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ヒストリー

ヒロシマの記録1987 9月


1987/9/1
財団法人「ヒロシマ・ピース・センター」(鶴襄理事長)が1987年度の第1回「谷本清平和賞」受賞者にノーマン・カズンズ氏を選び、授与式。カズンズ氏が「平和の探求」と題し講演
1987/9/1
放射線影響研究所と前身のABCCに通算38年間勤務した放影研前総務部長マイケル・ラパポート氏に厚生大臣感謝状。オーストラリア国籍で1946年、英連邦軍の一員として来日、49年3月からABCC勤務
1987/9/2
スウェーデンの女性テキスタイル・アート作家のシャスティン・オールスンさんとベーリット・ヤンスビックさんが、広島市で平和をテーマに作品展「命-絵と詩による広島と長崎」開く
1987/9/2
ソ連カザフ共和国で核実験禁止の検証研究のため、ソ連科学アカデミーと米の天然資源保護協会が共同で3回の通常火薬の爆発実験
1987/9/4
ニューヨークで開く第1回核被害者世界大会の広島県代表団に森滝市郎広島県被団協理事長、桑原千代子広島市原爆被害者の会理事長、小倉桂子ヒロシマ通訳者グループ代表ら11人が決まる。18日、壮行会
1987/9/7
8月にモスクワを訪れ発表した「被爆者緊急アピール」に、ソ連のゴルバチョフ共産党書記長が回答。「アピールにある核実験禁止など3点はソ連の政策と同じで優先的に取り組んでいる」
1987/9/7
広島大原医研の鎌田七男教授らが日本癌学会で「健康な近距離被爆者にも活性化したがん遺伝子が存在することがある」と発表。DNAレベルでの異常発見は初
1987/9/9
長崎平和推進協会が被爆体験のビデオ収録を始める(「長崎年表」)
1987/9/9
国連軍縮局など主催の「核兵器-現代世界の脅威展」の国内展示が横浜市で開催
1987/9/14
ジュネーブ軍縮交渉で米が中距離核戦力(INF)と短距離核双方の「ダブルゼロ・オプション」を盛り込んだ新条約案を正式提示
1987/9/14
核禁会議の第14次在韓被爆者診療医師団が広島を出発。広島県山県郡加計町の加計町国民健康保険病院の岸明宏院長、防府市の三田尻病院の神徳通也院長ら
1987/9/15
ブラジルのグループが「世界よ目を覚ませ平和のために」とグリニッジ標準時15日午後2時(日本時間午後11時)、世界一斉に平和の音を鳴らそうと呼びかけ。「平和のためのヒロシマ通訳者グループ」も平和記念公園で「ピースサウンド87」
1987/9/15
国連が国際平和年に多彩な活動を繰り広げた団体に贈る「平和メッセンジャー」に「広島平和文化センター」が選ばれ、証明書の授与式。国内では他に長崎平和推進協会、日本原水協、創価学会インターナショナル、立正佼成会、日本国連協会が選ばれ、世界では約300団体
1987/9/15
ワシントンで米ソ外相会談。シェワルナゼ・ソ連外相とシュルツ米国務長官が偶発戦争防止を目指す「核戦争危機軽減センター」設置協定に調印
1987/9/16
南太平洋の島国バヌアツのジョージ・ソコマヌ大統領が原爆資料館を見学、慰霊碑に参拝
1987/9/16
京都府綾部市の重複障害者授産施設「いこいの村栗の木寮」の入所者と職員63人が、広島市の平和記念公園を訪れ平和学習
1987/9/18
ソ連がセミパラチンスクで地下核実験。「軍事技術の向上のため」。タス通信が報道。スウェーデン国防省の観測所は17日にも同実験場で地下核実験のものとみられる地震波を観測
1987/9/18
荒木広島市長がソ連核実験に抗議電報
1987/9/18
チリの映画監督でスペイン亡命中のミゲル・リティンさんが原爆慰霊碑に参拝、資料館を見学
1987/9/18
レーガン米大統領が「米ソは中距離核戦力(INF)全廃で原則合意」と発表。実現すれば史上初の核削減
1987/9/19
レーガン米大統領がラジオ演説で「戦略防衛構想(SDI)は放棄しない」と強調
1987/9/20
被爆者らが18日のソ連核実験に抗議し原爆慰霊碑前で座り込み
1987/9/22
日本原子力研究所が青森県むつ市大湊港に係留中の原子力船「むつ」から放射性廃棄物を陸揚げ 1987/9/22
クレムリンと米議会をテレビで結び、米議員(ナン、アスピン上下両院軍事委員長ら)とソ連高官(アフロメーエフ軍参謀総長ら)が核軍縮を討論。米ABC放送とソ連国家ラジオ・テレビ委員会が主催
1987/9/24
米がネバダで地下核実験。エネルギー省が発表
1987/9/24
米上院本会議が1キロトン以上の地下核実験2年間凍結を求める法案を否決
1987/9/24
ニューヨークで開かれる第1回核被害者世界大会の日本代表団55人(団長、森滝市郎原水禁国民会議代表委員)が日本出発
1987/9/25
米ユタ州ソルトレークシティーで米議会地下核実験問題小委員会の公聴会。カール・ジョンソン博士が「地下核実験はこの25年間で広島型原爆80個分、約6,500万キュリーの放射能を大気中に放出」と証言
1987/9/25
広島市の荒木市長が米核実験に抗議電報
1987/9/26
ニューヨークで第1回核被害者世界大会始まる。世界30カ国から300人の核被害者と科学者らが参加。森滝市郎日本代表団長が「世界の被害者が手を取り合って、自然と共存した愛の文明を創造しなければならない」と訴え。広島市の桑原千代子さんも被爆体験を語る
1987/9/26
平和のための瞑想運動を提唱しているインド生まれのシュリ・チンモイ氏が広島平和記念館で「ピースコンサート」。1年8カ月ぶり、3回目
1987/9/27
広島県原水禁や被爆者らが24日の米核実験に抗議し、原爆慰霊碑前で座り込み
1987/9/27
米「水爆の父」エドワード・テラー博士がサクラメント・ビー紙のインタビューに「原爆開発は不可避だったが、大戦終結に有効な他の方策を模索しないまま原爆を使用したのは、当時のトルーマン大統領が犯した数少ない誤りの一つ」と語る。「投下前、例えば東京湾上空で模擬爆発を試み日本の降伏を説得すべきだった」
1987/9/28
「レーガン米大統領が就任2カ月10日後に遭った暗殺未遂事件の際、緊急核攻撃用の大統領の暗号カードが、証拠品として連邦捜査局(FBI)の手に」-。ワシントン・ポスト紙のボブ・ウッドワード記者が新著「隠されたCIAの秘密戦争」で暴露
1987/9/28
ニューヨークで開かれている第1回核被害者世界大会でニューヨーク市大の中川保雄客員教授が「旧ABCCの広島の被爆影響評価には被爆直後5年間の数値が入っておらず、過小算定」と指摘
1987/9/29
「核時代と宗教者」をテーマに広島市で「宗教と平和シンポジウム」。50人が参加
1987/9/29
フラメンコバレエのアントニオ・ガデス氏が原爆慰霊碑に参拝
1987/9/30
米アラスカ州のカウバー知事が「ヨーロッパから日本へのプルトニウム空輸は安全性に不安」と、環境影響評価を終えるまで日米原子力協定に大統領署名をしないようアンカレッジ連邦地裁に提訴
1987/9/--
広島市安佐北区安佐町、日浦中学の生徒が原爆に奪われた生命を実感しようと、20万人分の顔写真集め
1987/9/--
渡米治療を受けた25人の原爆乙女の一人、武谷田鶴子(旧姓柴田)さんが「カズンズ夫人との再会」と題し中国新聞に寄稿
1987/9/--
原爆詩人峠三吉氏のおい、三戸頼雄さん方で三吉氏の大量の日記や草稿見つかる。「ちちをかえせ/ははをかえせ」の原型と見られる草稿「生」も

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