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ヒストリー

ヒロシマの記録1984 9月


1984/9/1
イタリア北部のコモ市のアントニオ・スパリーノ市長が世界平和連帯都市市長会議に賛同。同市在住の大塚貴子さんが仲介
1984/9/2
米の30日の地下核実験に抗議し、広島市の原爆慰霊碑前などで被爆者らが座り込み。「平和の灯」をカナダ・トロント市に分火のため広島市を訪れている節子サーローさんも参加
1984/9/2
中国教育学会の張承先会長ら4人が原爆資料館などを見学。全国原爆被爆教職員の会が招く
1984/9/3
「平和の灯」をカナダ・トロント市に分火のため同市のマッシー・ランバーディ神父と被爆者の節子サーローさんが、荒木広島市長にアーサー・エグレトン市長から託された平和メッセージなどを手渡す。4日、平和記念公園で採火式
1984/9/4
広島市南区比治山本町の「鶴見橋の被爆柳」が台風で被害を受け、広島市が保護作業
1984/9/5
ライオンズクラブ国際協会(本部米国)のバート・メイソン会長が広島で平和アピール。同市基町の中央公園「平和の森」に設置した記念碑「姉妹の像」の除幕式にも出席
1984/9/5
横須賀、呉、佐世保、舞鶴4市の旧軍港市振興協議会が、非核三原則厳守などの「非核アピール」
1984/9/5
荒木広島市長がスウェーデンのストックホルムで開く「現代世界核の脅威展」(国連広報局主催)の開会式と平和セミナーに出席のため広島空港から出発。途中、姉妹都市のソ連・ボルゴグラード市にも寄り、世界平和連帯都市市長会議への出席を要請
1984/9/6
全国心身障害者雇用促進大会で広島市を訪れた坂本三十次労相が原爆資料館を見学、慰霊碑に参拝
1984/9/6
米の中立系調査機関パブリック・アジェンダ財団が、米国民の核意識について世論調査結果発表。「1950年代初期には、米国民は2対1の比率で核兵器は平和に役立ち、戦争の危険を減少させるものだと信じていたが、現在は89%が核戦争の勝者はなく、核戦争になれば米ソとも完全に破壊されると考えている」
1984/9/7
反原爆の願いを込めた長崎の「平和の水」が長崎市からカナダ・トロント市に贈られることになり、同市内の日本二十六聖人記念館で贈呈式(「長崎年表」)
1984/9/7
原水禁84年世界大会広島実行委員会が、県原水協と県原水禁の意見の違いから大会総括を断念、経過報告だけにとどめる
1984/9/7
荒木広島市長が姉妹都市のソ連・ボルゴグラードを初訪問。ウラジミール・アンドロポフ市長が世界平和連帯都市市長会議への参加を約束。東側諸国の参加表明は初。同市で原爆写真展開催も決まる
1984/9/8
浄土真宗本願寺派安芸教区が西本願寺広島別院で第2回「平和を願う念仏者の集い」。約300人が参加
1984/9/9
米誌USニューズ・アンド・ワールドリポートによると米国内58自治体で非核地帯宣言▽メリーランド州ガレットパーク=最初に核兵器を非合法化▽ハワイ州マウイ郡=核装備艦の寄港を禁止▽カリフォルニア州チコ=核兵器を製造した者に対し500ドルの罰金▽マサチューセッツ州アマースト=町当局が国防総省と契約関係のあるハリス社からのタイプライター購入契約を解除▽メリーランド州タコマパーク=核兵器開発の一翼を担っているモトローラ社の無線装置を他社製品に
1984/9/9
ニュージーランドの与党労働党が核保有国との同盟関係の廃棄を求める決議を採択。オーストラリア・ニュージーランド・米相互安全保障条約(ANZUS)からの脱退を意味するが、ロンギ首相は「決議が政策になるまでにはいくつかの段階を経る必要がある」と脱退を否定
1984/9/10
横須賀市議会が核兵器を廃絶し平和都市となることを訴えた「核兵器廃絶平和都市宣言」を決議
1984/9/10
ソ連がセミパラチンスクで地下核実験。スウェーデンの観測所が発表
1984/9/10
被爆写真などで核兵器の惨禍を紹介する「現代世界核の脅威展」の北欧巡回展がスウェーデンのストックホルムで開会。荒木広島、本島長崎両市長が出席。広島、長崎両市と創価学会が協力、国連広報局が主催。10~28日(ストックホルム)、10月10~30日(ヘルシンキ)、11月7~18日(オスロ)、11月25~12月20日(ノルウェー・ベルゲン)。11日、荒木市長らはパルメ・スウェーデン首相と会見。13日、広島帰着
1984/9/11
オーストラリア政府の英国核実験調査委員会で、元英兵士のジェフリー・ロバートソン氏が英核実験参加退役軍人協会を代表し「実験でモルモット代わりに使われた」と証言。放射能雲の中を飛行中に食事、艦艇でキノコ雲を追跡
1984/9/11
広島大原医研の鎌田七男助教授らが「10代半ばに爆心から近距離で被爆した女性の間で、非被爆者の25倍も乳がん発生」と発表
1984/9/12
6月に米の核巡航ミサイル配備延期を決議したオランダ議会外交委員7人が広島市を訪れ、原爆資料館を見学。レーラス・テルベーク委員長「被爆の実相を見て核戦争の恐ろしさがよくわかった。配備延期は正しかった」
1984/9/12
東南アジア諸国連合(ASEAN)常設委員会会議が東南アジアを非核地帯にすることで原則合意
1984/9/12
広島平和会館内の原爆被爆者相談所が被爆者健康手帳の交付を受けるため証人を捜している4人を新たに公表。1972年7月以来150回目、計548人に
1984/9/13
日本被団協顧問の行宗一さんらが、東京に草の根の市民運動の拠点「平和事務所」開設。「(運動の)混乱はこりごり。初心に帰って運動を再生しなければ」
1984/9/13
米エネルギー省が「13日、ネバダで地下核核実験を実施した」と発表
1984/9/13
荒木広島市長が10日のソ連核実験に抗議電報
1984/9/14
荒木広島市長が13日の米核実験に抗議し在日米大使館に電報。この年27回目、米へは11回目
1984/9/14
カナダ・トロント市で広島から送った「平和の灯」がローマ法王ヨハネ・パウロ二世の手でともされる。市役所前の「平和の庭」に約3,000人が出席し点火式
1984/9/14
米が1952~54年の外交文書公表。第1次インドシナ戦争で仏の劣勢を懸念、ベトナム独立同盟会(ホー・チ・ミンが率いるベトミン軍)南下を阻止するため中国への原爆使用を検討したことが明らかに
1984/9/14
ソ連の10日の地下核実験に抗議し、広島県内28カ所で座り込み。この年26回目、通算271回目
1984/9/15
中米コスタリカにある国連平和大学の学長で同国の前大統領ロドリゴ・カラッソ・オディオ氏が広島市を訪れ原爆資料館を見学。広島大平和科学研究センターと交流。「世界の博物館は人類の進歩と英知を展示しているが、ここには人類の破壊と野蛮さを展示している」
1984/9/15
広島県と友好提携を結ぶため広島市を訪問中の中国四川省友好代表団(代表、楊柝綜省長)が原爆慰霊碑に参拝
1984/9/16
米の13日の地下核実験に抗議し、広島県内の28カ所で座り込み。この年27回目、通算272回目
1984/9/17
仏ルアーブル港で核燃料積み込みのため入港しようとした日本船鎌倉丸がグリーンピースの抗議行動で立ち往生
1984/9/18
荒木広島市長が市会で「毎年の平和宣言が広島の原点の訴え。全国に先駆けて核兵器廃絶を宣言している都市であり改めて非核宣言する必要はない」と答弁
1984/9/21
米ブッシュ副大統領から広島市在住の英語講師ローレンス・ウィッグさんに「訪日する機会があれば、日程を調整して広島の原爆資料館を訪れたい」と手紙
1984/9/21
「人民日報」が「自力で設計・生産した原潜が就航」と報道
1984/9/22
渡部恒三厚相が中国新聞のインタビューに「1985年の被爆死没者調査は、広島、長崎両市などがこれまでやってきた調査に頼る」とトーンダウン。国勢調査に合わせた全国的な死没者調査は困難との見解
1984/9/23
日本平和教育研究協議会(森田俊男代表)主催の第12回全国平和教育シンポが、初めて東京で開催。「核戦争の危機と教育の課題」をテーマに約400人が参加
1984/9/23
第2回国連軍縮フェローシップ計画の若手外交官24人が広島入り
1984/9/23
1950年代に英のオーストラリアやクリスマス島核実験に参加した英軍兵士の子ども57人が、障害を持って生まれたり、生後すぐ死亡するなどの後遺症-。英日曜紙のサンデー・ピープルが報道
1984/9/23
スイスで原子力発電所の新規建設の是非をめぐる国民投票。建設禁止派が敗れる
1984/9/25
原水禁国民会議が米統合参謀本部の初期の時代(1946~51年)の核戦略文書を入手。「原爆に対する防御はない。有効な行動は先制攻撃をかけること」「原爆は広い都市、産業地域、港湾などでの人間の生命、活動に抜群の効果を持つ」「原爆の持つ心理効果が、戦争の結末を決定する大きな要因」など記述
1984/9/25
広島市内で被爆者とその家族、遺族まで含めた新しい被爆者組織「広島原爆被害者の会」の結成準備会開く。瀬戸高行元広島県労事務局長、広島被爆者団体連絡会議の近藤幸四郎事務局長らが中心。「本格的な被爆者組織のなかった広島旧市域の空白を埋める」。広島県被団協(森滝市郎理事長)に加盟へ。11月10日、「広島市原爆被害者の会」(瀬戸高行会長)として結成
1984/9/25
ロンギ・ニュージーランド首相が国連で南太平洋非核地帯化支持を表明
1984/9/28
広島県豊田郡の大崎、東野町が非核町宣言。同県内では安芸郡府中町に次ぐ
1984/9/30
米コーネル大のカール・セーガン博士が米誌で「米ソ所有の核兵器の1%が使用されても『核の冬』は起きる」と警告
1984/9/30
パキスタンの原子物理学の最高権威アブデル・カデル・カーン氏が、エジプトの雑誌のインタビューに対し「パキスタンは原爆だけでなく水爆製造能力も持っているが、核兵器開発はしない」と述べる
1984/9/--
米の国防情報センター(ジーン・ラロック所長)が「1985年8月6日を期して、核実験全面停止を求める反核キャンペーンを」と機関紙で呼びかけ
1984/9/--
米の天文学者カール・セーガン、生物学者ポール・エーリッヒ、ドナルド・ケネディ、ウォルター・ロバーツ氏が「寒気と暗闇」と題する本を出版。米ソ核戦争が起これば、人類の11億人が即死、同数が致命傷を受け、地球は氷点下40度になると予測

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