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ヒストリー

ヒロシマの記録1986 9月


1986/9/1
米第7艦隊ミサイル巡洋艦ジョエットなど7隻が佐世保港に入港
1986/9/1
シラク仏首相が環境保護団体グリーンピースの核実験抗議船「虹の戦士」爆破犯の仏情報機関の2人を「高く評価し誇りに思う」と発言。ロンギ・ニュージーランド首相らが反発
1986/9/2
日本原水協などの原水禁世界大会実行委員会が、1987年も独自開催に向けての準備を決定
1986/9/2
米ソ両国の核実験相互監視体制確立を進めているソ連科学者の責任者、ネルセソフ地球物理学研究所部長が記者会見で「米ネバダ核実験場近くに地震観測装置を1987年1月までに設置」と表明
1986/9/2
広島県原水禁の宮崎安男事務局長が常任理事会で辞意。「若者の感覚で新しい原水禁運動を」
1986/9/2
米戦艦ニュージャージーが9日ぶりに佐世保を出港、韓国へ。革新団体の200人が抗議
1986/9/3
北陸電力が石川県羽咋郡に計画中の能登原発の公開ヒアリング始まる。ソ連原発事故を反映し安全性に厳しい質問
1986/9/3
英環境省のクリスチン・ヘミング博士が「放射能濃度の高い核廃棄物の海底投棄は可能」の見解示す
1986/9/3
広島出身の被爆者で愛知県立芸大教授の片岡脩さんがニューヨーク市で原爆ポスター展。16日まで
1986/9/4
ジュネーブで核実験制限・禁止と化学兵器拡散防止の米ソ交渉が再開
1986/9/5
米航空宇宙局が初の戦略防衛構想(SDI)実験用の衛星を載せたデルタロケットを打ち上げ
1986/9/6
倉成正外相が長崎市で記者会見し「核実験停止を米へ要請しない」と言明
1986/9/6
北朝鮮・平壌市で「朝鮮半島の非核・平和のための平壌国際会議」開く。平壌で開かれる初の平和会議。社会党の下平正一前副委員長ら78カ国の代表が参加
1986/9/6
アルゼンチンの女性作曲家オルガクチノタさんがオルガン組曲「ノーモアヒロシマ」を広島市に寄贈
1986/9/6
山口のヒロシマデー。山口市宮野江良の原爆死没者の碑前で第12回原爆死没者追悼・平和式典。被爆者や遺族ら400人が参列
1986/9/7
広島市の元安川べりの「原爆犠牲ヒロシマの碑」の折りづる約3万羽に放火。8日、広島中央署が38歳の工員を逮捕。市内の女高生らが新たに2千羽
1986/9/7
ソ連国営タス通信が「米は4日、ネバダ州で秘密核実験をした」と報道
1986/9/9
米カリフォルニア大バークレイ校のジョン・ゴフマン教授が米化学会で「チェルノブイリ原発事故によるがん死者は世界で30万人を超す」と予測
1986/9/9
政府が米戦略防衛構想(SDI)への研究参加を決定。後藤田正晴官房長官が「非核による高度な防衛システムで、究極的には核兵器の廃絶をめざすもの」と談話▽荒木広島市長は「憂慮」のコメント
1986/9/10
広島原爆障害対策協議会(原対協)が1985年度の被爆者検診結果発表。多発性骨髄腫が増加
1986/9/11
原子力安全委員会のソ連チェルノブイリ原発事故調査特別委員会(委員長、都甲泰正東大教授)が「事故の背景には設計上の問題があり、日本では考えられない事故」との第1次報告書
1986/9/11
原爆開発のマンハッタン計画に参画した国際原子力機関(IAEA)の元米代表ヘンリー・スマイス氏が死去。88歳
1986/9/11
米エネルギー省が「ネバダ州で11日、地下核実験を行った」と発表
1986/9/12
荒木広島市長が米核実験に抗議する電報を駐日米大使に打つ
1986/9/13
日教組国民教育研究所が中、高校生の核、平和に関する意識調査。4割が「核兵器なくせぬ」、非核三原則は半数以上が「守られていない」
1986/9/14
米核実験に抗議し被爆者らが広島県内20カ所で座り込み
1986/9/16
ビルマのマウン・マウン・カ首相が原爆慰霊碑に参拝
1986/9/16
米紙ワシントン・ポストが「11日、バレンツ海のソ連原潜からカムチャツカ半島に向けて発射された模擬ミサイルがアムール川に近い中国領内へ落下」と報道
1986/9/17
広島市平和記念公園の原爆供養塔で新たに11柱の引き取り。納骨数は994柱に。1955年の2,432柱から31年がかりで1,000柱を割る
1986/9/17
科学技術庁の理化学研究所(埼玉県和光市)で、放射能を帯びた実験器具を1年以上も放置し、8月18日に清掃中の女性研究員2人が被曝したことが明るみに。被曝線量は許容量を超えていたが、同研究所は現行法では認められていない計算法で「許容線量以下」と判定
1986/9/18
中曽根首相が参院本会議で「ヒロシマは祈りの場。米ソ首脳会談には不適当」と答弁。被爆者らが「原点直視が核兵器廃絶への道なのに」と失望
1986/9/18
倉敷市が非核平和都市宣言
1986/9/18
広島県山県郡戸河内町が非核平和宣言
1986/9/18
ソ連がチェルノブイリ原発事故被曝者の治療や健康管理の経験を学ぶため、放射線医学の専門家の広島派遣を決め、日本大使館に要請
1986/9/18
ジュネーブで第6回米ソ包括軍縮交渉始まる。米が戦略核兵器の30%削減を新提案
1986/9/18
京都市の宋斗会さんが韓国人原爆犠牲者慰霊碑の平和記念公園内への移設を求める340人の署名を添え、広島市に抗議文提出
1986/9/18
ニューヨーク・タイムズが「ソ連の大陸間弾道ミサイルSS18改良型が8月、実験飛行中に爆発。ミサイル開発に支障」と報道
1986/9/19
外務省、厚生省、広島、長崎両県が共同で、南米に被爆者巡回検診医師団を派遣。10月10日から31日までブラジルなど5カ国
1986/9/20
広島市の矢野西小学校児童が原爆犠牲者と同数の約20万羽の折りづるを折り、父母会で披露
1986/9/22
レーガン米大統領が国連総会で「ソ連と戦略防衛構想(SDI)条約を結ぶ用意がある」と表明
1986/9/23
オーストリア政府が、ウィーン近郊に1977年に完成した国内唯一の原子力発電所の解体を指示
1986/9/23
長崎県出身の倉成正外相が国連総会で長崎の実相訴え、核廃絶アピール
1986/9/23
ビキニ被災の久保山愛吉さんの32回目の命日。静岡県焼津市の弘徳院で営まれた「墓前の誓いのつどい」に市民350人が参列
1986/9/23
広島インターナショナルスクールの「千羽づるクラブ」が、米、カナダ、オーストラリアの10校から届いた2万羽の折りづるを原爆の子の像にささげる
1986/9/24
呉学謙中国外相が国連総会で演説。「米ソは核兵器の大幅削減の責任がある」と核軍縮を迫る
1986/9/25
広島県山県郡大朝町、佐伯郡佐伯町が非核平和宣言
1986/9/25
在韓被爆者9人が渡日治療で広島入り。政府間合意に基づく最後の治療団
1986/9/26
国際原子力機関(IAEA)の特別総会が閉会。原子力事故の早期通報・援助の国際条約を採択。日本は署名を保留
1986/9/26
広島県神石郡神石町が非核平和宣言
1986/9/27
東京の主婦や平和活動家100人が高齢被爆者を支援する東友会(東京都被団協)後援会を旗揚げ
1986/9/27
ソ連がセミパラチンスク核実験場を内外記者団に初公開。米へ実験停止の同調を求める狙い
1986/9/28
原爆乙女の治療や孤児の救済に尽力した元広島流川教会牧師の谷本清氏が死去。77歳
1986/9/28
唯一の外国人女性として米戦略爆撃調査団に被爆証言をした米在住のロシア人カレリア・ドレイゴさんが41年ぶりに広島を訪問
1986/9/29
日本被団協代表委員の伊藤サカエさんが、ソ連ウズベク共和国での婦人セミナー出席のため出発
1986/9/30
レーガン米大統領とゴルバチョフ・ソ連書記長が10月11、12日にアイスランドの首都レイキャビクで会談することが決定
1986/9/30
米エネルギー省が「ネバダ州で30日、地下核実験を行った」と発表
1986/9/30
中国の張国防相が「米艦の寄港問題が決着し、10月に青島を訪問」と語る。核積載問題は追及せず
1986/9/30
広島県山県郡千代田町、豊平町が非核平和宣言
1986/9/--
架け替え工事が進む広島市の御幸橋の親柱と飾り柱を残そうと南千田東町町内会長の渡辺健三さんら地元住民が運動を始める
1986/9/--
「被爆の証人」広島市の御幸橋取り壊しが始まる

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