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ヒストリー

ヒロシマの記録1989 11月


1989/11/1
仏がムルロア環礁で地下核実験。ニュージーランド政府が発表
1989/11/1
アジア仏教徒平和会議日本センター歓迎委員会の招きで来日中のカンボジア・ベトナム仏教代表団5人が原爆慰霊碑と原爆供養塔で、犠牲者のめい福祈る
1989/11/1
荒木広島市長が10月31日の米、1日の仏核実験に抗議文
1989/11/1
米議会技術評価局(OTA)がネバダで実施している地下核実験は安全との報告書を議会に提出。「1970年から88年までに地上に漏れた放射性物質は5万4,000キュリーで51~63年の大気圏実験で地上に降り注いだ120億キュリー、ソ連チェルノブイリ原発事故で飛散した推定8,100万キュリーに比べてもわずか」
1989/11/2
日本政府のチェルノブイリ原発事故調査団の内田秀雄原子力安全委員会委員長らが調査結果を発表。「被曝住民58万人が登録され、追跡調査を受けている。事故対策に従事した消防団員らに被曝よりも精神的なショックやストレスで障害が出ている例がある」
1989/11/2
広島赤十字・原爆病院労組など7団体が、被爆建物として同病院の現状保存を病院側に申し入れ。病院側は「困難」と、1990年4月からの取り壊しを明らかに
1989/11/2
米(10月31日)、仏(1日)の核実験に抗議し、広島県高田郡吉田町役場前で同町原爆被害者の会(青崎順三会長)の47人が初の座り込み。3日、被爆者らが原爆慰霊碑前で座り込み
1989/11/3
ロンドンで開かれた「ロンドン廃棄物会議」で、米、ソ、英、仏、中の5カ国が老朽原子力潜水艦の海洋投棄をしないことで合意。インドは合意に加わらず
1989/11/4
ソ連の水爆の父で、ノーベル平和賞受賞者アンドレイ・サハロフ博士が広島市を訪れ原爆資料館を見学、原爆慰霊碑に参拝。「世界に何としても平和が必要なことを悲劇の街で強く感じた。広島の犠牲者の前で深く頭を下げたい」。パネルディスカッション「ヒロシマと世界を語る」に出席。発言要旨「ヒロシマへの原爆投下を知ったとき、人類は悲劇の時代に突入すると思った。ソ連の水爆製造にかかわった者としてヒロシマを訪れることは私の義務だった。…(核兵器)はある段階においては人類の全世界的破滅を防ぐ抑止力になった。しかし、その後、この抑止力は反対のもの、恐ろしい化け物になった」
1989/11/5
アウシュビッツ遺品問題で引責辞任した花房脩宗広島県黒瀬町長の後任町長に小林倫仁氏が当選
1989/11/5
広島の原爆被害をテーマにした米テレビ映画ディレクターのピーター・ワーナーさんが広島市を訪れ原爆資料館等を見学。川本義隆館長ら被爆者の声を聞く
1989/11/6
米週刊誌タイムが、ソ連国会議員から得た情報として「ソ連チェルノブイリ原発事故で漏れた放射能は従来発表されていた5,000万~8,000万キュリーの20倍の10億キュリーかそれ以上」と伝える
1989/11/6
厚生省の原爆被害者実態調査委員会(座長、重松逸造放影研理事長)が、1985年度実施の原爆死没者調査結果の集計、分析方法で意見交換
1989/11/7
外務省が在韓被爆者の渡日治療再開を断念。韓国側から再開を求める打診がなかったため。対策費4,200万円は「国際拠出金」名目で大韓赤十字社に送金、韓国原爆被害者協会の運用に任す
1989/11/8
日本被団協が「被爆者の死」(その2)を出版。1946年から85年までに死亡した被爆者の状況を収録
1989/11/8
ソ連の改革派週刊誌モスクワ・ニュースが「チェルノブイリ原発事故で従業員や汚染除去作業に従事した人のうち250人以上が死亡」と伝える。従来の公式発表死者は31人
1989/11/9
被爆者援護法制定を求め東京で日本被団協が11月中央行動総決起集会。全国から700人が参加
1989/11/10
ソ連カザフ共和国共産党と政府が、セミパラチンスク核実験場閉鎖を決める。「実験場周辺の環境は極めて危険な状態となっており、このままでは予測できない事態を引き起こす」
1989/11/10
被爆者援護法制定へ向け日本被団協が自民党の広島、長崎両県選出国会議員と懇談。休眠状態の同党の原爆被爆者対策小委員会の早期開催を要望
1989/11/11
核兵器廃絶運動連帯、原水禁国民会議、核禁会議など20団体で構成する実行委員会が主催し、東京で「国際平和東京フォーラム」。5カ国7人のパネリストの討論でアジア・太平洋地域の核軍縮の道を探る
1989/11/11
来日中のインドネシア勤労青年団体26人が広島市を訪れ、原爆資料館を見学、原爆慰霊碑に参拝 1989/11/12
国際平和東京フォーラムに続き広島市でも国際平和広島フォーラム。広島開催を呼び掛けた庄野直美広島女学院大教授が司会し米、ソ、中国、ニュージーランドの学者、平和運動家らが討論
1989/11/14
米の環境保護団体「天然資源保護協会」(NRDC)が、国防総省国防情報局(DIA)から入手した文書から「イスラエルが保有するジェリコ・ミサイルに核および化学弾頭を積載」と発表
1989/11/14
環境保護団体グリーンピースのジョシュア・ハンドラー氏が東京で記者会見。24年前の米空母タイコンデロガの航海日誌などを示し「核持ち込みは明白」
1989/11/14
参院の社会、公明、共産、連合参議院、民社、参院クラブの全野党が共同で原爆被爆者援護法案を提出。全野党共同提案は1985年以来
1989/11/15
米がネバダで地下核実験。エネルギ-省が16日発表
1989/11/16
米エネルギー省が下院内務委員会の公聴会で、マーシャル諸島ロンゲラップ島に対する「安全宣言」見直しに同意し、再調査の実施を約束。同島については1982年、レーガン前大統領が安全宣言
1989/11/16
被爆者援護資金にと、沖電気工業労組の志村信行委員長が広島市に82万円を寄付。1967年から毎年
1989/11/17
国連総会第1委員会で、メキシコなど非同盟諸国が提案した「1990年6月に地下まで含めた包括的核実験禁止条約を締結するための国際会議をニューヨークで開催する」との決議案を賛成多数で可決
1989/11/17
ソ連のルイシコフ首相がクレムリンで炭鉱労働者と会見し、セミパラチンスク核実験場の閉鎖要求に対し「年内は中止する。1990年1~3月の間に政府委員会で検討」と述べ、ソ連政府も正式に閉鎖を検討する方針を示す
1989/11/17
荒木広島市長が米核実験に抗議文
1989/11/17
ハワイ真珠湾で12月8日に「世界平和祈願追悼音楽大法要」を計画している愛媛大講師でシンセサイザー作曲家の西村直記さんが広島市の平和記念公園の「平和の灯」を採火。真珠湾で約1,800個の灯ろう流しへ
1989/11/18
広島市基町、NTT基町ビル一帯再開発のため「電気通信関係職員らの原爆慰霊碑」が100メートル北西に移転のため法要
1989/11/18
英画家のグラハム・クラークさんが「原爆ドーム募金に役立てて」と自作の絵「ダンス・フォア・ピース」を広島市に寄贈。広島市内の書店が開いた「ヨーロッパ近・現代美術展」出品のため来日
1989/11/18
広島市内の中学校19校約200人が市立観音中学で第2回「平和交流集会」。広島国際会議場では広島在住の留学生に被爆の実相を知ってもらおうと、広島市国際交流協会などが主催し第3回「留学生平和セミナー」
1989/11/18
韓国政府の保健社会部が在韓被爆者の医療費について、1990年度以降も無料化の方針を発表
1989/11/18
中国新聞がソ連最高会議代表団の一員として来日中のソ連初の反核団体「ネバダ・セミパラチンスク運動」議長のオルザス・スレイメノフ最高会議議員とインタビュー。「1990年5月にカザフ共和国アルマアタ市で反核世界大会を開く」と表明
1989/11/19
修学旅行で広島を訪れた大阪府立桃谷高校(通信制)の高校生50人も参加して、原爆慰霊碑前で15日の米核実験に抗議の座り込み
1989/11/20
中曽根元首相の提唱で設立し、リクルート事件で休眠状態になっていた世界平和研究所の新理事長に平岩外四東京電力会長(経団連副会長)を選出、財界が30億円の拠出決める。会長、理事長兼任の中曽根氏は会長に専任
1989/11/20
広島市で開くバレーボール・ワールドカップ89を記念し、国際バレーボール連盟が広島市に原爆ドーム保存募金2万ドルを寄付。募金額が3億円を突破。広島市はアコスタ会長に特別名誉市民称号を贈る
1989/11/20
長崎市の原爆資料館に「脱毛した子供たち」の説明で展示されている写真の子供が44年ぶりに、福岡、和歌山、岡山に住む3姉妹と判明
1989/11/20
中国電力上関原発の立地環境調査に、上関漁協も同意
1989/11/20
広島県黒瀬町が役場内に仮設していたアウシュビッツ遺品の仮展示室を閉鎖
1989/11/21
原爆ドーム保存募金への協力を自著「ヒロシマの鎮魂のために」で訴えた呉市の中森明さんが、広島市に50万円寄付
1989/11/21
広島市の平和団体「ヒロシマ・アウシュビッツ委員会」(桑原英昭会長)が、ポーランド・アウシュビッツ博物館に対し「委員会が16年前、黒瀬町に寄贈した遺品21点まで町がポーランドに送り返すのは不当」と善処を求め手紙(小谷鶴次副会長名)を博物館に送る
1989/11/21
荒木広島市長が21日の仏核実験に抗議文
1989/11/21
仏がムルロア環礁で地下核実験。ニュージーランド科学工業研究局が発表
1989/11/22
京都の原爆症認定訴訟で国側が申し立てていた東京移送について、京都地裁(吉川義春裁判長)が取り下げを勧告。国側もこれに応じる
1989/11/22
タス通信が「試験航海中のソ連初の本格大型空母トビリシは就役後も核を搭載しない」と報道。トビリシは65,000トン級、60機の艦載機を積める
1989/11/23
被爆者らが21日の仏核実験に抗議し、原爆慰霊碑前で座り込み
1989/11/26
広島県朝鮮人被爆者協議会の李実根会長に北朝鮮の被爆者から渡日治療を求める手紙7通が届く。平壌市の卞甲玉さん、張正哲さんら
1989/11/27
広島原爆投下機エノラ・ゲイと観測機の乗員ら5人が英テレビの撮影で広島を訪問。2日まで滞在。エノラ・ゲイ無線士のリチャード・ネルソン氏、観測機グレート・アーチスト機長で長崎原爆投下機ボックスカー機長のチャールズ・スウィニー氏、同乗員のフレドリック・ボック氏ら。英BBC放送と契約している独立プロダクションVATVの撮影で相生橋、広島赤十字・原爆病院などを訪ねる。戦後すぐに広島を訪れたことのあるスウィニー氏は「広島がこんなにきれいに復興したことがうれしい。原爆投下は命令だった」。12月2日、唯一のエノラ・ゲイ搭乗員ネルソン氏は中国新聞のインタビューを「広島に到着以来、心が動揺している」と断る
1989/11/27
広島市の平和記念公園の「全損保の碑」盗難事件で、広島地裁が右翼の男性に懲役8月、執行猶予3年の判決
1989/11/27
「ヒロシマ・ナガサキの修学旅行を手伝う会」の江口保さんらが広島市で開かれた全国同和教育研究大会で、参加の教師らに被爆アオギリの種子を配る
1989/11/28
荒木広島市長が28日の仏核実験に抗議文。30日、被爆者らが原爆慰霊碑前で座り込み
1989/11/28
仏がファンガタウファ環礁で地下核実験。ニュージーランド科学工業研究局が発表
1989/11/--
日本被団協が被爆者援護法制定を求め「被爆45周年国民運動」ポスター作る。原爆資料館に展示している男子中学生の「14歳の爪」をテーマに直爆死したその中学生が命を絶っていく様子を日本語と英語でつづる
1989/11/--
東広島市の原爆被爆資料保存委員会(五島正三会長)が、広島市と東広島市を除く広島県内の全市町村に被爆資料の常設展示を求める文書を送る
1989/11/--
福山市の耳鼻咽喉科病院で2年前からラジウム治療針が1本行方不明になっていることがわかる
1989/11/--
3年前から8月の広島で開かれている「HIROSHIMA87-97コンサート」が、会場難から1990年は東京開催に

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