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ヒストリー

ヒロシマの記録1985 9月


1985/9/1
バチカンで開かれる原爆展に出席するカトリック長崎大司教区の聖地巡礼団が長崎市を出発
1985/9/2
1985年アキバ・プロジェクト招請記者の米反核専門雑誌「ニュークリア・タイムズ」編集長グレッグ・ミッチェルさんから、9つの米新聞、雑誌に掲載されたヒロシマ報告が広島国際文化財団に届く
1985/9/3
米の平和運動家ビル・トンプソン、ジューン夫妻が広島県被団協に、米国務省を取り巻いた反核「ピースリボン」の一部を贈る
1985/9/3
広島、長崎の被爆者2人と原爆投下機の乗員2人が、仏国営テレビ「アンテヌ2」の番組で討論。長崎の公務員谷口稜曄さん、医師肥田舜太郎さんと乗員のセオドア・バンカーク、トーマス・フェアビーさん。乗員は「原爆で戦争を終わらせることができた」と主張
1985/9/4
浦上天主堂から米兵が持ち帰った「天使の石像」頭部が40年ぶり長崎に帰る。返還を託された広島市のジョン・オマリー神父が届ける
1985/9/4
日本新聞協会の1985年度新聞協会賞に、中国新聞の連載企画「段原の700人」「アキバ記者」を中心にした「ヒロシマ40年報道」が決まる
1985/9/5
仏の女性映画監督アン・マーキさんと彫刻家アン・ボォルムスさんが広島を訪れ、来夏、広島で映画、彫刻などの総合芸術フェスティバル開催計画を発表
1985/9/5
長崎市がバチカンで開く「バチカン原爆展」開会式に出席する本島等市長が抱負。「世界平和に影響力を持つローマ法王に核廃絶の願いを訴えたい」。原爆展は9月10日~10月9日、法王庁接見ホールで広島、長崎の被爆写真20点や浦上天主堂の聖母像頭部(木製)など展示
1985/9/5
広島平和記念公園の原爆供養塔に眠る原爆犠牲者4人の遺骨と遺髪が40年ぶりに遺族の手に
1985/9/6
被爆死した長男らの埋葬地を掘り起こした広島市中区東白島町の薬局経営鉄谷信男さんが、土中でさびた遺品の三輪車と鉄かぶとを原爆資料館に寄贈
1985/9/6
「山口のヒロシマデー」。山口市宮野江良の「原爆死没者の碑」に新しい納骨堂が完成、除幕式
1985/9/7
仏で世界初の高速増殖実証炉スーパーフェニックスが第1次臨界に達する
1985/9/7
カナダのマルルーニ首相が、米戦略防衛構想(SDI)の調査研究に協力しないことを公式に発表
1985/9/7
広島県原水協が理事会で核兵器全面禁止の署名拡大を決める
1985/9/10
荒木広島市長ら一行8人が姉妹都市西ドイツ・ハノーバー市親善訪問に広島を出発。16日帰国
1985/9/10
萩市三見地区への中国電力の原子力発電所立地をめぐり、萩商工会議所など推進派3団体が市議会に事前調査を求める請願。「美しい萩を守り原発をつくらせない連絡会議」など3団体は建設反対を請願
1985/9/10
平和記念公園の原爆慰霊碑前のさい銭箱が荒らされる。11日未明にも再び被害
1985/9/11
元中国新聞カメラマン松重美人さんが撮影した被爆直後の御幸橋西詰めの写真に「自分が写っている」と、三原市高坂町、無職先小山勝さんが名乗り出る。宇品署千田町派出所付近の写真で、被災者の1人
1985/9/12
世界の科学者で組織する「環境問題科学委員会」が、米ソ全面核戦争による環境変化の報告書を発表。「生態系破壊で世界人口の半数以上の25億人が餓死」と警告。「核の冬」現象を確認
1985/9/12
送電線落雷のため、中国電力島根原発の発電装置が自動停止。47時間後に運転再開
1985/9/12
広島市原爆被害者の会と広島県労被爆連が厚生省の被爆者実態調査への協力を決定。調査票記入が難しい高齢被爆者への補助手段などを県、市に申し入れへ
1985/9/12
1985年アキバ・プロジェクト招請記者の米紙シアトル・タイムズのエリザベス・ローズ記者がヒロシマ・リポートを掲載した紙面が広島国際文化財団に届く
1985/9/13
モスクワのソ連平和委員会で開かれたパネルディスカッションで本島等長崎市長が「われわれの子孫に残す唯一の遺産が平和である」と強調(「長崎年表」)
1985/9/13
米国防総省が、太平洋上で人工衛星を標的にした衛星攻撃兵器(ASAT)の発射実験。古い人工衛星の撃墜に成功と発表
1985/9/13
ミッテラン仏大統領が南太平洋ムルロア環礁核実験場を訪問。14日「仏領ポリネシア諸島での核実験に反対するものは敵」と発言。ニュージーランドのロンギ首相が15日、強く非難
1985/9/13
横路孝弘北海道知事が、動力炉・核燃料開発事業団が北海道幌延町に建設を計画する高レベル放射性廃棄物研究・貯蔵施設について「立地環境調査は受け入れ難い」と事業団に回答書
1985/9/14
筑波・科学万博の国連平和館のタイル大壁画「平和のキャラバン-太陽」(原画、平山郁夫氏)が完成。タイル約8万枚のうち広島市民が5,157枚を購入支援
1985/9/15
40年前の枕崎台風で犠牲者11人を出した京大原爆災害総合研究調査班の慰霊の集いが、広島県佐伯郡大野町の遭難記念碑前で営まれる
1985/9/15
ムルロア環礁から帰国したミッテラン仏大統領が、核実験継続の声明を発表。国の防衛に必要と判断される限り実験続行」
1985/9/16
ソ連のゴルバチョフ書記長が、訪ソ中の社会党代表団に全アジア安全保障会議構想を説明。アジア地域での核先制使用禁止など盛り込む
1985/9/16
旧陸軍船舶通信補充隊「暁第16710部隊」で被爆した元幹部候補生の戦友会「若潮千通会」が、広島市比治山公園の陸軍墓地で被爆40周年の慰霊祭
1985/9/17
世界平和学会会長で米オハイオ州立大チャドウィック・アルジャー教授が広島平和記念館を訪れ、世界平和連帯都市市長会議の成果など意見交換
1985/9/17
仏紙ルモンド(17日付)が環境保護団体グリーンピースの核実験監視船爆破事件で「エルニュ国防相の直接命令を受け、軍の破壊工作員が実施」と報じる。国防相は関与を否定する声明
1985/9/17
第40回国連通常総会が開会。新議長にハイメ・デピニエス前スペイン国連大使を選任
1985/9/18
広島県賀茂郡河内町の原爆被爆者友の会が、町議会と町に非核自治体宣言と被爆者援護法の即時制定を求める請願を1,428人の署名とともに提出
1985/9/18
広島県原水協が広島県に非核宣言を求める申し入れ書を提出
1985/9/19
日本被団協が中国に派遣する代表団(9人)の壮行会を長崎市で開く
1985/9/19
日本原水協が常任理事会で、原水禁85世界大会を総括。「総評や原水禁国民会議による分裂策動を乗り越え、画期的成功」と評価。社党系団体と対決姿勢強める
1985/9/19
トルコのヌルベル・ヌレシ駐日大使が広島を訪問。原爆資料館を見学
1985/9/19
オランダ・ロッテルダムで開かれた「核戦争に反対する国際法廷」に、被爆者の広島県安芸郡府中町、会社員筒井義博さんが参加
1985/9/19
ジュネーブで米ソ包括軍縮交渉の第3ラウンド開始
1985/9/20
広島市の平和記念施設展示基本構想検討委員会(委員長、今堀誠二広島女子大学長、12人)が初会合。平和記念公園内の原爆資料館、平和記念館と市公会堂跡に建設する広島国際文化会館の一体運営を協議
1985/9/20
広島原爆病院に入院していた在韓被爆者12人中10人が退院、帰国。日韓両国政府合意に基づく渡日治療はこれで270人
1985/9/20
広島市安佐北区可部町の無職谷口徳一さんが市に24万2,047円を寄付
1985/9/20
華道の嵯峨御流が原爆供養塔前で平和祈念いけばな献華式
1985/9/20
仏のエルニュ国防相が辞任。環境保護団体グリーンピースの核実験監視船爆破事件で引責。情報機関の対外安全総局の局長も解任
1985/9/21
米ミネアポリス市から大作の彫刻「1945年8月6日」が広島市に届く。市が被爆の石を贈った返礼
1985/9/21
広島県賀茂郡黒瀬町議会が非核自治体宣言を決議。同県内の宣言自治体は6市15町に
1985/9/21
ジュネーブの核拡散防止条約(NPT)再検討会議が、米ソ包括軍縮交渉の早期合意などを呼びかけた最終文書を採択し、閉幕
1985/9/22
仏のファビウス首相が環境保護団体グリーンピースの核実験監視船爆破事件について「爆破は仏情報機関の対外安全総局の要員が命令に従って実行」と発表し、政府の関与認める
1985/9/23
第五福竜丸の故久保山愛吉さんの命日。焼津市の弘徳院で「墓前の誓いのつどい」
1985/9/24
東ドイツ訪問中の社会党代表団とドイツ社会主義統一党が共同声明を発表、米戦略防衛構想(SDI)に反対
1985/9/24
米議会技術評価局が、戦略防衛構想(SDI)と衛星攻撃兵器(ASAT)に関する報告書を発表。「SDIは宇宙軍拡を促進」と批判、ASAT制限交渉の必要性を提起
1985/9/24
ソ連のシェワルナゼ外相が国連総会の演説で、米戦略防衛構想に対し、「スター・ピース構想」提案
1985/9/24
米ソ首脳会談が開かれるジュネーブで、原爆資料展の開催が決まり、広島平和文化センターが被爆者の描いた「原爆の絵」50枚など発送
1985/9/25
愛知県知多郡の日本福祉大付属高校2年生292人が修学旅行で広島を訪問。平和記念公園の「原爆の子の像」前で「平和の集い」を開き、約7万5,000羽の折りづるをささげる
1985/9/26
原水禁85世界大会ヒロシマのひろば実行委員会が広島市内で総括会議。原水禁国民会議、日本原水協の対立を反映して意見一致できず。幹事の庄野直美広島女学院大教授が「分裂回避が精いっぱいだった」と内部対立に苦言
1985/9/26
韓国原爆被害者協会の辛泳洙会長が厚生省に、1986年11月末で期限切れになる日韓政府合意による在韓被爆者渡日治療の継続を求める要望書を提出
1985/9/26
福井県敦賀市の住民らが高速増殖炉原型炉「もんじゅ」の建設差し止めなどを求め福井地裁に提訴 1985/9/26
広島県が、厚生省の被爆者実態調査(10月3日)調査票の広島県内分(広島市を除く)を被爆者5万9,042人に発送
1985/9/26
広島県安芸地区原爆被害者団体連合会が同県安芸郡海田町で被爆40周年原爆被害者大会。「核兵器廃絶と被爆者援護法実現に前進」と決議
1985/9/26
因島市議会が平和都市宣言を可決
1985/9/26
下松市出身のピアニスト井上和子さん(ニューヨーク在住)が、1986年8月に広島、長崎で「反核平和コンサート」を開く計画を広島市で発表
1985/9/26
ロンドンの海洋投棄規制条約締約国会議が、放射性廃棄物海中投棄の一時停止を無期限延長する決議案を採択
1985/9/26
仏国防省発行の専門誌「今日の軍隊」最新号が「1992年から実戦配備予定の仏新型ミサイル・アデスに中性子爆弾を装備する意向」と伝える
1985/9/27
山口県熊毛郡上関町議会の企業誘致特別委員会が、中国電力の上関原子力発電所誘致を求める住民請願を採択
1985/9/27
広島県双三郡吉舎町議会が「平和・非核町吉舎宣言」を可決。同県豊田郡安芸津町議会も
1985/9/27
訪米中のシェワルナゼ・ソ連外相がレーガン米大統領と会談。ソ連側が新しい核軍縮提案、内容は公表されず
1985/9/27
米がネバダで地下核実験
1985/9/28
広島県豊田郡木江町議会が「平和・非核兵器町宣言」を可決
1985/9/28
ソ連文化労組訪日団のビクトル・スローニン団長ら4人が広島を訪問。原爆資料館を見学
1985/9/28
中国が太平洋上で潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)の実験に成功-。香港「星島日報」が報じる
1985/9/28
荒木広島市長が米核実験に抗議電報。30日、原爆慰霊碑前など広島県内28カ所で被爆者らが抗議の座り込み
1985/9/29
原水禁国民会議が全国委員会で原水禁85世界大会を総括。大会への共産党介入を批判
1985/9/29
政府が米へ戦略防衛構想(SDI)調査団を派遣。研究参加の可能性など探る
1985/9/29
水真流広島吟詠会観舟支部が、広島市での結成5周年記念の集いで原爆をテーマにした構成吟「平和の鐘」を披露
1985/9/30
中国の呉学謙外相が国連総会で演説。全核保有国が参加する核兵器使用禁止条約の締結、米ソ宇宙軍拡の即時停止など4項目の軍縮新提案
1985/9/30
広島市が国際アニメーションフェスティバル広島大会の隔年開催を決める
1985/9/--
米軍の核持ち込み問題が初めて論議になった1955年6月の通常国会で「米政府から核貯蔵や無断持ち込みをしない了解を得た」(重光葵外相答弁)との日米合意がなかったことが、米国務省文書で明らかに
1985/9/--
ワールド・フレンドシップ・センター(広島市南区翠5丁目)が新しい活動拠点になる家屋を探す。家主が立ち退き請求
1985/9/--
広島市安佐北区可部町の浄土真宗本願寺派10カ寺が「被爆40年追悼の記」を発刊
1985/9/--
広島市南区の手話通訳、仲川文江さんがろうあ者の被爆体験記づくりを進める

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