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ヒストリー

ヒロシマの記録1983 4月


1983/4/1
原水爆禁止83年世界大会準備委員会が8・6平和行進の実施を決める。日本原水協と原水禁国民会議が同一の行進に参加、1963年以来、20年ぶりに統一行進へ
1983/4/1
北大西洋条約機構(NATO)の戦域核配備に反対し、ロンドン郊外のグリーナムコモン米空軍基地とバーフィールド兵器工場の22キロを7万人で結ぶ「人の鎖」。反核団体「核軍縮運動」(CND)が動員。100人逮捕
1983/4/1
4年間、原爆資料館長を務めた高橋昭博氏が広島平和文化センターに異動。新館長に被爆者の川本義隆氏
1983/4/2
グロムイコ・ソ連外相が記者会見で欧州中距離核戦力(INF)削減交渉に関するレーガン大統領の暫定合意案を正式に拒否。ミサイルの極東移転の権利を主張
1983/4/3
グロムイコ・ソ連外相の「日本に核存在の可能性」との発言に、中曽根首相が「事実無根で遺憾千万」と非難
1983/4/3
復活祭の日、米の巡航ミサイル配備に抗議して西ドイツ、イタリア、オランダ、英など欧州各地で反核デモ。計20万人が参加
1983/4/5
全米カトリック司教会議が(1)核兵器の第一使用反対(2)新核兵器体系の開発反対(3)核抑止戦略への疑問-などレーガン政権の核戦略と対立する司教教書の第3次最終草案を発表
1983/4/5
原爆アニメ映画「はだしのゲン」の上映で、作家の中野孝次氏や作曲家のいずみたく氏らが草の根上映推進委員会を東京で結成。全国1,000カ所で上映へ
1983/4/6
米情報関係筋が「ソ連は新型長距離巡航ミサイル(対地攻撃)SSCX-4を開発、今年中にも欧州方面に配備の可能性」と言明。射程は3,000キロ以上で、米の巡航ミサイル(2,000キロ)を上回る
1983/4/6
日本ペンクラブが1984年5月の国際ペン東京大会のテーマを「核状況下における文学~なぜわれわれは書くのか」と決める
1983/4/7
長崎市が爆心地から2、3キロの地域に住んでいた人たちの被災状況をまとめる。「同地域の被爆者のうち23%が死亡し、うち7%が被爆当日に死亡」
1983/4/11
米司法省から「政治的プロパガンダ」と米での上映を差し止められたカナダの反核映画「もしこの地球を愛するならば」が、アカデミー賞短編ドキュメンタリー賞
1983/4/11
米戦略核戦力近代化計画の再検討をレーガン大統領から諮問されていた大統領特別委員会(スコウクロフト委員長)が小型大陸間弾道ミサイル(ICBM)を開発するよう促した答申案を提出
1983/4/12
第3回日ソ事務レベル協議が外務省で始まる。カピツァ・ソ連外務次官が非核三原則順守を条件に対日核不使用を提案。日本側は「実効性なし」と反論し、極東に配備済みのSS20の撤去と追加配備の放棄を求める
1983/4/12
ワインバーガー米国務長官が記者会見で「米ソの偶発核戦争を防ぐため、ワシントン・モスクワ間のホットラインを従来のテレックスなどだけでなく、ファクシミリを活用し一層の相互信頼関係を築きたい」と提言
1983/4/13
米下院が「核凍結決議案」の本会議採決をまた延期。同決議案に反対する共和党議員が30もの修正案を連発し採決を引き延ばし、3月16日に続き採決を見送る
1983/4/14
米エネルギー省が「ネバダ砂漠で14日、地下核実験を行った」と発表
1983/4/15
荒木広島市長が米核実験に抗議する電報をマンスフィールド駐日大使へ打つ。米へ抗議電は1969年10月以来、通算100回目
1983/4/15
訪米中のコール西ドイツ首相がレーガン米大統領と会談。「ジュネーブの欧州中距離核戦力(INF)削減交渉で米ソが何らかの合意にこぎつけられない場合、西ドイツ国内へのパーシング2ミサイル年内配備に同意する」との方針を改めて確認
1983/4/15
ワインバーガー米国防長官が第15回米韓安保定期協議の記者会見で、韓国に対する「核の傘」強化、近代化の決意を表明
1983/4/16
広島県医師会が第4回在米被爆者検診医師団のメンバ-を決める。門前徹夫県立広島病院副院長、伊藤千賀子広島原爆障害対策協議会健康管理所臨床部長、田中義淳広島市立舟入病院放射線部長ら5人。6月に渡米
1983/4/17
国際原子力機関(IAEA)のシグバルト・エクルンド名誉事務総長夫妻が広島市を訪問。世界保健機関(WHO)に提出するリポートにヒロシマの実相を盛り込む考えを示す
1983/4/17
駐米ソ連大使館のイサコフ参事官がテレビ番組で「米が欧州へ戦域核を配備すれば、ソ連は米本土を射程内におさめる中南米へ核兵器を配備」と言明
1983/4/17
米核実験に抗議し、広島市の原爆慰霊碑前で被爆者や市民が1時間座り込む
1983/4/18
外務省の加藤吉弥欧亜局長が参院決算委員会で「ソ連は核不使用協定の締結を中国にも提案」と言明
1983/4/18
谷川和穂防衛庁長官が参院決算委員会で「米艦船が核の有無にかかわらず、日本の防衛に役立つのであれば守り得る」と述べ、核積載の米艦船を公海上で自衛隊が護衛することも可能との判断を示す
1983/4/19
レーガン大統領が米戦略核戦力の主力となる次期大陸間弾道ミサイル(ICBM)「MX」を既存のサイロに配備する方針を決め、議会に提出。20日、ワインバーガー国務長官は、MX配備案について上院軍事委員会で、MXの残存能力の欠陥を認める
1983/4/19
「原子力発電所の危険性は現代生活につきものであり、周辺住民の不安感に配慮する必要はない」。米連邦最高裁がスリーマイル島原発再開めぐる反対住民の訴えを却下
1983/4/20
仏政府が独自の核戦力強化をめざす長期国防年次計画(1984~88年)を閣議決定。6隻目の戦略原子力潜水艦の85年実戦配備など
1983/4/20
仏政府が「ムルロア環礁で核実験を行った」と発表。実験の日時は不明だが、オランダの気象観測所が19日夜、核実験を探知
1983/4/20
米連邦最高裁が「原子力発電所建設・操業の許認可は米原子力規制委員会の独占ではなく、州当局にも権限」と判決。原子力発電増設に厳しい枠
1983/4/20
米原子力潜水艦ホークビルが横須賀に入港。3月27日に寄港し、1日に出港したばかり
1983/4/21
荒木広島市長が仏核実験に抗議する電報を駐日大使に打つ
1983/4/21
山口県上関町の祝島漁協が総会で、中国電力の上関原子力発電所の建設に反対する決議を採択 1983/4/21
原子力安全委員会が高速増殖炉「もんじゅ」の安全性に結論、1985年着工へ
1983/4/22
英国防省が「米ネバダ州の砂漠で地下核実験を行った」と発表。1980年以来、同砂漠で行われている核実験の中では最小(20キロトン)でトライデント・ミサイル搭載用とみられる
1983/4/22
仏核実験に抗議し、広島市の原爆慰霊碑前など広島県内26カ所で被爆者や市民が座り込み
1983/4/23
原水爆禁止83年世界大会の広島実行委員会が初会合。反核草の根市民の結集をめざす「8・6ヒロシマの広場」の開催を決める
1983/4/23
広島、長崎両市の学者、文化人、平和運動家が「広島・長崎市民平和研究所」の設立を計画、広島平和記念館で準備会(事務局長、庄野直美広島女学院大教授)発足。運営資金(ヒロシマ・ナガサキ平和基金)1億円の全国募金展開を決める
1983/4/24
荒木広島市長が英核実験に抗議する電報を駐日英大使に打つ
1983/4/24
山口県上関町長選で原発推進派の片山秀行氏が当選
1983/4/24
西ドイツのミュンヘンで核戦争防止国際医師会議(IPPNW)大会を開き「核戦争での医療活動は不可能」と、戦争の際に医療活動を義務づける立法措置に反対するよう呼びかける決議を採択
1983/4/24
日本被団協の執行部に批判的な「西日本被爆者懇談会」の8府県代表が広島市で会合。被爆者数に応じた理事選出など被団協運営の内部改革を確認
1983/4/25
日韓政府合意に基づく在韓被爆者渡日治療の第5陣25人のうち15人が広島市入り。26日から広島原爆病院に入院し2カ月間、専門医の治療
1983/4/25
南方特別留学生として旧広島文理科大留学中に被爆した元ブルネイ首相、ペンギュラン・ユソフ氏が来広。原爆手帳交付
1983/4/25
英核実験に抗議し、広島市の原爆慰霊碑前など広島県内26カ所で被爆者や市民が座り込み。広島市に滞在中の特別名誉市民メアリー・マクミランさんも
1983/4/25
第5回ヒロシマ国際アマチュア映画祭の入賞作品が決まる。グランプリの広島市長賞に、埼玉県川口市の斉藤信雄、久美子さん夫妻の「おやじの墓」(8ミリカラー、30分)を選ぶ。人間の生死と親子のきずながテーマ
1983/4/26
日韓政府合意による在韓被爆者渡日治療で在韓被爆者10人が日赤長崎原爆病院に入院(「長崎年表」)
1983/4/26
政府が閣議で健康管理手当など4手当の所得制限を緩和する被爆者特別措置法施行令改正を決める。所得税額の制限基準を現行の64万1,500円から69万8,100円に
1983/4/29
日本原水協が全国理事会で理事長制を廃止し、吉田嘉清副理事長、田沼肇法政大教授、児童作家の山口勇子氏の3代表理事による集団指導制を導入。9年間理事長を務めた草野信男氏は筆頭代表委員に
1983/4/--
動力炉・核燃料開発事業団が世界初のプルトニウム廃棄物の専用処理施設の建設を計画。1986年末操業の方針
1983/4/--
大阪の教育出版社が小、中学生向けに写真を中心に編集した平和教育用教材「ヒロシマの記録・原爆資料集」出版
1983/4/--
米比基地協定の改定交渉をきっかけにフィリピンで反核、反基地運動が盛り上がり。アジア・太平洋地域の非核と外国軍事基地撤廃を求め2月に発足した「反基地連合」が運動の中核。8月の原水禁世界大会に合わせマニラで反核・反基地全国大会開催へ
1983/4/--
レーガン大統領の軍拡路線は経済発展を阻害-。「国家安全保障のための企業経営者」(本部ワシントン)など全米で企業経営者の反核グループ結成相次ぐ
1983/4/--
広島市が原爆慰霊碑の碑文の真意を伝えるため、日本語と英語の説明板設置を決める
1983/4/--
広島県安芸郡府中町の「原爆体験を語りつぐ会」が被爆証言第1集「きのこ雲を見た町から」を発刊

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