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ヒストリー

ヒロシマの記録1987 1月


1987/1/1
広島市の英語教師ローレンス・ウィッグさんらが「国際平和年」の始まりに、平和記念公園の「平和の鐘」を鳴らす
1987/1/2
西ドイツ、英など西欧4カ国に配備されたパーシング2ミサイルと巡航ミサイル数が1年前より80基多い計316基に達した-とNATOが発表
1987/1/4
ソ連の反体制物理学者サハロフ博士が西ドイツの週刊誌「シュピーゲル」で「原子力は不可欠」と述べ、安全な原子力発電所の開発に参加の意向を初めて表明
1987/1/4
中国残留婦人訪日団の一行6人が広島を訪問。原爆資料館を見学、原爆慰霊碑に参拝
1987/1/5
「原爆に夫を奪われて」(神田三亀男氏編)をドイツ語訳した西ドイツのウォルフガング・シャモニさん夫妻が広島を訪問。証言集に登場する女性らと懇談
1987/1/6
ワインバーガー米国防長官が、レーダーに捕捉されにくいステルス巡航ミサイルの配備計画を明かす。1989年までに配備開始予定
1987/1/6
埼玉県狭山市の県立狭山清陵高校がヒロシマ学習の成果をつづった「修学旅行通信・合冊版」を、広島の被爆の語り部15人に贈る
1987/1/8
原爆劇を演じた京都市の私立光華中学校演劇同好会から、広島平和会館に「犠牲者を慰めて」と千羽づる届く。「原爆の子の像」にささげる
1987/1/8
欧州から輸入した食品から放射能検出。核分裂生成物のセシウム134、137で、1986年4月のソ連チェルノブイリ原子力発電所事故の影響と推定
1987/1/8
1986年アキバ・プロジェクト招請の米カンザス州ピッツバーグ「モーニングサン」のマックス・マッコイ記者が連載したヒロシマ特集「グラウンド・ゼロ」の記事が中国新聞ニューヨーク支局に届く
1987/1/8
広島市中区基町の被爆者藤枝良枝さんが、広島インターナショナル・スクールに贈るローマ法王平和アピール碑の写真を中国新聞社に寄託。建立協力への返礼
1987/1/9
中国電力の松谷健一郎社長が、需要低下による電源開発計画見直しを発表。原発計画は推進
1987/1/9
厚生省が、トルコ産輸入ナッツから放射性物質セシウム134、137を検出。ソ連チェルノブイリ原子力発電所事故による汚染と推定
1987/1/9
米ABCテレビが、核戦争の恐怖を描いたテレビ映画「ザ・デイ・アフター」(1983年製作)のソ連放映を明らかにする。ノーカット放映など条件
1987/1/10
広島市の御幸橋の被爆石が東京・葛飾区役所に着く。同区の被爆者の会「葛友会」が譲り受け区に寄贈。「非核平和祈念モニュメント」に使用
1987/1/11
チェルノブイリ原子力発電所事故の被曝者治療のため日本の医療を視察するソ連原発事故医療・治療研究調査団が来日。保健省付属医療技能向上中央研究所のアンドレイ・ボロビョフ教授を団長に5人。12日、広島入り。13日から16日まで広島大原医研、放影研、広島原爆病院などで専門家と意見交換。21日帰国
1987/1/12
スウェーデン国立防衛研究所が核実験の暫定統計を発表。1986年1年間の実験回数は計21回(85年30回、84年55回)で、60年以来最低。ソ連が85年7月から実施している一方的核実験停止のため。国別では米12回、仏8回、英1回
1987/1/13
レーガン米大統領が、米ソで調印しながら未批准の2つの地下核実験制限条約批准を上院に要請
1987/1/15
米国防総省が、新型の潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)トライデント2(D5)の初発射実験に成功と発表
1987/1/16
ソ連が米ソ戦略核兵器数を公表。戦略ミサイルの核弾頭・長距離爆撃機は米1万4,800、ソ連1万 1987/1/16
広島県原水禁など6団体が、広島市に韓国人原爆犠牲者慰霊碑の平和記念公園内移設申し入れ
1987/1/16
ソ連のニコライ・ソロビヨフ駐日大使が広島を訪問。荒木市長にゴルバチョフ書記長の親書を手渡す。親書は「米が同調すれば再び核実験を凍結」。原爆資料館を見学、原爆慰霊碑に参拝
1987/1/16
日本原水協が非核自治体づくり運動の全国活動者会議を川崎市で開く。自治体の非核宣言運動の強化を申し合わせ
1987/1/17
米潜水艦発射弾道ミサイル・トライデント2(D5)の発射実験に抗議し、実験場のフロリダ州ケープカナベラル空軍基地周辺で4,000人がデモ。128人逮捕
1987/1/19
米、英、オーストラリアが核兵器事故などに対処する秘密演習を3年前から進めていたことが明るみに。米ワシントンの民間研究機関インスティテュート・フォー・ポリシー・スタディーズのウィリアム・アーキン氏が入手した米国防総省文書から判明
1987/1/19
広島の被爆者10人が米ソ核開発競争に抗議し「核戦争阻止・核兵器廃絶・核実験即時全面禁止ヒロシマ被爆者緊急アピール」を発表。広島県原爆被爆教職員の会の石田明会長、同県朝鮮人被爆者協議会の李実根会長ら。22日、両国大使館を訪ね要請文を手渡す
1987/1/20
広島県原水禁が常任理事会で1987年運動方針決める。(1)被爆者援護法の制定(2)アジアの非核化(3)第1回核被害者世界大会(9月、ニューヨーク)への代表派遣-など
1987/1/21
中国の上海市青年連合会の幹部ら4人が広島を訪問。原爆資料館を見学、原爆慰霊碑に参拝
1987/1/21
来日中のブラジル・サンパウロ市の日本語学校「松柏学園」生徒らが広島を訪問。広島「折鶴の会」と姉妹縁組を決める
1987/1/21
クロウ米統合参謀本部議長が上院軍事委員会公聴会で「戦略防衛構想(SDI)に基づく新兵器配備は早くて1990年代半ば以降」と証言
1987/1/21
電気事業連合会が「1986年1年間の総発電量に占める原子力の割合が29%と史上最高」と発表
1987/1/24
長崎県被爆者手帳友の会が被爆二、三世実態調査(対象1,200人)の中間発表。回収360人の三分の一が健康障害を訴え
1987/1/26
英の原子力発電所公聴会の調査委員会が英政府に対し、同国初の加圧水型軽水炉のサイズウェル原発の建設促進を勧告する報告書
1987/1/26
広島県原水禁が広島市内2カ所で、米ソ両国に核実験停止を訴える手紙運動のビラ配布
1987/1/26
日本被団協の事務局が東京・港区新橋から同区芝大門に移転
1987/1/27
国際原子力機関(IAEA)が「1986年に世界中で操業開始した原子力発電所は21基で、計394基が稼働中」と発表。「チェルノブイリ原発事故にもかかわらず、世界の原発は順調な発展」と見解
1987/1/27
米下院議員100人がレーガン大統領に、2月5日にネバダで予定の核実験の無期限延期を要請
1987/1/27
米ネバダ核実験36年目。原爆慰霊碑前など広島県内19カ所で座り込み。約1,000人が参加。米ネバダ実験場周辺では市民200人がデモ、72人逮捕
1987/1/28
広島平和文化センターが1986年度の活動をまとめた「平和の推進1986」を発行。被爆写真パネル展は全国86会場、海外ではソ連ボルゴグラード市とバチカンで開催。資料貸し出しは25件と過去10年間で最高
1987/1/30
ヒロシマ被爆者緊急アピール(19日)を発表した広島の被爆者グループが、米下院議員に連帯メッセージ
1987/1/30
米ネバダ核実験(2月5日予定)に抗議し、ニューヨーク州グラフトン市在住の日本山妙法寺の安田じゅん法尼(東京・中野区出身)が、平和記念公園の原爆慰霊碑前で座り込み断食を開始。2月5日まで
1987/1/31
9月にニューヨークで開催の第1回核被害者世界大会の日本実行委員会が発足。発起人に森滝市郎広島大名誉教授、詩人の栗原貞子さん、日本被団協の伊藤サカエ代表委員ら62人。被爆者ら50人の代表団派遣準備を進める
1987/1/--
「ネバーアゲイン・キャンペーン」(NAC・北浦葉子事務局長)のため米に派遣された民間の6人が原爆映画上映など活動を広げる
1987/1/--
広島市西区の三篠公民館が住民の被爆体験記「水!水!」第4集を発行。大芝婦人会員12人の手記
1987/1/--
1986年度ノーベル平和賞受賞者で作家のエリ・ウィーゼル米ボストン大教授が提唱した「人類のためのヒロシマ会議」開催準備が進む。賞金を基に基金設立手続き
1987/1/--
広島平和文化センターが1988年度から、被爆直後の広島へ調査に入った米マンハッタン管区調査団の資料収集、整理を計画。原爆被害の空白を埋める
1987/1/--
広島平和記念都市建設法(1949年8月6日公布)の制定経過を示す資料を、法案起草者の弁護士寺光忠さん(東京・世田谷区)が広島市に寄贈。第1~5次案やGHQに提出した英文案など37点。市は一般公開へ

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