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ヒストリー

ヒロシマの記録1987 2月


1987/2/1
広島YMCAで、非核憲法の存続問題で揺れるベラウ(パラオ)共和国の子供たちの「平和の絵」展開く。「ピース・ボートひろしま」が現地訪問で集めた40点。10日まで
1987/2/1
中国の新華社通信が「中国は既に核攻撃に反撃する防衛網建設を完了」と報じる
1987/2/1
広島で被爆した漫画家中沢啓治さんの原爆漫画「はだしのゲン」が連載開始から14年ぶりに完結。1973年6月から「少年ジャンプ」に1年半連載。その後、市民運動の月刊誌や評論雑誌などに続編。最終回は日教組の機関紙「教育評論」2月号(2月1日発行)。75年から出版の単行本も3月初め、第10巻を刊行し完結
1987/2/2
欧州核兵器廃絶グループ(END)が「世界22カ国の反核運動代表を集め、英コベントリー市で7月14~19日間、第6回反核運動年次大会を開催」と発表
1987/2/2
広島市立観音中学の生徒会が同市中区河原町にある前身の「市立第二国民学校」慰霊碑を初清掃
1987/2/2
在ニュージーランド米大使館が「6月に期限切れのニュージーランド政府への兵たん援助覚書を更新しない」方針を発表。米艦船寄港拒否への対抗措置
1987/2/2
核実験全面禁止などを求める「ヒロシマ被爆者緊急アピール」を発表した広島市の被爆者グループに、ソ連ゴルバチョフ書記長から「核兵器廃絶に努力」と返書。原爆慰霊碑前の核実験抗議の座り込みで紹介
1987/2/2
米が5日に予定の核実験に抗議し、広島市の被爆者や市民70人が小雨の原爆慰霊碑前で座り込み
1987/2/3
ジュネーブ軍縮会議の春会期が開幕。核実験禁止をめぐり議論
1987/2/3
ミッテラン仏大統領が「独自の核戦力が有効な抑止力になっている」と強調。核実験続行を言明
1987/2/3
ソ連タス通信が米核実験を速報。「ソ連の核実験停止への同調呼び掛けを無視」と非難
1987/2/3
米エネルギー省が「ネバダで地下核実験を実施」と発表。5日の予定を繰り上げ。1951年の初実験から通算815回目。反核組織「アメリカ・ピース・テスト」の約1,000人が実験場侵入を図り5人逮捕
1987/2/4
荒木広島市長が米核実験に抗議電報。ソ連の駐日大使にも電報で核実験凍結続行を要請
1987/2/4
広島県原水禁が米核実験に抗議アピールを発表。同県原水協はレーガン米大統領に抗議電報
1987/2/4
「ヒロシマ被爆者緊急アピール」を出した広島市の被爆者グループが、核実験を強行したレーガン大統領に抗議声明を送ることを決定。5日には広島市中心部で抗議の街頭署名
1987/2/4
米下院民主党が核実験を非難。今後の実験凍結と米ソ核実験禁止交渉を求める決議
1987/2/4
中曽根首相が参院本会議で、被爆者援護法制定について「一般戦災者との均衡上、問題がある」と改めて否定的見解
1987/2/4
マーカウスキ米上院議員(共和党)が、核実験に従事した被曝退役軍人や遺族への補償法案を提出
1987/2/4
ライト米下院議長ら下院民主党指導者がレーガン大統領に書簡を送り「戦略防衛構想(SDI)の早期部分配備は弾道弾迎撃ミサイル(ABM)制限条約に違反」と強調。早期配備を推進する国防総省に抵抗するよう要請
1987/2/5
名古屋大学の平和憲章制定宣言集会が名古屋市で開会。全国の大学で初めて「平和憲章」を制定。軍事研究との絶縁や平和社会建設への大学の使命をうたう
1987/2/5
米の血液学の権威ロバート・ゲール博士がイタリアで記者会見。「ソ連チェルノブイリ原子力発電所事故でこれまで31人が死亡。高レベル放射能を浴びた15万人の市民には生涯、定期的な検診が必要」
1987/2/5
九州電力が建設中の玄海原子力発電所3、4号機について、需要に応じて出力調整できる「需要変動追従型」とすることを明らかにする。同種は全国初
1987/2/5
米国務省が「南太平洋非核地帯条約の議定書署名を拒否」と発表。「核抑止力を損なう」が理由
1987/2/5
米ネバダ核実験場で、核実験に抗議し約1,200人がデモ行進。環境保護団体グリーンピースのメンバーが熱気球で上空から侵入。排除される
1987/2/6
米原子力規制委員会が、ソ連チェルノブイリ原発事故の影響について「ソ連、欧州諸国のがん死者は今後70年間で約1万4,000人増える」と予測
1987/2/6
来日中の韓国記者団8人が原爆資料館を見学、原爆慰霊碑に参拝
1987/2/6
米テキサス州の私立セントメリーズ大学で9月の新学期から「平和学講座」開講が決まる。広島市の被爆者芝間タヅ、山岡ミチコさんの米平和行脚(1月10~24日)がきっかけ
1987/2/6
厚生省が、トルコから輸入した香辛料の月桂樹の葉とフィンランド産の冷凍牛から基準値を上回る放射性物質セシウム134、137を検出。ソ連チェルノブイリ原子力発電所事故による汚染と推定
1987/2/6
米核実験に抗議し、原爆慰霊碑前で被爆者、市民ら100人が座り込み。夕方には同所で広島県原水禁や広島県労会議が集会
1987/2/7
カトリック広島司教区と広島カトリック平和を願う会が、米ワシントンの全米カトリック司教協議会に「核実験中止と核兵器廃絶」をレーガン政権に働き掛けるよう要請する手紙を送付
1987/2/7
原爆で一人息子を奪われ、半生を反原爆、反戦に生きた「反戦被爆者の会」会長の小西ノブ子さん(広島市西区草津東3丁目)が死去。80歳
1987/2/8
日本被団協が高齢化した被爆者運動再構築のため「長期活動展望」の策定決める。検討委員会を設け具体化へ
1987/2/11
広島県高校生平和ゼミナールが広島市内で第10回記念集会。記念反核ソング「ヒロシマ・スチューデンツ・アピール」を披露。3月1日、録音テープと楽譜を米歌手ピート・シーガーさんらに発送
1987/2/11
米エネルギー省が「ネバダで11日、この年2回目の地下核実験」と発表
1987/2/12
荒木広島市長が米核実験に抗議電報。米へは通算150回目。14日、被爆者らが原爆慰霊碑前など広島県内27カ所で抗議の座り込み
1987/2/12
第2回広島・長崎宗教者平和会議が広島で開会。神道、仏教、キリスト教などの代表約40人が参加。「宗教間のエゴを克服し、幅広い平和運動を広げよう」とのアピール採択
1987/2/12
ソ連科学アカデミー社会学研究所が核戦争や核軍縮問題に関するソ連初の世論調査結果を発表-。モスクワ放送が伝える。1,066人にアンケート。93%が「ソ連は先制核攻撃しない」、88%が「核兵器が使用されれば全面核戦争は避けられず」
1987/2/13
厚生省が、スウェーデン産トナカイ肉から基準値を上回る放射性物質セシウム134、137を検出。ソ連チェルノブイリ原子力発電所事故の汚染と推定
1987/2/13
原爆開発のマンハッタン計画に参加した米科学者のヘンリー・B・ハス博士がニューヨーク州マンハセットで死去。85歳
1987/2/13
1987年アキバ・プロジェクト招請の米ワシントン州リンウッド市の「ヘラルド紙」社会部長ジョセフ・コープランド記者の連載リポート「ヒバクシャ」が中国新聞ニューヨーク支局に届く
1987/2/14
モスクワで国際平和会議「核のない世界と人類の生存のために」が開幕。1986年末に国内流刑を解かれたソ連反体制物理学者サハロフ博士が出席。「核軍拡競争が進めば人類は破滅」と核兵器廃絶を訴え。核戦争防止国際医師会議(IPPNW)日本支部の横路謙次郎事務総長(広島大原医研教授)や広島出身のバレリーナ森下洋子さんも参加。16日まで
1987/2/15
「ヒロシマ被爆者緊急アピール」を発表した広島市の被爆者ら15人が広島市内で、米核実験即時停止とソ連の実験凍結延長を求める街頭署名
1987/2/16
四国電力の伊方原子力発電所2号機(愛媛県西宇和郡伊方町)を立ち入り調査した同県が、異常の早期発見など安全確保に努めるよう指示。定期検査中に故障が相次ぎ、12日から2日間、県と伊方町が立ち入り調査
1987/2/17
原爆文学などの資料収集、保存を広島市に要請する「広島の文学資料保全を進める会」が発足。会長に沖原豊広島大学長。ヒロシマ文学館建設を市に求める署名活動開始へ
1987/2/17
レーガン米大統領が「一連の地下核実験は戦略防衛構想(SDI)計画の一環」と初めて公式確認
1987/2/17
日本原子力発電会社の敦賀原発2号機が予定より約1カ月早く営業運転開始。国内の原発は高速増殖原型炉「ふげん」を含め34基、福井県内は12基目
1987/2/18
ソ連国営テレビがチェルノブイリ原発事故(1986年4月)に関する記録映画「警告」を放映。「住民への情報伝達の大幅な遅れが被災を拡大」と解説
1987/2/19
被爆語り部グループ「ヒロシマを語る会」の原広司さん(広島市安芸区矢野西5丁目)が、日本最北端の村、北海道宗谷郡猿払村の鬼志別小学校などへ語り部の旅に出発。国鉄退職を機に本格活動
1987/2/19
広島市内の被爆者や在日朝鮮人ら100人が米韓合同軍事演習チームスピリット87に抗議し、原爆慰霊碑前で座り込み
1987/2/19
中曽根首相が広島市の平和記念式典に出席の意向を表明。「機会があれば行く」
1987/2/20
原水禁国民会議が常任執行委員会で、今夏の原水禁大会を「世界大会」の名称で開催する方針打ち出す。27日、静岡市での全国代表者会議で正式決定。日本原水協と2つの「世界大会」に
1987/2/21
「神奈川県民のいのちとくらしを守る共同行動委員会」(本部横浜市、大園房雄代表)が核積載の可能性が高い米艦船リスト「非核コード」を作成。135隻をリストアップし、反核団体や市民の照会に応じる
1987/2/22
「原発はごめんだヒロシマ市民の会」(木原省治代表)が広島市内で「チェルノブイリ事故から10カ月-ソ連原発事故後の地球」と題する反原子力発電の集会開く。事故後、欧州各国の対応を視察した埼玉大の市川定夫教授が「影響は10カ月後も地球的規模で継続」と講演
1987/2/22
「第1回国際平和交流のつどい」が長崎市平和会館で開会。300人が参加。財団法人長崎平和推進協会が設立4周年で企画
1987/2/23
来日中のオーストリア国立ウィーン音楽大合唱団が広島を訪問。原爆慰霊碑前で犠牲者のめい福を祈り合唱、原爆資料館を見学
1987/2/24
カナダ国防省が「米がカナダ北部で巡航ミサイルの空中発射実験に成功」と発表
1987/2/24
米民間調査研究機関「カーネギー国際平和財団」が年次報告書「核武装の進行」を発表し、中東、南西アジア、南アフリカで核兵器拡散が進行中と警告。「イスラエルは核戦力保有の可能性が強い。南アとパキスタンは核兵器技術を開発中。南アは1980年から81年に開発に成功したが実験は行わず」と報告
1987/2/24
「ヒロシマ・アピールズ・ポスター」(広島国際文化財団主催)の第5回作品制作者にグラフィックデザイナー永井一正さん(東京・港区)が決まる
1987/2/25
カトリック広島司教区がローマ法王ヨハネ・パウロ二世の広島訪問6周年を記念し、平和記念公園で「平和を祈る集い」開く。50人が参加
1987/2/26
荒木広島市長がソ連核実験に抗議電報。28日、原爆慰霊碑前など27カ所で被爆者らが座り込み
1987/2/26
国連総会のチョウドリ議長が広島を訪問。原爆資料館を見学、原爆慰霊碑に参拝。広島平和記念館での「歓迎の集い」でソ連核実験再開に抗議するヒロシマアピール発表
1987/2/26
ソ連タス通信が「ソ連は26日、セミパラチンスクで核実験を実施」と発表。1985年8月から停止していた実験を1年7カ月ぶり再開。ソ連の核実験発表は初。ソ連国防省が記者会見。「米が実験を続けるため、やむなく再開」
1987/2/27
社会、公明、民社の野党3党が「ソ連核実験再開は遺憾」と談話
1987/2/27
原水禁国民会議の「アジア・太平洋の非核化をめざす全国集会」が静岡市で開会。500人が参加。核実験全面禁止、米戦略防衛構想(SDI)中止など求めるアピール採択。ソ連核実験再開に反対声明
1987/2/27
映画監督の亀井文夫氏が東大病院で死去。78歳。長崎の被爆者を描いた「生きていてよかった」、死の灰の恐怖を追求した「世界は恐怖する」など製作
1987/2/28
日本原水協の「ビキニ水爆実験被災33周年記念反核集会」が焼津市で開会。1,200人が参加。被爆者援護法制定や反核署名の推進など決議
1987/2/28
ソ連ゴルバチョフ書記長が米に、欧州配備の中距離核戦力(INF)削減の先行合意を呼び掛ける新軍縮提案を発表。欧州INFは1986年10月、5年以内全廃で米ソが実質合意したが、ソ連が宇宙兵器などとの一括合意を主張し進展せず。新提案で一括合意を撤回
1987/2/--
日本原水協が写真集「ドキュメント1945→1985」を出版。40年間の原水禁運動の記録写真310点
1987/2/--
広島女性史研究会が「ヒロシマの女たち」を発刊
1987/2/--
広島市の平和大通りの樹木約1,400本の種類、配置をまとめた図鑑「平和大通り樹木のしおり」を竹屋公民館の「樹の会」(安田房子会長)が出版
1987/2/--
広島県賀茂郡黒瀬町で、アウシュビッツ平和記念館建設のための寄付金約3,000万円が正規の歳入に組み込まれていないことが判明。町長の裁量で一部を支出

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