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ヒストリー

ヒロシマの記録1983 3月


1983/3/1
ビキニ被災29周年。静岡県焼津市で故久保山愛吉氏の墓前祭。日本宗教者平和協議会(壬生照順理事長)主催。全国から1,000人が参加
1983/3/1
広島平和記念館で「太平洋非核化をめざす3・1ビキニデー広島集会」。広島県原水禁、広島県原水協、学者、文化人が呼びかけ、130人が参加。(1)太平洋、日本海の非核化(2)ベラウ共和国の非核憲法支持-などを決議▽静岡県焼津市で「1983年3・1ビキニデー焼津集会」。同県内の原水禁、原水協などで組織する「3・1ビキニデー静岡県実行委員会」主催。全国から800人参加▽山口市内で山口県原爆被爆者福祉会館ゆだ苑が主催して「ひとりでも多くの人々と平和を考える夕べ」。100人が参加
1983/3/2
東京の日本教育会館で「反核-言葉を通して」をテーマにした第2回核戦争の危機を訴える文学者の集い。作家の三好徹氏や佐多稲子さん、詩人の栗原貞子さんら10人が参加。三好氏「言葉による抵抗は、物理的な力には負けがちだが、最後まで抵抗を貫き通すことが大事」
1983/3/3
福山地区原爆被爆教職員の会が健康実態調査。会員の6割が病院通い。健康管理手当など被爆者援護措置を知らない人もいて、情報不足、関心の薄さも浮き彫り
1983/3/3
「英が核攻撃をうけた場合、最初の爆発による死者は4,000万人を超す」。英医学協会が核戦争被害を推定した報告書
1983/3/3
広島県原水禁の「反核語り部の旅」の被爆者代表として、西ドイツのニュルンベルクで開かれた「核戦争を告発する模擬国際法廷」に参加した小倉桂子さんが帰国。広島市役所で「国際法廷では、いかなる核兵器の開発、配備、脅迫も国際法違反との判決が下されるなど大きな実り」と報告
1983/3/3
パリの「広島・長崎を伝える会」(山崎茂樹会長)から中国新聞に欧州の反核運動の近況を伝える便り。「欧州では北大西洋条約機構(NATO)軍の戦域核ミサイル・パーシング2、巡航ミサイル配備の年を迎え、昨年以上の反核運動の高まりが予想される。西ドイツでは戦域核ミサイルの配備問題が総選挙の争点」
1983/3/4
ネバダ核実験に参加した軍人や風下住民に多発するがんと放射能の因果関係を究明するため、米政府が初の総合調査を実施へ。オリンハッチ上院議員が明かす
1983/3/6
米空軍が極秘文書「2000年の米空軍、21世紀へ向けた空軍力」で、20世紀中に核武装する国として日本、パキスタン、イラク、リビア、台湾、韓国、西ドイツ、イスラエル、南アフリカ、ブラジル、アルゼンチンの11カ国
1983/3/6
山口県上関町で反原発デモ。漁船50隻、280人が海陸で気勢
1983/3/6
原爆詩人峠三吉さん没後30年。広島市の平和記念公園内にある碑前祭に250人集う
1983/3/7
広島県原水禁の「反核語り部の旅」の被爆者代表として、非核憲法の島ベラウ(パラオ)共和国を訪問した西条養護学校の野村一枝教諭らが帰国。広島市役所で「米の核基地化を拒否している島民を支援したい」と報告
1983/3/7
「アリス・ハーズ夫人記念平和基金」受賞を記念して広島市翠町中学校に米平和運動家アリス・ハーズさんをしのぶ記念碑が完成、除幕式
1983/3/7
第7回非同盟諸国首脳会議がインドのニューデリーで100カ国の首脳らが出席して開幕
1983/3/8
日本被団協が被爆者援護法制定を求め東京で中央行動。四谷の主婦会館で被爆者や支援団体の250人が決起集会。伊藤サカエ代表委員ら6人が二階堂進自民党幹事長を訪ね、被爆者実態調査、原爆死没者・遺族調査、援護法制定への努力を要請。10日まで
1983/3/8
国際婦人デー。「平和と自由のための国際婦人連盟」(WILPF)がブリュッセルで第2回「兵器競争をやめよ」運動。西欧各国、米、カナダ、オーストラリアなどから数千人の女性活動家が集まりデモ
1983/3/8
米下院外交委員会(ザブロツキ委員長)で米ソが保有する核兵器の現状凍結を求める決議案を賛成27、反対9で可決。「即時凍結」の表現は削除。レーガン大統領は決議を「米を劣位に陥れる」と非難
1983/3/9
日本被団協の被爆者援護法制定要求中央行動の2日目。原水禁83年世界大会準備委員会主催の「被爆者援護法即時制定要求国民集会」と被爆問題市民団体懇談会主催の「ふたたび被爆者をつくらないための市民集会」開く
1983/3/9
米政府が原子力空母エンタープライズの佐世保寄港を外務省に正式通告
1983/3/9
任意団体の原爆資料保存会が原爆資料館で売店を経営している問題で、広島市の西田展康市長室長が「好ましくない。10月から撤去」の方針示す
1983/3/10
桟熊獅(かけはし・くまし)佐世保市長がエンタープライズ寄港で政府に核抜き確認を要請
1983/3/12
第7回非同盟諸国首脳会議が閉幕。核兵器凍結などを求めたニューデリー・メッセージを採択
1983/3/12
動力炉・核燃料開発事業団の高速増殖実験炉「常陽」が10万キロワットの最高出力を達成
1983/3/13
米紙ニューヨーク・タイムズが「米カリフォルニア大の研究チームが、アルミニウムとリンの放射性同位元素の原子核から5番目の原子核崩壊様式『重陽子崩壊』を発見」と伝える
1983/3/13
政府が対ソ政策上、NATO主要国と安全保障問題に絞った協議を集中的に行う方針固める
1983/3/13
米軍岩国基地報道部が、同基地の核持ち込み疑惑を指摘されていた第1海兵航空師団兵器部隊(MWWU-1)を、訓練拡大のためグアム島へ移駐と発表
1983/3/13
原爆作家原民喜さん33回忌。故人をしのぶ「花幻忌」が初めて古里の広島市で営まれる。作家の遠藤周作さんや義弟で作家の佐々木基一さん、評論家の川西政明さんら「東京花幻忌」のメンバー15人と地元から120人が出席。原さんの被爆当日の避難経路をバスでたどる
1983/3/15
米原子力規制委員会が、カリフォルニア州のサンオノフレ原子力発電所で緊急停止装置の故障が見つかり、同型の加圧水型炉48基に再び点検命令 1
983/3/15
米下院軍事委員会が「外交委員会の核凍結決議はソ連を助長」と報告書。本会議で逆転否決を狙う
1983/3/16
広島市の特別名誉市民メアリー・マクミランさんが3年ぶりに広島市を訪問。荒木市長らと懇談。「保守的なフロリダの住民にも平和運動が広がりつつある」
1983/3/16
米下院本会議がザブロツキ外交委員長ら200議員が共同提案した「核凍結決議」の採決を延期。反対派が修正案を連発。レーガン大統領も切り崩し工作
1983/3/17
ナイジェリアのイシャ・アウドゥ外相夫妻が広島市を訪問、原爆資料館など見学
1983/3/17
社会党の曽我祐次副委員長と八木昇国際局長が北京で中国共産党の張香山・党対外連絡部顧問と両党関係の正式樹立を確認、原水禁世界大会への参加を要請
1983/3/17
マンスフィールド駐日米大使が安倍晋太郎外相に日本の非核政策の順守を再確認
1983/3/17
社会党など野党6党が被爆者への年金支給を盛り込んだ被爆者援護法案を衆院に共同提出
1983/3/17
中国電力島根原子力発電所2号機の第2次公開ヒアリングに反対派の島根県評も参加を決める
1983/3/18
広島の大学教官らで組織する「平和と学問を守る大学人の会」(代表理事、北西允広島大教授、100人)が、広島市の非核地域宣言を求める署名運動を広島大、広島女子大、広島修道大、広島女学院大の教官に呼びかけ、235人が署名。広島県議会と広島市議会に非核宣言を要請へ
1983/3/20
米紙ワシントン・ポストが「中曽根首相の『不沈空母』発言は通訳の意訳で、本当は『大きな空母』と述べた」と報道
1983/3/21
カリフォルニア州など全米各地で反核デモ。200人が逮捕
1983/3/21
「世界の四分の一にあたる45カ国で武力紛争が起き、大半に米ソ両国が武器供与など戦闘拡大を促進」。米国防情報センター(ラロック所長)が報告書
1983/3/21
3・21広島20万人集会1周年にちなみ、広島市で2つの反核集会。20万人集会を開いたヒロシマ行動実行委員会主催の市民シンポジウム。「反戦、反核のために、いま私たちに何ができるか」をテーマに400人が参加。もう一つは、ヒロシマ・反核テーブル(世話人、鹿子木幹雄広島修道大教授)主催の「平和のためのヒロシマ草の根集会」。100人が参加、草の根反核運動の継承誓う
1983/3/21
米原子力空母エンタープライズが原子力巡洋艦ベインブリッジなどの随伴艦とともに佐世保港に15年ぶりに寄港。革新団体が海と陸から抗議デモ、8人逮捕
1983/3/22
「広島、長崎への原爆投下は非戦闘員の大量殺りくが目的だった」。米スタンフォード大のバートン・バーンスタイン教授が政治制度研究専門誌「センター」に寄せた論文で結論。「2都市が目標として選ばれたのは、住民が無防備状態に置かれていたため」と指摘
1983/3/22
米オハイオ州クリーブランド市の私立クリーブランド健康教育博物館のロウェル・バーナード館長らが広島平和記念館を訪れ、「放射能と人類」展示会用に、原爆の絵や写真など資料の貸し出しを要請。広島市は了承
1983/3/22
日本グラフィックデザイナー協会と広島国際文化財団が、ヒロシマを訴えるポスターを制作して平和を呼びかけるキャンペーンの構想を発表
1983/3/23
18日から東京で開かれている「イスラエルのレバノン侵略に関する国際民衆法廷」に参加したアルジェリアのモハメッド・メタトラ国民議会副議長らアラブ各国代表が広島市を訪問。24日、原爆慰霊碑に参拝
1983/3/23
米下院が国防費100億ドル削減の民主党決議案を可決。野党提案で初
1983/3/23
原子力産業会議の年次大会が東京で始まる。25日まで。有沢広巳会長が放射性廃棄物の処分方法について、ロンドン条約により海洋投棄が不確実になったとして、陸地処分、施設貯蔵の推進を強調
1983/3/23
在日米軍筋が「核装備予定の戦艦ニュージャージー佐世保母港化を検討」と言明
1983/3/24
第二次大戦中、三菱重工広島造船所に徴用されて被爆し、帰国途中に長崎県壱岐、対馬で遭難した韓国人のものとみられる遺骨の収集、祖国送還問題について、厚生省が現地調査団を派遣へ。衆院社会労働委員会で山本純男援護局長が明かす
1983/3/24
社会党など野党6党が共同提出した原子爆弾被爆者援護法案の審議が衆院社会労働委員会で始まる。広島県原水禁、広島県労会議など5団体は「国家補償の精神に基づく援護法の即時実現を求める」と声明を発表
1983/3/24
ハッチ米上院労働委員長(共和党)が1950年代にネバダ核実験場周辺で死の灰を浴びた住民を救済する「放射能がん補償法案」を提出。因果関係が50%以下しか認められない被曝者に、一定の比率で補償金支払い
1983/3/25
レーガン米大統領がミサイルを迎撃する未来兵器研究・開発に関する大統領命令に署名
1983/3/25
大阪府堺市と寝屋川市議会が「非核平和都市宣言」を決議
1983/3/25
米原子力空母エンタープライズが佐世保を出港
1983/3/26
米エネルギー省が「ネバダ州の核実験場で26日、地下核実験を行った」と発表
1983/3/28
荒木広島市長が米核実験に抗議する電報をマンスフィールド駐日大使に打つ
1983/3/28
放射線影響研究所の加藤寛夫疫学統計部長代理が「胎内被爆者にがんが多発」と米ペンシルベニア州立大の原子力公開討論会で報告
1983/3/29
映画「ヒロシマ・ナガサキ―核戦争がもたらすもの」が第24回科学技術映画祭に入選
1983/3/29
米核実験に抗議し、広島市の原爆慰霊碑前など広島県内10市7町の26カ所で被爆者や市民が座り込み。「東京・西多摩・ヒロシマ子ども派遣団」(三神峯子団長)の小、中学生も
1983/3/30
レーガン米大統領が「ジュネーブの欧州中距離核戦力(INF)削減交渉で暫定的削減案を新たに提案」と声明。従来のゼロ・オプションに代え、暫定的にミサイルの数を一定枠に抑える妥協案。モスクワ放送は「提案はゼロ・オプションの焼き直し」と批判
1983/3/31
エドワード・ケネディ上院議員から米議会内外の核凍結を求める動きを伝える手紙が広島市の原爆資料館に届く。「レーガン政権の圧力にもかかわらず、44の州、自治体で核凍結案を採択」
1983/3/--
被爆歌人・故正田篠枝さんの幻の歌集「さんげ」(1947年出版)が短歌仲間の手で復刻
1983/3/--
広島、長崎の被爆者の体験と科学者の証言を基に構成されたドキュメンタリー・ドラマ「ゴースツ・オブ・ヒロシマ」が米オハイオ州各地で上演され、好評
1983/3/--
横浜市の被爆者黒川万千代さんが広島での被爆体験や自らの平和運動をまとめた中、高校生向けの平和教材「猫ちゃんは帰らない-何よりも平和を」を出版
1983/3/--
米政府緊急対策局が1982年、22州の公立幼稚園、小、中、高校の児童、生徒8万人を対象に「核戦争も災害の一種で、有能な軍隊とよく訓練された市民の協力があれば生き残れる」という緊急対策教育を実施。9月からさらに広い範囲で実施へ。科学者や教師から「核戦争を自然災害と同列視」と反発の声も。米反核団体の連絡機関誌「ニュークリア・タイムズ」が3月号で報道
1983/3/--
大阪府豊能郡能勢町の久佐々小学校の卒業生52人が記念制作で、ヒロシマ学習で触れた被爆の実相や差別をテーマにしたレリーフ「ヒロシマの叫び」を作る
1983/3/--
米メーン州ステットソンの住民大会で、非核地帯化宣言。ソ連に対し核攻撃の対象から同町を除外するよう要請する決議も

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