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ヒストリー

ヒロシマの記録1986 3月


1986/3/1
米の市民組織「プロピース」が主催する北米大陸横断の平和大行進がワシントンに向けロサンゼルスを出発。3邦人を含む1,200人が「平和の灯」を先頭に歩く
1986/3/1
国際平和年行事として、長崎市で「ながさきの集い-音楽と講演会」。約500人が参加(「長崎年表」)
1986/3/1
原水禁国民会議が静岡市で拡大全国委員会を開き、反核・平和運動の進め方について「目的に賛同するすべての団体、個人が自由に参加し、民主的な討論をさらに発展させる」など新方針
1986/3/1
広島県被団協(森滝市郎理事長)が「被爆体験を語り継ぐ会」(伊藤サカエ委員長)を発足させ、広島市の平和記念館で初の学習会
1986/3/1
ビキニ被災32周年。広島市で3・1ビキニデー統一集会開く。庄野直美広島女学院大教授らの講演中心の集会▽日本原水協が焼津市で独自集会。1,500人参加
1986/3/2
静岡市でビキニ被災32周年を記念する統一集会。2,400人が参加「核戦争阻止、核兵器廃絶を緊急課題として取り組む」との緊急アピールを採択
1986/3/3
日本原水協が核兵器の緊急廃絶を求める約155万3,300人の署名簿を国会に提出。国民過半数署名運動の第2次集約分、第1次分と合わせ710万人に
1986/3/4
ジュネーブの米ソ包括軍縮交渉第4ラウンドが進展なく閉幕
1986/3/5
「核軍縮を求める22人委員会」(座長、宇都宮徳馬参院議員)が東京サミットでの原爆資料展の開催協力を国へ要請。7日、外務省は衆院予算委員会で「サミット会場以外なら協力」と答弁したが、中曽根首相は22日、協力するのは困難との考えを示す
1986/3/5
中曽根首相が衆院予算委員会で、米戦略防衛構想(SDI)に関する調査団の派遣を言明
1986/3/5
山口県熊毛郡上関町の町議や住民団体の代表が上関原発計画の撤回を中国電力へ申し入れ 1
986/3/8
原爆ドームの特別史跡指定を求め、広島「折鶴の会」が広島市平和記念公園で署名運動始める
1986/3/8
広島・長崎の「証言の会」の在韓被爆者医療調査団(団長、鎌田定夫長崎総合科学大教授)が調査報告書を出版。韓国原爆被害者協会の協力で200人の生活や健康、医療の実態など調べ、援護の充実を訴え
1986/3/9
在日韓国・朝鮮人が広島市で国内初の合同平和シンポ開く。広島県朝鮮人被爆者協議会のメンバーらでつくる「核廃絶と朝鮮半島の平和について考える会」(朴仁煥代表)主催。80人が参加、南北統一問題などを討論
1986/3/9
広島県高田郡美土里町で1985年8月に誕生した「原爆被害者友の会」(278人)が初総会
1986/3/10
ギリシャ、アルゼンチン、タンザニア、メキシコ、スウェーデン、インドの中立6カ国首脳が、米ソに首脳会談まで核実験の停止を求める共同アピールを発表。スウェーデンのパルメ首相も暗殺前に署名
1986/3/11
広島県佐伯郡廿日市町の廿日市小学校の児童が原爆死没者の顔を一人ひとり描いた「14万人の顔」が、大分県中津市の「86豊のくにテクノピア」に展示へ
1986/3/12
米シカゴ市が非核条例を制定。市内の企業が核兵器の設計、製造、配備、貯蔵することを禁止。違反者には罰金、懲役も
1986/3/12
レーガン米大統領が核実験全面禁止を求める下院決議について「国益を損なう」と反論
1986/3/12
英下院環境委員会が「英の核廃棄物処理は粗雑で危険がいっぱい」との報告書発表。核廃棄物の放射線基準の厳正化や処理方法の改善を政府、業界に勧告
1986/3/13
ゴルバチョフ・ソ連書記長が中立6カ国首脳の核実験凍結延長要請への返書で「ソ連は期限切れとなる3月31日以降も米が新たな核実験を実施するまで核実験を凍結」と凍結延長を表明。米のスピークス大統領副報道官は「核実験を継続する米の立場は不変」
1986/3/14
核兵器廃絶を訴え米大陸横断をめざす米大陸横断平和大行進が資金難と悪天候で中止。1日にロサンゼルスを出発してわずか190キロで挫折
1986/3/14
レーガン米大統領がゴルバチョフ・ソ連書記長に書簡を送り、核実験検証システムの提供とソ連専門家のネバダ実験場視察を提案
1986/3/16
モスクワ放送が「3月31日以降に行われる米の最初の核実験は、米の指導部に軍備拡張を停止する善意がないことを意味する。そうなればソ連としてもしかるべき結論を出す」と核実験再開を示唆
1986/3/16
ロサンゼルス出発後2週間で挫折した市民グループ「プロピース」の米大陸横断平和大行進は、打ち切りを惜しむ参加者が新たな団体を組織し再スタートへ
1986/3/16
日本科学者会議が「米戦略防衛構想(SDI)への協力を断固拒否」と声明
1986/3/17
第4回日米合同原爆放射線量再評価検討委員会が、広島、長崎の原爆放射線量を21年ぶり修正し、被爆者データ見直しへ。(1)広島原爆の威力は従来の2割増の15キロトン(2)爆心から2キロの空中線量は、広島の場合ガンマ線は4倍、中性子線は十分の一で、広島の線量はやや増える(3)長崎は原爆の威力(21キロトン)、線量ともほぼ従来通り-など。1965年の暫定値T65Dに代わる新しい計算システムDS86を決定
1986/3/17
日本被団協が東京で「再び被爆者をつくらないための中央集会」。300人が参加
1986/3/17
共産党を除く社会、公明、民社、社民連の野党4党が衆院に被爆者援護法案を提出。1974年以来10回続いた全野党共同提案が崩れる。共産党が抗議談話
1986/3/18
米国務省が「ソ連はいつでも核実験を再開できる状態にある」と言明
1986/3/18
日米合同原爆放射線量再評価検討委員会で原爆放射線量が21年ぶりに修正されたことに対し、広島県原水禁が被爆者援護に活用されるよう求める声明を発表
1986/3/20
米への平和使節としてソ連を旅立ったモスクワの小学5年生エカテリーナ・ルイシェワさんがシカゴ空港に到着、大歓迎を受ける
1986/3/20
広島県湯来町議会が「核兵器廃絶湯来町宣言」を全会一致で決議
1986/3/20
米ローレンス・リバモア研究所のモーティマー・メンデルスゾーン副所長と国連科学委員会のジオバ・シリニ事務局長が広島市の放射線影響研究所で記者会見。従来の学説より低い被曝線量でもがんが発生する危険性を指摘し、放射線防護基準の変更も示唆
1986/3/21
大分県中津市の市民博「86豊のくにテクノピア」に非核平和館が開館。反核を訴える労組や市民が運営、被爆瓦など展示
1986/3/21
「86国際平和年・平和のためのヒロシマ行動」が広島市で市民約1,000人を集めて歌や署名活動を盛り込んだ集会。「核の冬を平和の春に」とのアピール発表
1986/3/22
米エネルギー省が「ネバダ実験場で地下核実験を行った」と発表。米核実験は3カ月ぶり
1986/3/22
広島県議会が「核兵器廃絶に関する広島県宣言」を決議。都道府県の非核宣言は7番目
1986/3/23
広島中央署が広島市の平和記念公園で不法営業の露天商9人を逮捕
1986/3/23
岡山県に「核戦争防止医師の会」が発足。IPPNW日本支部の地方組織で全国16番目
1986/3/23
荒木広島市長が米核実験に抗議する電報を駐日米大使に打つ
1986/3/24
広島市原爆被害者の会(瀬戸高行会長)が広島市に平和教育の推進や被爆二世の検診医療機関の増設など8項目を要請
1986/3/24
大竹市議会が「非核・平和都市宣言」
1986/3/25
米核実験に抗議し被爆者らが原爆慰霊碑前など広島県内25カ所で座り込み。広島県山県郡加計町の安野中学校でも生徒20人が、校内の平和の塔前で座り込み
1986/3/25
広島平和教育研究所編集の副読本「ひろしま-15年戦争と広島」が完成。軍都・広島の歩みを元兵士らの証言などをもとに3年がかりでまとめる
1986/3/25
長崎大医学部付属原爆被災学術資料センターの森弘行助手の研究グループが「被爆者健診データ表示システム」を開発
1986/3/26
本島等長崎市長が米ソ首脳へ核実験停止を求める書簡送る
1986/3/26
在韓被爆者の渡日治療で韓国人被爆者12人が広島原爆病院に入院
1986/3/26
総評被爆連、原水禁国民会議など社会党・総評系4団体の被爆者援護法即時制定要求中央行動が東京で始まる。27日、今井勇厚相に援護法を訴え
1986/3/27
西ドイツの米戦略防衛構想(SDI)研究参加問題で、ワインバーガー米国防長官とバンゲマン西ドイツ経済相が合意。覚書に調印
1986/3/27
趙紫陽・中国首相がロンギ・ニュージーランド首相と会談。南太平洋非核地帯化構想を評価
1986/3/28
ロンギ・ニュージーランド首相が北京で記者会見。「中国首脳が一連の会談の中で核積載艦船の寄港を認めないとの立場を表明」と述べる
1986/3/29
ゴルバチョフ・ソ連書記長が国営テレビを通じて核実験全面停止をテーマに米ソ首脳会談の開催を提案。レーガン米大統領は拒否
1986/3/29
米戦略防衛構想(SDI)への企業参加の可能性を探る官民合同調査団(団長、渡辺允外務省北米局審議官)が出発。参加企業は21社
1986/3/29
白血病で亡くなった被爆二世のわが子をうたった広島市の名越操さんの詩を基にしたソプラノ独唱曲「あの星がぼく」が完成、初披露
1986/3/29
日本や原爆に関する記述などを見る「世界の教科書展」が広島市で開催。53カ国の教科書展示。創価学会主催
1986/3/30
原爆の悲惨さを訴える一人芝居「広島の女」の英語版が東京で初演。村井志摩子さん作、演出
1986/3/31
消費者運動や平和運動などで30年間活躍した地婦連事務局長の田中里子さんが退職
1986/3/--
米写真誌「アパーチャー」が春季号に元中国新聞カメラマン松重美人さんが撮影した被爆写真5枚を掲載。1984年にアキバ記者としてヒロシマを取材した反核専門誌「ニュークリア・タイムズ」のグレッグ・ミッチェル編集長が解説を寄稿
1986/3/--
奈良県桜井市の大三輪中学校の生徒が送った「ピースマーク」にブルガリア元首の返書など各国からメッセージ届く
1986/3/--
「原爆児童文学集」(東京・汐文社)全30巻が刊行

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