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ヒストリー

ヒロシマの記録1985 12月


1985/12/1
広島県歯科医師会が被爆体験集「閃光の証言」を出版。24編を収録
1985/12/1
社会党が第50回定期大会に提案する「中期社会経済政策」案を発表。「反原発」の基本線を維持
1985/12/1
日本被団協が実施する全国1万人の「原爆被害者調査」説明会が広島平和記念館で開かれ、広島県内でも3,000人の調査始まる
1985/12/3
国勢調査の速報で、広島市の人口が初めて100万人を突破、104万4,129人に
1985/12/3
元陽会審査委員の画家谷口勝司さん(広島市中区吉島東1丁目)が原爆ドームを描いた「広島の心-被爆者40周年」を広島市に寄付
1985/12/3
米コロラド州デンバー郊外のロッキー・フラッツ核兵器工場で、爆発によるプルトニウム漏れ事故。州知事は4日、立ち入り調査を命令
1985/12/4
クランストン米民主党上院議員が、1946年に行われた米大気圏内核実験2回の放射線被曝量に関する米会計検査院の調査報告を公表。「実験に携わった米兵約1万7,000人が政府発表より強い放射能を浴びた」と指摘
1985/12/4
国鉄広島駅前で核実験抗議の座り込みを続けてきた「国鉄退職被爆者の会」代表幹事の故竹田博勝さん(11月27日死亡)が編集した冊子「反核座り込み-広島駅前10年の歩み」が完成。被爆体験や抗議の歴史をまとめる。遺族が2日、広島県被団協に50万円を寄付
1985/12/5
米エネルギー省が「米英は5日、ネバダで合同の地下核実験を実施」と発表。ソ連の核実験凍結提案を無視
1985/12/5
平和記念公園の原爆供養塔に眠る遺骨のうち、納骨名簿に記載の塚本昇一さん(旧姓松居、滋賀県蒲生郡安土町、当時旧制広島一中)が健在と判明。広島市が名簿から削除。遺骨についている遺品など総点検へ
1985/12/6
米国原爆被爆者協会副会長でハワイ支部長の平野泉さんが広島市から被爆者健康手帳の交付受ける。広島高等工業学校(現広島大工学部)在学中被爆
1985/12/6
荒木広島市長が米英の合同核実験に抗議電報。8日、原爆慰霊碑前など広島県内28カ所で被爆者らが抗議の座り込み
1985/12/7
東京で「世界の教科書展」が開会、51カ国5,150冊を展示。世界の教科書の広島、長崎原爆投下の記述を比較研究。米は投下決定の経過を克明に記述し「日本を降伏させるため使用」。ソ連は「軍事的必要性はなかった」。仏は「大国は原爆を自由にすることで、次の世界大戦には地球を滅ぼす手段を持つことになった」
1985/12/8
反核フォーラム「核兵器廃絶運動の連帯は可能か」が東京で開会。学者、文化人、平和運動家ら200人が参加。核廃絶の一点で連帯を申し合わせ
1985/12/8
「平和教育運動を強化する教職員のつどい」が東京で開催。全国の被爆教師ら100人が参加。「教え子を再び戦場に送らない決意をこめて平和・軍縮教育の創造と実践を誓う」アピール採択
1985/12/8
外務省が横須賀、佐世保港への米原子力潜水艦の入港状況(1985年1~11月)を公表。横須賀27回、佐世保5回の計32回で、過去最高の83年の25回を上回る
1985/12/9
ロンドンで開会の第47回パグウォッシュ会議が米戦略防衛構想(SDI)の非難声明を発表
1985/12/9
覚せい剤取締法違反に問われた韓国人被爆者、孫振斗被告(福岡市博多区千代)の控訴審で、福岡高裁が1審判決(懲役3年6月、罰金30万円)を支持、控訴棄却。孫被告は10日、上告放棄を申し立て。実刑が確定すれば服役終了後に国外退去処分の可能性
1985/12/9
佐々木禎子さんをモデルにした児童向け戯曲「千羽鶴」の執筆者、カナダの劇作家コーリン・トーマス氏(バンクーバー在住)が広島を初訪問。資料提供した広島「折鶴の会」と交流
1985/12/10
新築された広島市役所本庁舎の正面広場整備構想が決まる。被爆した旧庁舎の正面階段を同じ位置に残し、地下室(76平方メートル)を展示室として保存
1985/12/10
ニュージーランドのロンギ労働党政権が核積載艦の入港を禁止する反核法案を議会に提出。米国務省は「法案が可決されれば同盟関係は終結」と警告
1985/12/11
シリアのタラス国防相がサウジアラビアの雑誌(11日発売)で「イスラエルの核戦力に対抗するため、核兵器入手を検討中」と表明
1985/12/11
広島県山県郡戸河内町の上殿小学校の卒業生らが建立を進める「山ゆり平和祈念像」台座に、被爆した広島市役所の旧本庁舎敷石の使用が決まる
1985/12/12
米文学者エレノア・コアさんの著作「サダコと千羽鶴」のドイツ語版に添える折りづると本の挿絵(四国五郎氏)が完成し、広島「折鶴の会」会員が荒木広島市長に渡す。市長の序文とともに発送へ
1985/12/12
ニュージーランドのロンギ首相が、環境保護団体グリーンピースの核実験抗議船爆破事件で「仏政府に22億3,000万円の賠償金を要求」と発表
1985/12/12
ゴルバチョフ・ソ連書記長が「NATOのパーシング2に対抗してソ連欧州部に追加配備していた中距離核ミサイルSS20の撤去完了」と述べる
1985/12/12
国連総会本会議が宇宙軍拡防止決議を採択
1985/12/12
北朝鮮がモスクワで核拡散防止条約に加盟-。ニューヨーク・タイムズが26日付で報じる
1985/12/13
広島市が国際平和年記念事業として1986年8月にノーベル平和賞受賞者シンポジウムを計画。荒木市長が市会で明かす
1985/12/13
原子力安全委員会のまとめた1985年版原子力安全年報が閣議で報告。安全研究の推進を強調
1985/12/13
1985年度芸術祭賞に「広島の女上演委員会」(村井志摩子さん主宰)が選ばれる。被爆3世代の女性を描く女一人芝居・3部作を企画
1985/12/14
米原子力潜水艦ピンタードが横須賀港に入港。26日に出港。1985年の寄港回数は初めて30回に。うち核積載可能艦が70%
1985/12/15
「核戦争防止国際医師会議(IPPNW)」のノーベル平和賞受賞を記念する学術講演会が広島市内で開会。国立名古屋病院の大北威副院長が「IPPNW共同会長の米バーナード・ラウン、ソ連のエフゲニー・チャゾフ両博士の広島訪問が実現する見通し」と述べる
1985/12/15
カナダの劇作家コーリン・トーマス氏が書いた戯曲「千羽鶴」が東京・田端の文化座アトリエで日本初上演。22日まで
1985/12/15
広島市内の電車内で被爆した人の手記集「電車内被爆者の証言」が広島電鉄から出版。乗客58人と復旧1番電車の車掌堀本春野さんらが寄稿
1985/12/16
米国務省がベトナム介入初期の1955~57年の情勢分析など極秘文書を公表。ベトナム戦で北からの侵攻を想定し、原爆使用を含めた詳細な反撃・介入計画を策定していたことが明らかに
1985/12/16
国連総会本会議が、米ソに即時核凍結を求める決議や全核保有国に核兵器開発、製造中止を求める決議を採択
1985/12/17
インドとパキスタンが互いに原子力施設を攻撃しないことで合意
1985/12/17
「ヒロシマ」の著者ジョン・ハーシー氏が広島再訪取材をまとめた「ヒロシマ・その後」を追加収録した再版本が、広島国際文化財団に届く。国内でも販売へ
1985/12/17
広島県賀茂郡河内町議会が非核自治体宣言と被爆者援護法即時制定を求める請願を採択
1985/12/18
西ドイツ政府が米戦略防衛構想(SDI)への研究参加問題で、米と交渉に入ることを決める
1985/12/18
第40回国連総会が閉幕
1985/12/18
呉市議会が「核兵器廃絶・平和都市宣言」を決議。旧軍港都市での決議は横須賀に次ぎ2番目
1985/12/18
広島県議会で竹下虎之助知事が、国、広島市と協力して1986年度中にも広島原爆病院の改築に着手する方針示す
1985/12/18
ノーベル平和賞を受賞した「核戦争防止国際医師会議(IPPNW)」共同会長の米バーナード・ラウン、ソ連のエフゲニー・チャゾフ両博士が、モスクワでゴルバチョフ書記長と会談。書記長は「米との包括的核実験禁止条約の締結の用意がある」、両会長は「1986年に広島、長崎などを歴訪」を表明
1985/12/19
米国防総省が「中距離核ミサイル・パーシング2108基すべての西ドイツ配備を12月末完了」と発表
1985/12/19
「ヒロシマ・アピールズ・ポスター」1986年版の制作者に、日本グラフィックデザイナー協会理事でフリーデザイナーの早川良雄さん(東京・港区赤坂)が決まる
1985/12/19
広島市老人クラブ連合会が被爆体験集「私たちの思いを次世代へ」を発刊
1985/12/19
ソ連共産党機関紙プラウダが「米が核実験停止に同調すれば、実験停止を検証する現地査察を受け入れる用意がある」と提案。米は拒否
1985/12/20
公益信託「ヒロシマ平和基金」(運営委員長、立川昭二郎広島修道大学長)が平和活動への助成開始を決め、第1回助成金の公募を開始
1985/12/20
「原爆被災関係資料収集協議会」が、原爆死没者実態調査を進めるための関係資料リストアップ作業に着手。学徒動員や徴用工の名簿、企業職員録、病院の診療録など広く掘り起こしへ
1985/12/20
ストックホルムの欧州軍縮会議第8回会議が終了
1985/12/20
山口県熊毛郡上関町の片山秀行町長が中国電力本社と山口県に、原子力発電所誘致の意向と立地調査実施のための条件整備を進めるよう申し入れ。21日、通産省に原発立地に伴う地域振興策を要望
1985/12/21
広島県原水協(佐久間澄理事長)と同県被団協(同)が歳末見舞金14万3,000円を贈る。ほかにも県内25施設、団体に計130万円寄付へ
1985/12/22
中国新疆ウイグル自治区での核兵器開発計画に反対し、学生200~300人が北京市内で抗議デモ
1985/12/23
米ホワイトハウスが1985年末で期限切れになる第2次戦略兵器制限条約(SALT2)について、期限切れ後も自動的に条約を順守する方針を確認
1985/12/23
環境保護団体グリーンピースが「核実験監視船爆破事件で、仏政府が全面的に責任を認める公式合意文書に調印」と発表。仏外務省も補償交渉開始を発表
1985/12/23
広島市が本庁舎建設工事で市立倉掛小学校(同市安佐北区)に移植した被爆桜2本の植え戻しと、同校への接ぎ木二世桜の寄贈を決める
1985/12/23
1986年度予算の大蔵省原案で、被爆者実態調査に基づく原爆被害全体像報告書「原爆白書」の作成が認められる
1985/12/24
オーストラリア国営ABC放送が、平和記念公園で広島「折鶴の会」会員の平和メッセージを収録。1986年1月1日にラジオ番組で放送
1985/12/24
広島県医師会が全国の医師110人から寄せられた被爆手記集「傷痕2」を発行
1985/12/25
ソ連と北朝鮮が、北朝鮮の原子力発電所建設で経済、技術協力協定に調印
1985/12/25
社会党、総評、総評被爆連、原水禁国民会議の4団体が増岡博之厚相に、被爆者援護法を直ちに制定するよう申し入れ
1985/12/25
中国電力が山口県熊毛郡上関町に「原子力発電所の立地に向け立地環境調査ができるよう条件整備に協力」と回答
1985/12/25
広島県比婆郡西城町議会が「非核町宣言」を求める請願書を採択。同県賀茂郡福富町議会も「非核自治体宣言」の住民請願を採択。同県内の宣言自治体は39に
1985/12/26
1986年度予算案の復活折衝で、広島原爆病院の改築が決まる。広島赤十字病院と共用の6階建てを新築。総事業費約27億円、原爆病院分は約15億円。86年度着工へ
1985/12/26
広島県労被爆連、同県被爆二世団体連絡協議会など4団体が、荒木広島市長に被爆者援護法制定や被爆二、三世対策の強化を求める要請書を提出
1985/12/26
レバノンのミドル・イースト・リポーター紙が「イスラエルは米パーシング・ミサイルより割安の戦術核兵器の配備を決定済みで、1985年には核弾頭を40発に増やした」と報じる
1985/12/27
米エネルギー省が所有しているオハイオ州パイクトンのポーツマス核燃料工場で、六フッ化ウランが大気中に21キロ漏出
1985/12/28
米エネルギー省が「ネバダで地下核実験を実施」と発表
1985/12/30
荒木広島市長が米核実験に抗議電報。31日、被爆者らが原爆慰霊碑前で抗議の座り込み
1985/12/31
広島市の原爆養護ホーム舟入むつみ園と神田山やすらぎ園の志水清所長が勇退。広島大原医研所長など務め、1969年からむつみ園理事長、73年11月から同所長。「高齢化対策がすべてでした」
1985/12/--
広島市こども図書館が、収集した原爆関係の本から子供向け200冊を選び、目録「子どもたちへ原爆を語りつぐ本」を出版
1985/12/--
ブラジル・サンパウロ市で開かれた初の原爆平和展(10月23日~11月10日)の反響を伝える現地邦字新聞が原爆資料館へ届く
1985/12/--
政府が小規模地下核実験探知のため、世界50カ国の地震観測所を結ぶ情報ネットワークづくりの推進方針固める。1986年度に情報交換網設置を目指す
1985/12/--
広島インターナショナルスクールの「千羽づるクラブ」が折りづる運動を呼び掛ける冊子を作り、来日前の各国出身校に送付を始める
1985/12/--
米戦略爆撃調査団が広島の被爆直後を撮影した16ミリカラーフィルム全10巻に解説文をつける作業が、広島平和文化センターで完了。フィルムから写真約660枚を作成し、写真家松重美人さん、広島女学院大の庄野直美教授、国立名古屋病院の大北威副院長の3人が解説を担当
1985/12/--
「核戦争防止国際医師会議(IPPNW)」の支部結成の動きが全国で活発化。ノーベル賞受賞を機に奈良県で結成のほか、山口、島根県などでも準備

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