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ヒストリー

ヒロシマの記録1985 2月


1985/2/1
中国電気通信局が広島市中区袋町に建設中の袋町電電ビル敷地内に、旧局舎の被爆タイルを埋め込んだ原爆慰霊碑が完成
1985/2/1
原水禁国民会議が東京で結成20周年記念シンポジウムとレセプション。シンポは「核のない社会をいかにしてつくりだすか」がテーマ
1985/2/2
「ヒロシマ40年を語り合うつどい」(YMCA国際平和研究所など主催)が広島市内で開かれ、約50人が参加。反核市民運動の在り方討議
1985/2/2
東京都原爆被害者団体協議会(東友会)が被爆者援護法制定を求め、東京で決起集会
1985/2/2
来日中のオーストラリア国会議員5人が広島市を訪れ、原爆資料館を見学、原爆慰霊碑に参拝
1985/2/3
日本原水協の初代理事長、故安井郁氏の夫人田鶴子さんが20年ぶりに広島訪問。国立畑賀病院で闘病生活をおくる吉川清さんを見舞う
1985/2/4
「核の冬」などを討議する「核の危機に関する東京セミナー広島セッション」が広島市で開幕。12カ国約40人の核問題専門家が参加。名古屋大理学部の島津泰男教授らが、広島に1メガトン水爆が投下された場合、広島都市圏で約80万人が死亡-との推計結果を報告。6日閉幕
1985/2/4
ニュージーランドのロンギ首相が「米から再度申し入れのあった核積載可能艦船の寄港を拒否した」と発表。米がアンザス3国合同演習(3月)終了後の駆逐艦寄港を要請(1月17日)。ロンギ政権が非核装備の保障を求め、米が応じなかったことに対する措置
1985/2/4
ワインバーガー米国防長官が議会に国防報告を提出。「力を背景に米ソ軍縮交渉をするためにも戦略防衛構想(SDI)推進が必要」
1985/2/5
ワインバーガー米国防長官が下院軍事委員会で「核兵器の存在を肯定も否定もしない米海軍の核政策は全世界に適用され不変」と証言
1985/2/5
ジュネーブ軍縮会議の1985年春会期が再開
1985/2/5
埼玉県市長会が正副会長会議で、被爆者団体の被爆者援護法の署名を断ることを決定。加盟39市長に文書で通知。「市として扱うのは問題」が理由。13日、社会党埼玉県本部が撤回を申し入れ
1985/2/6
訪米中のオーストラリア・ホーク首相が、米の次期戦略ミサイルMXの発射実験に協力拒否を申し入れ。「地域住民の懸念」が理由
1985/2/7
「核の危機に関する東京セミナー」が東京で開会。「核戦争と地球の運命」と題する講演会に約350人が参加。9日「核兵器を廃絶しなければ『核の冬』は避けられない」との結論で一致、閉幕
1985/2/7
横浜市の私立フェリス女学院高校1年144人が、社会科の研修旅行で広島を訪問。原爆資料館を見学、慰霊碑巡り。中国新聞連載の「森滝日記」などで事前学習
1985/2/8
中曽根首相が衆院予算委員会で「在日米軍の核攻撃通信施設は非核三原則に触れない」と言明
1985/2/9
第8回広島県高校生平和ゼミナールが広島市内で開会、約800人が参加。「戦争と飢えはいらない」がテーマ。11日、飢餓に苦しむエチオピアの駐日大使を迎えて対話集会。非核宣言を採択し、閉会
1985/2/9
米シアトル近郊のトライデント潜水艦基地で反核運動を続ける日本山妙法寺の僧侶行徳哲二さんが、米移民局から退去命令を受けていることが判明
1985/2/10
オランダ王立気象研究所が「ソ連は10日、セミパラチンスクで地下核実験を実施」と発表
1985/2/11
核禁広島県民会議の元議長、村上忠敬広島大名誉教授が広島赤十字病院で死去。77歳。1968年から83年まで同議長、70年から4年間広島女学院大学長
1985/2/12
荒木広島市長がソ連核実験に抗議電報。原爆慰霊碑前など広島県内28カ所で被爆者らが抗議の座り込み。広島駅前では250回目
1985/2/12
ビキニ被災31周年の平和行進が東京・夢の島の第五福竜丸展示館前を焼津市に向け出発
1985/2/12
被爆40周年を記念した「原爆児童文学集」一般公募作品の入選作に、コピーライター中沢晶子さん(広島市東区牛田早稲田2丁目)と無職村中好穂さん(同市中区光南4丁目)の作品
1985/2/12
イラク空軍機がイラン・プシェールに建設中の原子力発電施設を爆撃
1985/2/13
電気事業連合会が科学技術庁から要請のあった高速増殖炉原型炉「もんじゅ」の建設負担金490億円の増額に応じる決定。負担金総額は1,090億円に
1985/2/13
中国電力萩原子力発電所の建設に反対する「核を考える会」などが萩商工会議所の促進決議に対し「地権者無視」と抗議
1985/2/14
ジュネーブ軍縮会議のソ連代表が「中断中の米ソ英3国の核実験全面禁止交渉を再開の用意」と語る
1985/2/15
カナダのクラーク外相が下院本会議で「緊急時でも米核兵器持ち込みを拒否する権限を保留」と言明
1985/2/15
日本原子力研究所大洗研究所(茨城県大洗町)の強放射能実験室で、職員ら2人が許容量すれすれのガンマ線2・9レムを被曝
1985/2/15
広島の大学人48人が広島県内の労働、市民団体に、県内全自治体の非核宣言を呼び掛けるよう要請へ
1985/2/17
被爆者援護法制定を求める「全国語り部運動」第2陣10人のうち6人が広島を出発。広島、山口の被爆者が10都府県を巡回。残る4人は18日、中部、近畿へ
1985/2/18
広島市が東京の国連大学で平和問題調査会(市長諮問機関)を開き、第1回世界平和連帯都市市長会議について意見聞く。「東欧圏の参加を」などの意見
1985/2/19
ジュネーブ軍縮会議で、中国が従来の政策を変更し、核実験全面禁止交渉に参加の意向を表明
1985/2/20
英文学者の中野好夫氏が死去。81歳。第1回原水禁世界大会以来、原水禁運動に情熱。1981年11月から「第2回国連軍縮特別総会に核兵器完全禁止と軍縮を要請する国民運動推進連絡会議」の呼び掛け人として先頭に
1985/2/20
広島県安芸郡府中町の山田機平町長が、町会に提案した非核自治体国際会議(3月、スペイン)出席のための旅費など3人分の補正予算案(182万円)を「賛成が得られそうにない」と取り下げ
1985/2/21
ソ連のペトロシャンツ国家原子力利用委員長と国際原子力機関(IAEA)のブリクス事務局長が、ソ連民間原子力発電所への国際査察受け入れ協定に調印
1985/2/21
訪米中のサッチャー英首相が記者会見。ニュージーランド・ロンギ首相の米駆逐艦寄港拒否に強い失望を表明。「英も寄港艦船の核積載有無は明らかにしない」
1985/2/21
広島国際文化財団のアキバ・プロジェクトで1984年夏、広島、長崎を取材した米ノースイースト・ミシシッピ・デイリー・ジャーナル紙のケン・スティックニー記者のリポート「ヒロシマ-40年後」が財団に届く
1985/2/21
総評の黒川武議長が広島市で記者会見。「被爆40周年の今年、米ソに代表団を送り両国首脳に反戦平和を訴えたい」
1985/2/21
厚生省の原爆被爆者実態調査委員会(13人)が初会合。10年ぶりに実施する調査方法の協議で「専門委員会」設置を決定
1985/2/22
広島市生活協同組合連絡協議会(木村富十四会長)と同市原水協(米沢進理事長)が、広島市議会に初めて非核都市宣言を求める請願書と約10万4,000人の署名を提出。25日、請願は継続審議に
1985/2/22
国労被爆者対策協議会が広島市の平和記念館で「被爆の実相を語る会」。約300人が参加
1985/2/23
国際軍縮促進議員連盟にレーガン米大統領から返書。「米はより安定した核均衡を目指す」。同連盟が米ソ首脳に送った核軍縮要請書簡への返事。赤城宗徳顧問にはソ連チーホノフ首相から返事。「宇宙と地上の軍拡競争停止に出来る限りの努力」
1985/2/23
呉市で第21回呉地区高校生平和の集い。24日、クラスやサークル単位の「非核平和宣言」を呼び掛けるアピールを採択、閉会
1985/2/24
長崎市の文学者や音楽家が市内で「反核-歌と文学の集い」。被爆者ら約130人が参加
1985/2/24
西ドイツ与党の自由民主党が党大会で、国内配備の米核兵器貯蔵場所の公表を求める決議案採択
1985/2/25
北村正哉青森県知事が六ケ所村への核燃料サイクル基地計画で「立地協力要請に応じてしかるべき」と受け入れ表明
1985/2/26
広島大原医研所長に栗原登教授。横路謙次郎所長の後任、任期は4月から2年
1985/2/26
日本被団協が核保有5カ国に核兵器廃絶を要請する被爆者代表団の派遣概要を発表。6~11月に派遣。被団協が保有国に直接、要請行動するのは初
1985/2/27
広島市会で荒木市長が非核都市宣言について「広島市は核廃絶を訴えてきた核兵器廃絶宣言都市であり、平和宣言都市」と、改めて非核宣言を否定
1985/2/27
核禁会議が、韓国大邱市の嶺南大付属病院が実施する在韓被爆者入院治療の費用の一部補助を決める。年間300万円
1985/2/28
広島YMCAで「韓国人被爆者問題を考える集い」。約50人が参加。在韓被爆者渡日治療広島委員会の河村虎太郎代表世話人が、韓国大邱市の嶺南大学に原爆病院を建設する運動支援を呼び掛け
1985/2/28
長崎市聖フランシスコ病院の秋月辰一郎医長に、ローマ法王から聖シルベステル勲章の授与決まる。医療、核廃絶運動の功績
1985/2/28
旧県立広島第二高女(県立広島皆実高校)卒業のジャーナリスト関千枝子さん(横浜市在住)が「広島第二県女二年四組原爆で死んだ級友たち」を筑摩書房から発刊。被爆死した級友39人と教師3人の遺族を8年がかりで追跡
1985/2/28
ジュネーブ軍縮会議でソ連代表が「核実験全面禁止条約ができれば、中国、仏が不参加でも直ちに実験を停止」と表明。早急な交渉開始を米に呼び掛け。米は「信頼できる検証手段の実現が先」と拒否
1985/2/28
「ヒロシマ・アート・グラント85」(第3回広島国際文化財団美術奨励賞)に洋画家の入野忠芳さん(広島市東区牛田本町)が決まる
1985/2/--
原爆孤児だった東広島市内の男性が、罹災証明書と幼少期の写真を手掛かりに肉親捜し
1985/2/--
広島平和文化センター内の原爆資料調査委員会が、広島市内の被爆建物の現状を写真撮影し記録保存作業を進める
1985/2/--
広島国際文化財団のアキバ・プロジェクトで1984年夏、被爆地を取材した米ワシントン州スポケーン市「スポークスマン・レビュー紙」のディック・ムーディー記者が「広島・長崎特集」を掲載
1985/2/--
ビキニ米水爆実験被災の第五福竜丸展示館の全面修復工事進む。1976年開館以来9年ぶり。東京都が約9,000万円かけ修復
1985/2/--
徳島県海部郡日和佐町を出発し全国65の非核宣言自治体をリレーした2本の「平和の旗」が、1年ぶり徳島県庁に帰る。広島原爆資料館と沖縄の平和祈念資料館に寄贈へ
1985/2/--
ニュージーランドのロンギ首相が、非核政策の正当性を説明するため、25日、欧米に出発へ
1985/2/--
米ジェファーソン・フェローシップ(ジャーナリスト講座)に広島ホームテレビ報道部副部長の田中勝邦さんが選ばれる。研究テーマは「世界の中のヒロシマの意味」。3月から3カ月間、ハワイ大学や米で研究
1985/2/--
東広島市の県立賀茂高校3年生が、肉親らの戦争、原爆体験記「父母の現代史」まとめる
1985/2/--
非核都市宣言した東京・中野区の青山良道区長が、自治体による平和運動の実践記録「非核都市運動-草の根から国際連帯へ」(エイデル研究所)を発刊

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