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ヒストリー

ヒロシマの記録1983 5月


1983/5/1
英紙オブザーバーがソ連の中距離核ミサイルSS20の基地10カ所とSS20搭載潜水艦基地2カ所の所在を示す地図を掲載し「SS20基地の一部は大陸間弾道ミサイル(ICBM)基地も兼ねる」と報じる
1983/5/1
反核運動を進める文学者の拠点の一つだった季刊の評論雑誌、第3次「文学的立場」(八木書店)が8号で廃刊
1983/5/2
米評論家ジャック・アンダーソン氏が米紙ワシントン・ポストで「米は既に韓国内に133発の核を配備し、国防総省は中性子爆弾の配備も検討」と指摘
1983/5/3
世界保健機関(WHO)の国際専門家委員会がWHO総会に「核戦争が健康と保健体制に及ぼす影響」と題した報告書を提出。スウェーデン・カロリンスカ研究所のベレクストロム教授(ノーベル賞受賞者)を議長に重松逸造放射線影響研究所理事長、エクルンド国際原子力機関(IAEA)名誉事務総長ら専門家22人が、広島、長崎の原爆被災以来38年間の調査、研究を集約し、核戦争が人類と社会に及ぼす殺傷、破壊効果を予測。「米ソの保有する核兵器の0.2%にあたる20メガトンの戦術核兵器が爆発しただけで、900万人が死傷し、長期間病気と飢えが蔓延」
1983/5/3
米空軍当局者が、グアム島へ配備を開始した戦略爆撃機B52G型に核ミサイル装備を確認
1983/5/3
全米カトリック司教会議が特別総会でレーガン政権の核政策を事実上否定する「反核司教教書」を賛成238、反対9で採択。教書は「核兵器は純軍事目標のみの攻撃が不可能であり、『核の第一使用』は正当化できない」
1983/5/3
アンドロポフ・ソ連共産党書記長が東ドイツ党、政府代表団の歓迎夕食会で演説し、欧州中距離核ミサイル削減で、ミサイルの数だけでなく弾頭数も英、仏と同等に削減と新提案
1983/5/3
旭川市が核廃絶、非核三原則の堅持をうたった平和都市宣言。全国で15番目
1983/5/4
米下院が延び延びになっていた核凍結決議案を賛成278、反対149で可決。共和党を中心とした凍結反対派の修正を加え、米ソ戦略兵器削減交渉での妥結が前提
1983/5/5
米エネルギー省が「ネバダ州ラスベガス北西のユッカフラット実験場で20キロトン規模の地下核実験を行った」と発表
1983/5/5
米原子力規制委員会がニューヨーク市郊外のインディアンポイントの2原子力発電所に、緊急避難計画が不十分との理由で閉鎖命令の発動を決定
1983/5/6
荒木広島市長が米の核実験に抗議する電報を駐日米大使に打つ
1983/5/6
米で初の非核条例を制定したメリーランド州ギャレットパークが「非核地帯」を示す道路掲示板
1983/5/7
原水爆禁止83年世界大会準備委員会が初めて主催する「東京-広島-長崎平和大行進」スタート。夢の島の第五福竜丸前から1,500人が20年ぶりに統一行進
1983/5/8
米核実験に抗議し、広島市の原爆慰霊碑前など広島県内26カ所で被爆者や市民が座り込み
1983/5/9
「広島・長崎市民平和研究所」づくりを進めている設立推進委員会が広島市で幹事会を開き「ヒロシマ、ナガサキ平和基金」10億円募金の展開を決める
1983/5/9
英紙タイムズが「アルゼンチンは今年10月にも核実験をする可能性」と伝える
1983/5/12
「在外被爆者支援連帯ヒロシマ委員会」(委員長、石田明広島県原爆被爆教職員の会会長)が、集まった100万円の募金で在米被爆者2人を治療に招くことを決定。米国原爆被爆者協会の倉本寛司会長に人選を依頼
1983/5/13
中国電力島根原発2号機増設に伴う第2次公開ヒアリングが開会。反対派の抗議で紛糾。14日、反対派が中途退場したまま閉幕
1983/5/13
広島市の原爆資料館が1982年度の入館者数をまとめる。136万8989人。ヒロシマ学習の修学旅行が増え、81年度を8万4,293人を上回る新記録
1983/5/14
西ベルリンで9日から開かれていた「第2回欧州核軍縮会議」が、米新型核ミサイルの欧州配備反対の声明を出し閉会。「緑の党」など400団体、3,000人が参加。8月6日に欧州各地でハンガーストライキの実施、各国の国防予算相当の税金不払いなど決める
1983/5/15
被爆の無念さを木彫りの般若面に刻み続けた広島市の前寺武夫さん(3月14日死去)をしのぶ会と遺作展が広島平和記念館で開催
1983/5/15
広島県高教組平和教育推進委員会が県内17校の高校生を対象に実施した核意識調査をまとめる。「被爆への憤り」58%に上昇。71%が「核戦争が起きる」
1983/5/15
佐世保市内で日本映画史上最大規模のセットを使い、長崎原爆投下の瞬間を撮影。「この子を残して」(原作故永井隆博士、木下恵介監督)(「長崎年表」)
1983/5/17
首なし地蔵をヒントに児童文学者の山口勇子さんが創作した「おこりじぞう」のアニメーション映画(27分、カラー)が完成、広島市の平和記念館で試写会(5・13夕、5・18)
1983/5/18
厚生、外務両省が広島で被爆し帰国途中、長崎県壱岐、対馬で遭難した韓国人のものとみられる遺骨の調査を始める
1983/5/20
元米空軍情報部長のジョージ・キーガン元少将が「第4次中東戦争の最中(1973年10月)、ソ連がエジプトに核兵器を運び込んだ」と証言
1983/5/20
広島県原水禁が理事会で反核語り部の旅第6陣をチェコスロバキアへ、第7陣を南太平洋のバヌアツ共和国に派遣することを決める
1983/5/21
文部省が中学教科書「地理」の原発記述を、検定合格後に書き直させていたことが判明
1983/5/21
京都精華大の中尾ハジメ助教授が「米スリーマイル島原発事故後、周辺住民にがんや白血病が多発」と発表
1983/5/21
広島合唱団員の熊谷勇二さんが、第2回国連軍縮特別総会(1982年6月)の参加体験を基に創作した合唱構成詩「原爆ゆるすまじを世界の空に-ヒロシマからニューヨークへ」を広島市で開かれた定期演奏会で発表
1983/5/22
日本被団協の28回定期総会が、被爆者援護法制定や反核運動強化の方針を決め、閉会。「西日本地区被爆者問題を考える会」から提出された理事の比例代表制は特別委員会を設け検討へ
1983/5/23
西ドイツ・ハノーバー市との姉妹都市縁組調印を兼ね欧州各国を親善訪問する荒木市長らが出発
1983/5/23
1950~60年代の米核実験で被曝した元兵士と被曝二世の救済を目的とした「被曝兵士補償法案」が下院に提出
1983/5/23
ワシントンの米連邦議会議事堂で反核を訴えるキリスト教各宗派が集会。警察の退去命令を無視した司祭や牧師ら242人が逮捕
1983/5/23
日本被団協が厚生省と各政党に被爆者援護法制定や死没者調査を含む被爆者実態調査の実施要請
1983/5/24
「被爆直後に広島、長崎へ駐留したり、戦後235回の核実験に従事し、被曝した米兵は13万9,000人。うち連邦政府の許容被曝線量年間5レムを超えた被曝者は1,139人」-。米国防総省国防原子力局(DNA)が下院復員軍人委員会調査委員会に初めて公表。広島、長崎での放射能除去作業はすべて日本人だったことも判明
1983/5/25
広島、長崎の両県市と両議会で構成する広島・長崎原爆被爆者援護対策促進協議会(八者協)が被爆者対策の充実を求めて政府や地元選出国会議員らに陳情
1983/5/25
「原爆投下の日を3割しか知らない」-。創価学会九州学生部が九州の大学生を対象に戦争と平和の意識に関する調査
1983/5/25
死んだ弟になりすまし被爆者健康手帳を不正に取得し、健康管理手当を5年間二重取りしていた男を広島北署が詐欺の疑いで逮捕
1983/5/26
米エネルギー省が「ネバダ州で26日、2回の核実験を行った」と発表。いずれも20キロトン以下
1983/5/26
荒木広島市長が仏核実験に抗議する電報を駐日仏大使に打つ
1983/5/26
社会党など野党6党が共同提出していた原爆被爆者援護法案が衆院本会議で継続審議に
1983/5/26
「子どもたちに世界に!被爆の記録を贈る会」の10フィート運動最終作映画「歴史-核狂乱の時代」(羽仁進監督)が完成、東京で試写会
1983/5/26
デンマーク議会が、米新型核ミサイルの欧州配備延期を各国に働きかけるよう決議
1983/5/26
ニュージーランドの地震学者ウォーウィック・スミス氏が「仏が26日、ムルロア環礁で核実験を行った」と語る。爆発は70キロトン規模で、仏の同環礁核実験で最大規模。ヘイドン・オーストラリア外相が抗議声明
1983/5/27
広島市が荒木市長名で米核実験に抗議する電報を駐日米大使に打つ
1983/5/27
英紙ガーディアンが保守党の防衛政策に対する世論調査結果を掲載。「米巡航ミサイルの国内配備とトライデント・ミサイルの導入に54%が反対」
1983/5/27
西ドイツ訪問中の荒木広島市長とシュマルスティーク・ハノーバー市長が姉妹都市縁組協定書に調印。広島市にとって、ホノルル、ボルゴグラードに次いで3番目。ハ市は第二次大戦で市街地の60%が破壊され、毎年8月6日に平和記念式典
1983/5/28
米、仏の核実験に抗議し、広島市の原爆慰霊碑前など広島県内26カ所で被爆者や市民が座り込む
1983/5/28
第9回先進国首脳会議に出席している中曽根首相が、各国首脳と個別に会談し、欧州への核配備について「北大西洋条約機構(NATO)が配備を決めたのだから断行すべき」と表明。広島県原水禁が31日、抗議声明を発表
1983/5/28
中国共産党中央連絡部の張香山顧問が、訪中している岩井章元総評事務局長らに原水禁世界大会への代表団派遣を示唆
1983/5/28
劇団「世代」(津田忠彦代表)が朝鮮人被爆者の苦悩などをテーマにした戯曲「ひろしまの冬」を広島市公会堂で13年ぶりに公演
1983/5/29
米タフツ大が「ヒロシマの家」の生みの親、フロイド・シュモー氏に「人間愛」名誉博士号を贈る
1983/5/29
先進国首脳会議(ウィリアムズバーグ・サミット)が、欧州中距離核戦力(INF)削減交渉で合意がなければ、年内にも欧州へ核ミサイルを配備すると異例の声明
1983/5/30
スウェーデンのウプサラ大地震研究所が「ソ連は30日、セミパラチンスクで地下核実験を行った」と発表
1983/5/31
荒木広島市長がバチカン宮殿でローマ法王ヨハネ・パウロ二世を訪ね、特別接見を受ける。法王は「ノーモア・ヒロシマズを呼びかける広島市民とともに、私も世界の人々に平和を叫び続けます」
1983/5/31
極東国際軍事裁判の元判事、オランダのベルナルト・ローリング氏が広島市を訪問。原爆資料館を見学し「原爆投下は重大な国際法違反」と指摘
1983/5/--
東京・葛飾区立上平井中学校の被爆教師江口保さんが、8年間の平和学習を集大成した教材「碑に誓う-中学生のヒロシマ修学旅行」を出版
1983/5/--
大阪市原爆被害者の会が被爆者相談6年間の歩みをまとめた「原爆被爆者相談」を発刊
1983/5/--
広島、長崎市が全国795自治体に8月6日と9日の黙とうを要請へ。新たに東京23区にも
1983/5/--
放射線影響研究所の大竹正徳博士が原爆白内障のデータを基に、広島での原爆放射線が若年被爆者の水晶体により大きな影響を与えていたことを突き止める。米の放射線専門誌「ラディエーション・リサーチ」に発表へ
1983/5/--
終戦後、オーストラリア軍の従軍記者として被爆地ヒロシマをリポートしたステファン・ケレン氏が34年ぶりに広島市を再訪。原爆写真集「私はヒロシマを記憶する」出版のため、被爆者らにインタビュー
1983/5/--
岡山市の関西高校生徒が父母や市民の戦争体験をまとめた冊子「語りつぐ戦争体験」を出版

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