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ヒストリー

ヒロシマの記録1987 10月


1987/10/3
ソ連がカザフ共和国アクチュビンスクで地下核実験。「経済目的のため」。タス通信が伝える
1987/10/4
荒木広島市長が3日のソ連核実験に抗議電報。6日、被爆者らが原爆慰霊碑前で座り込み
1987/10/6
葦原邦子さんが東京で16年目の「ノーモア・ヒロシマを歌う」コンサート。収益金は原爆患者の治療用に寄付。「宝塚時代、1年後輩で相手役だった園井恵子さんが原爆で悲惨な死を遂げ、それ以来、園井さんの魂を慰めるため何かしなければならないと…」
1987/10/8
ブラジル・ゴイアニアで鉄くずの中にあった医療用の放射性セシウム137で市民が被曝。ワシントン・ポストが伝える。事故は9月半ば。既に10人の患者が収容され、リオデジャネイロの海軍病院では米オークリッジ国立研究所のほか、ソ連、西ドイツ、アルゼンチンの医師らも治療。23日、被曝したマリア・フェレイラさんとめいのレイデちゃんが死亡。2次汚染を防ぐため、遺体は鉛のひつぎに入れ、セメントで固め埋める。住民は「汚染はごめん」と墓に投石。27日、3人目の患者が死亡
1987/10/9
中華医学会訪日団の8人が原爆資料館を見学、慰霊碑に参拝。放射線影響研究所を訪ねる
1987/10/9
広島市の被爆語り部グループ13団体が、広島平和文化センターで「被爆証言者交流の集い」開く
1987/10/9
広島双葉ライオンズクラブが、中曽根首相の平和を詠んだ句碑の建立決める。句は1983年の広島平和記念式典参列時に詠んだ「悲しみの夏雲へ向け鳩放つ」。14日、市が平和記念公園対岸の元安川河岸緑地に建立を許可。15日、広島県建設労働組合、共産党などが広島市に許可撤回申し入れ
1987/10/11
長崎県被爆者手帳友の会が、原爆投下直後「黒い雨」が降ったといわれる西山木場地区を被爆地域と認めるよう運動を進めることを決める(「長崎年表」)
1987/10/11
京都市立堀川高校の学園祭で広島原爆で死亡した14万人分の顔写真を集め展示。畳70畳分の面積に
1987/10/14
ソ連ラトビア共和国のミスルキン・グリゴリエビチ副首相が原爆資料館を見学し、慰霊碑に参拝
1987/10/15
中南米青年日本研修計画の参加者25人が原爆資料館を見学、慰霊碑に参拝
1987/10/15
「ネバーアゲイン・キャンペーン」(NAC)を提唱、民間平和大使派遣運動などと取り組む兵庫県宝塚市の北浦葉子さんが平和活動の体験記「チャンスの前髪をつかめヨーコのアメリカ大陸平和行脚」を出版
1987/10/16
ソ連がセミパラチンスクで地下核実験。「軍事技術の改善が目的」。モスクワ放送が伝える
1987/10/17
荒木広島市長が16日のソ連核実験に抗議電報。18日、広島県原水禁の横原由紀夫事務局長らが原爆慰霊碑前で座り込み
1987/10/18
2つの広島県被団協が広島市で厚生省の1985年度原爆被爆者実態調査と日本被団協の原爆被爆者調査第1次報告の共同学習会
1987/10/19
沖電気工業労組が広島市に「被爆者のために」と21年目の寄付
1987/10/19
中曽根首相の句碑建立に抗議し、被爆者らが予定地の広島市元安川河岸で座り込み
1987/10/20
国連のデクエヤル事務総長が反核国際共同行動「平和の波」で、日本原水協とソ連平和委員会に平和メッセージ
1987/10/23
米がネバダで地下核実験。エネルギー省が発表
1987/10/23
モスクワで開催中の米ソ外相会談が、中距離核戦力(INF)全廃条約締結で合意しながら、戦略防衛構想(SDI)問題で対立、首脳会談の日程決まらず
1987/10/23
埼玉県大宮市の元自衛隊員渡辺史郎さんが、広島原爆投下直後に旧陸軍が派遣して調べた調査資料6点を広島県立文書館準備室に寄贈。1945年8月13日付の「広島空襲被害調査報告」、8月15日現在の「広島戦災(放射能に関する)調査報告」の未発表資料を含む
1987/10/24
10回目の国連軍縮週間を記念し、米各地で反核運動。ニューヨークに本部のある「生存のための動員」などが中心になり、コロラド州ロッキーフラッツ、フロリダ州ケープカナベラル・ミサイル基地前などでデモ行進
1987/10/24
仏がムルロア環礁で過去2年間で最大の地下核実験。ニュージーランドの地震学者らが発表
1987/10/24
荒木広島市長が23日の米、24日の仏核実験に抗議電報
1987/10/24
日本原水協などが国際共同反核行動「平和の波」を展開。正午、広島市と長崎市で風船2,000個を飛ばすなどしスタート、1時間の時差ごとに正午を迎えた都市で次々に行動を起こし25時間で世界を一周。25日正午、広島市の幟町中学で集約・発表集会。世界43カ国で取り組み、国内では3,602カ所で44万人が参加
1987/10/25
スカンディナビア諸国で組織する北欧閣僚評議会のキルスティ・グレンダール議長ら12人が原爆資料館を見学
1987/10/25
総評の統一行動日に合わせ、中四国ブロック各県評が岩国市の米軍基地で「10・25米軍岩国基地包囲行動」。5,000人が人間の鎖をつくり基地を取り囲む
1987/10/26
被爆者らが23日の米、24日の仏核実験に抗議し、原爆資料館下で座り込み
1987/10/27
広島平和文化センターが2回目の「市民平和の集い」。一人芝居、詩の朗読、歌謡曲など。女優の岸田今日子さんらが出演。一人芝居は岩国市出身の映画評論家泉清志さん作の「ヒロシマの母となりて」
1987/10/28
広島国際文化財団(山本朗理事長)が「アキバ・プロジェクト」の1986年版を出版
1987/10/30
米ソ両国が「レーガン米大統領とゴルバチョフ・ソ連共産党書記長が、12月7日からワシントンで首脳会談開催に合意」と発表
1987/10/--
カナダの写真家ロバート・デルトレダシーさんが長崎出身の節美夫人と協力し写真集「核兵器製造の現場」を出版。広島、長崎の被爆者の姿を含め人間と核のかかわりを111枚の写真で紹介
1987/10/--
広島で被爆した経験を生々しい体験記にまとめたまま姿を消した故岡田春子さんの戦後の空白を被爆者救援グループが探る
1987/10/--
国際放射線防護委員会(ICRP)が、放射線影響研究所の「被爆者のがん死亡危険率は従来考えたより1.7~1.8倍高い」との新データを基に放射線防護基準を見直しへ
1987/10/--
「原爆の図」の画家丸木俊さんが故郷の北海道で初の泊原発操業に反対運動
1987/10/--
米民間科学者団体の天然資源保護協会(NRDC)が、米ソ両国の地下核実験の相互実験監視計画の一環としてネバダ核実験場近くに実験探知機器を設置。引き続き2カ所に設置へ。ソ連のセミパラチンスク近くには1986年7月に3カ所の監視装置を設置
1987/10/--
非核自治体運動の歴史や地域での実践例などをまとめた「非核自治体-抗議・学習・連帯」が出版。森田俊男日本平和教育研究協議会代表委員編集
1987/10/--
広島市が原爆資料館・広島平和記念館に日本のアジア諸国侵略の加害者責任を問うコーナー設置を決める。「ストップ・ザ・戦争への道」(宗像基代表)や「8・5広島集会実行委員会」(松江澄代表)など14団体の申し入れに回答。内容は「広島平和記念施設展示基本計画検討委員会」(委員長、今堀誠二広島女子大学長)が検討中
1987/10/--
広島原爆病院に入院中の広島市の久保田ツテヨさんが、在米被爆者の帰国治療費にと「在外被爆者支援連帯ヒロシマ委員会」(石田明会長)に300万円を寄付

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