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ヒストリー

ヒロシマの記録1983 9月


1983/9/1
西ドイツで秋の反核闘争開始。ノーベル賞作家のハインリッヒ・ベル氏、緑の党のペトラ・ケリー女史らが参加し、米基地封鎖や反戦集会
1983/9/1
「下請け作業員の放射線被曝量は電力会社社員の約2倍」-。資源エネルギー庁が「原子炉施設における従業員の被曝状況」をまとめる
1983/9/1
米エネルギー省が「ネバダ州の地下核実験場で今年12回目の核実験を行った」と発表
1983/9/2
荒木広島市長が米地下核実験に抗議する電報を駐日米大使に打つ
1983/9/3
広島県原水禁が理事会で、米戦域核配備に反対する欧州の市民団体との連帯を探るため、「反核語り部の旅」第8陣の派遣を決める
1983/9/4
米核実験に抗議し、広島市の原爆慰霊碑前で被爆者や市民20人が座り込み
1983/9/6
「山口のヒロシマデー」。山口市宮野江良の原爆死没者の碑前で、300人が参列し第9回原爆死没者追悼・平和式典
1983/9/6
福岡県飯塚市の病院で69歳で亡くなった原爆孤老宮本万吉さんの遺骨が、被爆者相談員の手で38年ぶり古里の広島別院に納骨
1983/9/6
米ソの欧州中距離核戦力(INF)削減交渉がジュネーブで再開
1983/9/8
レーガン米大統領の広島訪問実現を訴える米紙広告掲載運動の「呼びかけ人会」(代表、相原和光広島YMCA総主事)が発足。800万円募金を目標
1983/9/8
原子力安全委員会原子炉安全専門審査会が中国電力島根原子力発電所2号機の建設を了承
1983/9/10
ローマ法王ヨハネ・パウロ二世のヒロシマ平和アピールに感銘して、ヒロシマをテーマに描き続けているイタリア・ミラノの画家アレッサンドロ・ナスタージオさんが広島市へ原爆の絵を寄贈
1983/9/11
1982年夏に治療のため広島を訪れた前全米被曝退役軍人協会副理事長ジョン・スミザーマンさんが肺がんで死去。54歳。ビキニ核実験に参加、軍艦上で死の灰
1983/9/12
第二次大戦中に三菱重工業に徴用されて被爆し、帰国途中に長崎県壱岐・対馬周辺で遭難したとみられる韓国人の埋葬遺骨について厚生、外務両省が「被爆徴用工とは確認できない」と調査結果を発表
1983/9/12
8月6日から核兵器廃絶を求めて米オークランドで断食に入っていた「生命への断食」グループのドロシー・グラナダさんが断食を中止。13日にはパリのソランジュ・フェルネックスさんも中止
1983/9/13
米国防総省筋が「ソ連は西欧を標的にした中距離核ミサイルSS20を27基配備する新基地を3カ所建設中」と明かす。欧州中距離核戦力(INF)削減交渉の決裂を見越した行動との観測広がる
1983/9/14
国連ウィーン・センターで「核兵器~現代の脅威展」が始まる。国連広報局と国際原子力機関(IAEA)の主催
1983/9/14
英紙ガーディアンが「英政府が高レベル核廃棄物の海洋投棄を研究」と報道。英環境省も認める
1983/9/14
「原爆の被曝線量が多い人の肺がん発生率は、線量ゼロの人の約2倍」-。放射線影響研究所の山本務病理部副部長が広島市内で開いた日本肺ガン学会で発表
1983/9/15
国賓のヒラリ-・アイルランド大統領が長崎市を訪れ平和公園で原爆犠牲者に献花(「長崎年表」)
1983/9/16
英の退役軍人44人が核実験による被曝補償を求め国防省を相手取り提訴へ
1983/9/16
自民党の桜内義雄前外相らが党内に軍縮問題研究会を発足へ。超党派の国際軍縮促進議員連盟に対抗との観測も
1983/9/16
外務省が「米海軍原子力空母カールビンソンが10月1日から5日まで、佐世保市に寄港」と発表
1983/9/17
米紙ニューヨーク・タイムズが核専門家情報に基づき「アルゼンチンが核兵器製造を計画」と報道
1983/9/18
米陸軍が「中距離核ミサイル・パーシング2の18回の発射実験に成功、すべての実験完了」と発表
1983/9/19
広島市のワールド・フレンドシップ・センターの新館長チャールズ・サトンさんと妻のヘレンさんが着任。前館長のジョー・ジェニングさん夫妻は18日に帰米
1983/9/22
米エネルギー省が「ネバダの実験場で22日、地下核実験を実施した」と発表
1983/9/22
平和・軍縮問題について専門的知識を学ぶため、国連軍縮フェローシップ計画で選ばれた25カ国の軍縮研究員24人が広島市を訪問。24日まで原爆資料館の見学や被爆者と懇談。25日長崎市へ
1983/9/23
荒木広島市長が米核実験に抗議する電報を駐日米大使に打つ
1983/9/24
スイス連邦技術院地震観測所が「ソ連領カスピ海地方で地下核実験による6回の爆発を記録。爆発は5分間隔で規模は50~70キロトン」と発表
1983/9/24
レーガン米大統領が、VOA(アメリカの声)放送で、核戦力の大幅削減をソ連国民に訴える演説
1983/9/24
広島市に住む7歳の米少年ギャビン・ケリー君が「僕のお金で広島に来て」と来日予定のレーガン米大統領に手紙。新幹線費用8,000円を添える
1983/9/25
荒木広島市長が22日の米、24日のソ連核実験に抗議する電報を米ソ両国の駐日大使に打つ
1983/9/25
国連軍縮フェローシップの一行28人が初めて長崎を訪れる(「長崎年表」)
1983/9/26
米ソ両国の核実験に抗議し、広島市の原爆慰霊碑前など広島県内24カ所と山口市内で被爆者や市民が座り込み。慰霊碑前ではインドネシアの技術研修生17人も
1983/9/26
レーガン米大統領が国連総会で演説。「ソ連が全世界的な規模で中距離ミサイルの削減に応じるならば、米は新ミサイルの配備を西欧に限定し他の地域への配備は留保」と新提案
1983/9/26
ソ連がノバヤゼムリャ島で地下核実験
1983/9/26
広島市が原爆慰霊碑に取りつける日英両文の説明板の内容を公表。「碑文はすべての人びとが原爆犠牲者のめい福を祈り、戦争という過ちを再び繰り返さないことを誓う言葉である。過去の悲しみに耐え、憎しみを乗り越えて、全人類の共存と繁栄を願い、真の世界平和の実現を祈念するヒロシマの心がここに刻まれている」。碑文論争に区切り。説明板のタイトルは「原爆慰霊碑」ではなく「広島平和都市記念碑」の公式名。被爆者や市民から「訴える力が弱い」と疑問
1983/9/27
広島の惨状を世界に初報道したオーストラリア生まれのジャーナリスト、ウィルフレッド・バーチェット氏がブルガリアの首都ソフィアで死去。72歳
1983/9/27
荒木広島市長がソ連核実験に抗議する電報を駐日ソ連大使に打つ
1983/9/27
呉学謙・中国外相が国連総会で演説。全核保有国が核兵器全面削減を交渉する国際会議を提案
1983/9/28
下関市議会が非核都市宣言を決議
1983/9/28
ニューヨーク国連本部で広島、長崎原爆資料の常設展オープン。長崎の「聖女アグネスの像」など66点。デクエヤル国連事務総長、安倍晋太郎外相らが開設式
1983/9/28
アンドロポフ・ソ連書記長が欧州中距離核戦力(INF)削減に関する国連総会でのレーガン大統領提案を拒否。米ミサイルの西欧配備に対抗するなど強硬姿勢
1983/9/29
安倍晋太郎外相と呉学謙・中国外相が国連本部内で会談。「ソ連中距離核ミサイルSS20の極東配備はアジアの平和に悪影響」との認識で一致
1983/9/29
レーガン大統領の広島訪問を訴え広島の市民グループが、2,300人の署名簿と米紙ワシントン・ポストに掲載する意見広告の原案を同大統領に発送。同事務局に米ハーバード大医学部のアラン・マクサム助教授から「意見広告をボストン・グローブ紙にも掲載したい」と手紙届く
1983/9/29
ソ連核実験に抗議し、広島市の原爆慰霊碑前など広島県内24カ所で被爆者や市民が座り込む
1983/9/30
北九州市議会が社会党提出の非核・平和都市宣言を自民系を除く賛成多数で採択。政令市では川崎、京都に次いで3番目。福岡市議会は公明、社会、共産党提出の非核・平和都市宣言の決議案を否決
1983/9/30
米国防総省国防兵器局が「ソ連海軍力に対抗するため、巡航ミサイル・トマホークを日本とトルコへ配備するのが効果的」との研究報告を発表。候補地に佐世保と三沢
1983/9/--
中国放送制作の核問題特集「ノーモア・ニュークス」が川崎市で開かれた83年映像コンクール(神奈川県、川崎市主催)で優秀賞。かつてアキバ・プロジェクトで広島市を取材した米人記者らを通して米国内で盛り上がる反核運動を紹介、82年8月6日放送
1983/9/--
中国放送が8月にテレビ特集した「ヒロシマ38年・被爆者はいま」など反核シリーズ5部作が、放送批評家懇談会のギャラクシー賞8月度月間賞を受賞
1983/9/--
共同通信社が「巡航ミサイル・トマホークの発射装置を装備した米海軍の原子力潜水艦が日本に反復寄港の可能性が高い」と米軍関係筋の証言やジェーン年鑑の記載を総合して報道
1983/9/--
スウェーデン王立科学アカデミーが「1985年6月、世界核戦争が起こったら~人類と地球の運命」(岩波書店)を出版。米、英、ソ、東西ドイツの学者18人が核戦争後の環境を分析、生存者もいずれは餓死と結論
1983/9/--
荒木広島市長が主要51カ国の駐日大使に、首脳の訪日の際に広島市を訪問するよう書簡を送付へ

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