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ヒストリー

ヒロシマの記録1985 5月


1985/5/1
仏がムルロア環礁で地下核実験
1985/5/1
荒木広島市長が仏核実験に抗議電報。3日、被爆者らが原爆慰霊碑前で抗議の座り込み
1985/5/1
ニュージーランドのロンギ首相が仏核実験で「仏は南太平洋諸国民の総意を完全に無視」と非難
1985/5/1
広島YMCA国際平和研究所が、世界各地の核被害発生地を記入した和英2種類の世界地図「世界に広がるヒバクシャ」を作成
1985/5/1
米国原爆被爆者協会副会長のクニコ・ジェンキンズさん(旧姓児玉邦子、広島県山県郡芸北町出身)の葬儀が米サンフランシスコ郊外の自宅で営まれる。59歳。広島で被爆、在米被爆者検診や援護活動に奔走
1985/5/2
米がネバダで地下核実験
1985/5/2
米航空専門誌「エアロスペース・デーリー」が「イスラエルはゴラン高原とネゲブ砂漠に数基の中距離核ミサイルを配備」と報じる。米国防総省は論評を拒否
1985/5/2
中曽根首相がボンでレーガン米大統領と会談。米戦略防衛構想(SDI)への参加要請に対し「検討する」と述べるにとどめる
1985/5/3
英の国際戦略研究所が年次報告書「戦略概観」を発表。米の戦略防衛構想(SDI)について「核危機が増大」と警告
1985/5/4
荒木広島市長が2日の米核実験に抗議電報。5日、被爆者らが原爆慰霊碑前で座り込み
1985/5/5
ソ連のソコロフ国防相が「ソ連も軍事利用を含む宇宙の科学開発を研究中」と明かす。米戦略防衛構想(SDI)への対抗措置も言明
1985/5/5
第13回全国平和教育シンポジウムが広島市で開会、全国の教師ら約700人が参加。6日、平和・軍縮教育の推進を訴えるアピールを採択し、閉会
1985/5/6
日本原水協が全国理事会。7日、原水禁世界大会の統一開催を確認、閉会
1985/5/7
「広島市の平和祈念式で子供の平和アピールを」-。被爆者藤枝良枝さんが荒木市長に要望書
1985/5/7
カナダ在住の被爆者節子サーローさんがトロントYWCAの「価値ある女性」に選ばれ表彰。反核活動を評価
1985/5/7
反核バレエ「ノーモア・ヒロシマズ-星ひとつまたたきて」のソ連・東ドイツ公演を終えたヒロシマ・ダンサーズ(古月公子さん主宰)が広島市で帰国報告会。3月8日から29日まで両国の5市町で計8回公演
1985/5/8
ユーゴスラビアのベオグラードで「核兵器-現代世界の脅威」展(国連広報局、ユーゴ平和連盟主催)が始まる。6月10日まで
1985/5/8
訪欧中のレーガン米大統領が仏の欧州会議で演説。戦略核削減の協定締結などを盛り込んだ米ソ共存「6項目の枠組み」を公表
1985/5/8
レーガン米大統領が第二次大戦終結40周年でゴルバチョフ・ソ連書記長に書簡。平和と核廃絶への一層の努力を訴える
1985/5/9
ニュージーランドの地震研究所が「仏はムルロア環礁で地下核実験を実施」と発表。過去10年で最大規模
1985/5/9
日本被団協や地婦連、日青協など市民9団体主催の「反核市民平和大行進」と日本原水協など共産党系の「国民平和大行進」が、広島へ向け東京・夢の島を別々にスタート。社会党・総評系の「非核・平和のための行進」は10日、岩国、下関市から出発、全国9コースで東京へ。1984年まで2年続いた統一行進が分裂
1985/5/9
衆院本会議で中曽根首相がボン・サミット報告。米戦略防衛構想(SDI)への日本の研究参加について「慎重に検討したい」と表明
1985/5/9
ソ連が対ドイツ戦勝40周年記念パレードで、東ドイツとチェコスロバキアに配備した戦術核ミサイルSS21を初公開
1985/5/9
広島市の原爆資料館が1984年度入館者数まとめる。総数は144万7,000人と過去最高。高校生の修学旅行が目立つ
1985/5/10
荒木広島市長が仏核実験に抗議電報。12日、原爆慰霊碑前で被爆者らが抗議の座り込み
1985/5/10
西ドイツ国防省が「ソ連は東ドイツ領内に短距離核ミサイルSS21を既に60基以上配備」と発表
1985/5/11
長崎県労評主催の「アジア・太平洋・日本海の非核をめざして-長崎シンポジウム」が長崎市内で開会、約200人が参加
1985/5/12
旧広島陸軍病院看護婦教育隊が広島市の神田山荘で同窓会。38人が参加。死亡した同窓生、米国原爆被爆者協会のクニコ・ジェンキンズさんのめい福祈る
1985/5/12
米原子力潜水艦スケートが佐世保港に寄港。18日出港
1985/5/14
地婦連、日本生協連、原水禁国民会議、日本原水協など関係団体が東京で懇談会を結成。原水禁世界大会の統一開催へ協議継続を申し合わせ
1985/5/14
米国防総省が、戦略防衛構想(SDI)研究で日本に電算機、光電子工学、レーザー光線の技術協力を要請する意向を明かす
1985/5/15
画家の丸木位里、俊夫妻が長崎市に寄贈した「原爆の図」第15作「ながさき」が同市国際文化会館に展示。1984年8月寄贈、展示場所がなく保管
1985/5/15
広島市公文書館の書庫で、新たな原爆死没者名簿見つかる。旧安佐郡川内、大林、狩小川村と安芸郡瀬野村の各役場作成の名簿。計481人の氏名記載
1985/5/16
米子市のちぎり絵作家亀井健三さんが原爆をテーマにした3部作を広島市に寄贈。第9回日仏現代美術展に入選した大作「白い影」「劫火」「黒い雨」
1985/5/16
広島市役所新庁舎の定礎式。タイムカプセル埋める
1985/5/18
創価学会の広島県女性平和文化委員会が「もうひとつの被爆碑-在日韓国人被爆体験の記録」を出版。17人の在日韓国人被爆女性の体験聞き取り
1985/5/18
市民団体「反核1000人委員会」主催のシンポジウム「核の現在を考える-反核語り合いの場」が東京で開会。米戦略防衛構想(SDI)をめぐり討論
1985/5/19
旧幟町国民学校原爆犠牲者の合同慰霊祭が同校発祥の地、正光寺で営まれ、約120人が参列
1985/5/19
米ニューヨーク市仏教会の「被爆親鸞聖人像」の由来を刻んだ顕彰碑が完成、除幕式。広島市西区三滝本町で被爆、惨禍と平和を伝えるため1955年、米に渡る
1985/5/19
米ビキニ核実験(1954年)の放射能が残るマーシャル諸島ロンゲラップ島住民約370人が、環境保護団体グリーンピースのチャーター船で約160キロ南の無人島に移住開始
1985/5/20
中国電力が島根原子力発電所の使用済み核燃料を6月中旬、英、仏の再処理工場に搬出-と島根県に通知。搬出は1979年秋から始まり8回目。海外輸送は初
1985/5/20
名古屋市の会社役員の谷喜三(きみ)さんが被爆者のため広島市に1,000万円、広島原爆病院に500万円を寄付。29日、長崎市にも500万円
1985/5/20
広島市西区の福島地区被爆者の会が「いのちあるかぎり-原爆と未解放部落」を出版
1985/5/20
米紙ワシントン・ポスト(20日付)が「ソ連が新型大陸間弾道ミサイルSSX24の配備に備え、サイロ改修に着手」と報じる
1985/5/21
在日中国大使館の丁民公使が広島市を訪問。22日、原爆慰霊碑に参拝、原爆資料館を見学
1985/5/21
コンヤーズ米下院議員らが「1979年9月22日、南アフリカ沖で観測されたせん光は、南アかイスラエルが単独または合同で行った核爆発実験」と発表
1985/5/22
広島市を訪問中の中国・四川省マスコミ代表団が広島原爆病院を取材。中国のテレビ局として初めて被爆患者を映像に
1985/5/22
米国務省が米外交文書(1952~54年)を公表。54年の台湾海峡危機の際、米軍首脳の大半が核兵器使用を含む中国本土攻撃を主張、アイゼンハワー大統領の反対で決着したことが明らかに
1985/5/22
1954年にビキニ環礁で行われた米の集中水爆実験で、北半球の気温が異常低下-。日本気象学会で藤田敏夫気象研究所主任研究官が報告。「核の冬」を裏付け
1985/5/22
日本原水協が、中国・北京で6月に開かれる「世界平和擁護フォーラム」に赤松宏一事務局長を派遣。原水協の訪中は20年ぶり。28日、中国国際交流協会は「心から歓迎」と表明
1985/5/23
社会党・総評系の「非核・平和のための行進」広島・山陽・東海道コースが広島市の平和記念公園から東京へ出発
1985/5/23
米国防情報センターのジーン・ラロック所長が「原爆投下40年の8月に広島を訪問し、反核キャンペーンを行う」と発表
1985/5/23
米上院本会議が次期戦略ミサイルMXの総配備数を50基に半減する1986会計年度予算の修正案を可決。レーガン政権の軍拡路線に歯止め
1985/5/23
動力炉・核燃料開発事業団の東海事業所で最新鋭集合型遠心分離機の試験装置が完成、初公開。濃縮ウラン国産化にメド
1985/5/24
日本原水協が派遣する「核兵器全面禁止・被爆者国際遊説団」(6~8月)の広島代表18人の壮行会
1985/5/24
アイスランド議会が一切の核兵器持ち込みを認めない「非核決議」を採択。NATO加盟国で初
1985/5/24
中国電力が「上関は適地」とする原発立地事前調査報告書を山口県熊毛郡上関町に提出。法的義務のない事前調査を地元の要望で実施した初のケース。原発規模は「130万キロワット級を2基」と表明
1985/5/25
日本被団協が東京で定期総会。26日、厚生省の被爆者実態調査と並行して独自の原爆被害調査実施を盛り込んだ運動方針を決定
1985/5/25
仏で初めて複数目標弾頭ミサイルを装備した原子力潜水艦アンフレクシブルが出港式
1985/5/25
西ドイツ新聞テレビ記者団13人が広島を訪問。28日、原爆資料館を見学
1985/5/25
広島原爆養護ホームが入所者の被爆体験をつづった「紙碑被爆老人のあかし」第2集を刊行。56人の体験収録
1985/5/25
歌声サークル「広島合唱団」が被爆40周年記念「核兵器廃絶のためのコンサート」開く
1985/5/26
「非核宣言をすすめる会」と「広島の大学人のアピール」が、広島市に非核宣言を求める1ページ大の意見広告を中国新聞朝刊に掲載。3,283人が賛同
1985/5/26
東京都の離島、青ケ島村の中学3年生広江なおみさんが修学旅行で広島を訪問。生徒1人の平和学習、4日がかりで広島入り
1985/5/27
広島原爆病院で治療を受けていた在韓被爆者9人が退院、帰国
1985/5/28
1984年夏の台風で倒れた広島市中区基町の被爆エノキが芽ぶく。市立基町小の児童が確認
1985/5/28
広島市が、平和記念公園内にある旧慈仙寺の墓石に原爆遺跡を示す説明板設置
1985/5/28
日韓政府合意に基づく渡日治療で韓国人被爆者10人が広島入り。広島市役所で被爆者健康手帳を申請。29日、広島原爆病院に入院。6月3日、新たに2人も広島入りし入院
1985/5/29
厚生省の原爆被爆者実態調査委員会が、今秋実施する被爆者実態調査に初めて死没者調査を含めることを正式決定。被爆者健康手帳所持者約37万人全員を対象にした生存者調査と死没者追跡調査の2本立て
1985/5/29
「広島平和会館」が広島市中区中島町に完成。同区大手町4丁目から移転。30日から業務開始。広島県被団協、原爆被害者相談所、市原爆被害者の会が入居
1985/5/29
米原子力規制委員会がスリーマイル島原子力発電所のうち、無傷だった1号機の運転再開を決定。放射能漏れ事故から6年ぶり
1985/5/30
衆院社会労働委員会が、原爆死没者と遺族に対する異例の弔意決議。被爆者の諸手当を増額する政府提出の原爆被爆者特別措置法一部改正案を可決、野党共同提出の被爆者援護法案は廃案 1985/5/30
全米の科学者らで組織する「憂える科学者同盟」が米ソ宇宙軍拡競争反対を表明し、反対キャンペーンを開始。米ノーベル賞受賞者54人を含む科学者約700人が賛同。米戦略防衛構想(SDI)を「無謀」と批判
1985/5/30
西ドイツ社会民主党のハンスヨッヘン・フォーゲル副党首が広島を訪問。原爆慰霊碑に参拝
1985/5/--
広島市の特別名誉市民バーバラ・レイノルズさん(米ロングビーチ市在住)が、国際平和団体「戦争抵抗者連盟」の平和賞に決まる
1985/5/--
被爆した広島市の元安橋欄干の一部が米ミネアポリス市の「平和の庭」に設置決まる。広島市が空輸へ。被爆石の海外寄贈は9カ所目
1985/5/--
広島大平和科学研究センターの松尾雅嗣助教授が、同大生の平和意識調査まとめる。93%が戦争に巻き込まれる危険性を感じ、85%が日本への核持ち込み反対。九州、東京の学生に比べ、核への危機意識の高さが判明
1985/5/--
広島の被爆者で国連本部財務審議官の河内朗さん(広島市出身)が、原爆投下の真実を追う「ヒロシマの空に開いた落下傘」を大和書房から出版へ
1985/5/--
中国電力の上関原子力発電所(山口県熊毛郡上関町)立地調査が完了。下旬、町に報告書提出へ 1985/5/--
原爆開発に参加した米科学者3人が下院外交委員会で証言。「高度な軍事技術を開発しても対ソ優位維持は困難。軍縮合意こそ安全の道」
1985/5/--
日本グラフィックデザイナー協会の亀倉雄策会長が2年前にデザインした反核ポスター「HIROSHIMAAPPEALS」が国際ポスタービエンナーレ展で1等賞
1985/5/--
劇団はぐるま座の公演「夏の約束」広島巡回公演が続く。原爆詩人峠三吉の詩などを題材にした被爆40周年の創作音楽詩劇

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