ原発が、住民投票で閉鎖決まる
1989/6/10
日本テレビが原爆をテーマにした2時間ドラマ広島ロケ。旧広島県立第一高女をモデルにした「リトルボーイ・リトルガール」
1989/6/10
核実験に抗議する長崎市民の会(谷口稜曄会長)が4日の仏核実験に抗議し、平和公園で300回目の座り込み
1989/6/10
仏が仏領ポリネシア・ファンガタウファ環礁で地下核実験。ニュージーランド政府が11日発表
1989/6/10
核兵器廃絶と被爆者援護法制定を求め、広島県被団協(佐久間澄理事長)など77団体が広島市で「被爆者と県民のつどい」。600人が参加
1989/6/11
荒木広島市長が10日の仏核実験に抗議文。13日、広島県原水禁などが原爆慰霊碑前で座り込み。広島県大崎上島の大崎地区原水禁(小川丹治議長)も、1982年7月7日から座り込みを続け200回目
1989/6/12
広島県山県郡戸河内町、上殿小の児童が広島赤十字・原爆病院を山ユリ慰問。毎年続け40回目
1989/6/13
第7次在米被爆者検診団(団長・平田克己広島赤十字・原爆病院内科部長、7人)が出発
1989/6/16
1957年の「ウラル核惨事」は事実-。タス通信が報道。事故はソ連初のプルトニウム製造施設のキシュティム軍事施設で発生、長さ105キロ、幅8、9キロの地域に放射能が広がる
1989/6/17
「ヒロシマを語る会」(吉田博直代表)が広島市で「中高生とヒロシマを語る集い」。5月に訪問した韓国の被爆者らとの交流を報告
1989/6/17
大衆演劇のスター里見要次郎さんが出身校の宮島工業高校生らと、広島市内で原爆ドーム保存募金
1989/6/19
国際ソロプチミスト広島(後藤睦子会長)が広島国際会議場の完成を記念し、香川県在住の彫刻家流政之氏の作品「NEKINIKINSAI(ネキニキンサイ)」を広島市に贈る
1989/6/19
米の平和団体「平和のリボン」のジャスティン・メリットさんが14年ぶりに平和記念公園を訪問。世界各地からのリボンを披露
1989/6/19
北朝鮮平壌で開かれる第13回世界青年学生祭典に参加する被爆朝鮮人代表団(李実根団長、8人)が平和記念公園で平和の灯の採火式
1989/6/19
広島市の原爆ドーム保存募金が5,000万円を突破
1989/6/20
小泉純一郎厚相が参院社労委で「原爆死没者調査の結果を待ち、弔意を表す方法を検討」と表明
1989/6/20
北海道広島町が町ぐるみで原爆ドーム保存募金に協力を決める
1989/6/20
広島県原爆被爆教職員の会と広島平和教育研究所が、日本の中国侵略の歴史を描いたビデオ「続黒い足跡」を製作
1989/6/22
広島市の西本光男さんが爆心地から1キロで被爆したクロガネモチを広島市立観音小に寄贈
1989/6/22
米がネバダで地下核実験
1989/6/22
峠三吉氏の研究家などでつくる「被爆実態調査会」(山元敏之代表)が、「新編8・6少年少女詩集原子雲の下より」を亜紀書房から出版。1952年に出た旧編の121点中の65編に新たに見つかった未発表分を加え196編を掲載。原稿を発見した「広島文学資料保全の会」(好村冨士彦代表)が「無断出版」と抗議
1989/6/23
米エネルギー省が、マンハッタン計画以来核開発に従事した60万人の医療記録を研究者に公開へ
1989/6/23
荒木広島市長が22日の米核実験に抗議文。25日、広島県被団協の森滝市郎理事長らが、原爆慰霊碑前で座り込み
1989/6/25
広島大の藤井敏彦教授が広島市で開かれた全国平和教育シンポジウムで、大学生の戦争に関する知識について「平和教育を受けていても具体的な知識は乏しい」とアンケート結果発表
1989/6/26
核兵器を搭載したソ連原潜がノルウェー沖で火災。原子炉の冷却パイプが破裂。乗組員は無事。自力でソ連セベロモルスク基地へ
1989/6/26
米ソの核実験制限・禁止交渉第4ラウンドがジュネーブで再開
1989/6/26
原爆小頭症患者と親の会の「きのこ会」が広島市の原爆ドーム保存募金に10万円を寄付
1989/6/27
米がネバダで地下核実験。エネルギー省が発表
1989/6/27
米エネルギー省が核物質生産施設に地元当局者の立ち入り調査を認める。「開かれた施設」を目指す
1989/6/28
荒木広島市長が27日の米核実験に抗議文。30日、被爆者らが原爆慰霊碑前で座り込み
1989/6/28
広島市議会が広島市の8月6日の休日(事務休停日)の存続と、非核三原則を厳守し「核の危険から国民を守る」ことを国に要望する2つの意見書を可決
1989/6/28
東広島市と賀茂郡の被爆者や家族、遺族が東広島市の市福祉センター「松翠苑」に被爆資料の常設展示場をオープン。着衣や被爆瓦など約1,000点
1989/6/29
広島赤十字・原爆病院が窓ガラスの破片が突き刺さるなどした被爆病棟の壁と、爆風でゆがんだ窓枠などの部分保存決める
1989/6/29
町ぐるみで平和学習をと京都府夜久野町から町民ら21人が広島市を訪れ、原爆ドーム保存募金に協力
1989/6/29
ポーランドのアウシュビッツ国立博物館が広島県賀茂郡黒瀬町に永久貸与したユダヤ人犠牲者の遺品が粗末な扱いを受けているとして返還要求を決める
1989/6/--
広島平和文化センターが行っている「修学講習」(語り部の受講、映画観賞)が1988年度は13万8,802人で87年度の14万4,994人を下回る。語り部の談話受講は10万6,387人で87年度を上回り10万人を突破
1989/6/--
広島市を訪問した大韓体育会会長補佐の李宗沢さんが「兄の万寿一家5人が広島で被爆し全滅」と、広島市の原爆死没者名簿への記載を申請へ
1989/6/--
女優の香川京子さんが1円玉、5円玉をためヒロシマ・ナガサキ平和基金(代表、庄野直美広島女学院大教授)に送金を始め5年。テレビドラマで長崎の被爆者を演じ「被爆の後遺症に苦しむ人のために」と始める
1989/6/--
手記集「原爆の子」(長田新氏編)に手記を寄せた人たちでつくる「きょう竹会」(会長、早志百合子さん)が「続編」の刊行を計画
1989/6/--
広島県賀茂郡黒瀬町のアウシュビッツ平和記念館計画で、建設主体の「平和推進協会」が記念館建設を「倒産会社」に丸ごと下請け依頼
1989/6/--
東映が佐々木禎子さんの短い一生を描くテレビ映画「千羽鶴なぜ飛ばぬ」(仮題)を製作へ。舛田利雄監督。曽根由加、長山藍子さん出演
1989/6/--
兵庫県西宮市原爆被害者の会(小林秀雄会長)が呼び掛けた「平和の灯ろう交換」に海外10カ国から反響。米ウィスコンシン州ラクロス市にある「国際平和灯ろう交換プロジェクト本部」が1985年から始めた「国際灯ろう流しの日」(8月第1土曜日)に共鳴し始める

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