×

ヒストリー

ヒロシマの記録1983 10月 


1983/10/1
世界最大の米原子力空母カールビンソンが佐世保港に初入港。革新団体が「核持ち込み、対ソ前進基地の拠点化反対」と抗議行動
1983/10/1
広島市が不正疑惑があった原爆資料館の売店を広島平和記念館に移設。売店経営にあたっていた原爆資料保存会の一切の運営を広島平和文化センターに移行
1983/10/1
広島市と5月に姉妹都市縁組を結んだ西ドイツのハノーバー市の親善使節団(ビルギット・メルケル団長、26人)が広島市を訪問
1983/10/2
カールビンソン佐世保寄港に反対して社会党・総評系が1万人規模の集会を開くなど抗議行動
1983/10/4
ソ連のトロヤノフスキー国連大使が「日本の軍国化は極東に緊張をもたらす」と国連総会で対日非難。黒田国連大使は5日の本会議で「ソ連こそ不安の種」と反論
1983/10/4
レーガン米大統領の広島訪問を求め、米紙に意見広告を出す運動「世界の指導者を広島に招く会」代表の相原和光広島YMCA総主事と英語講師ローレンス・ウィッグさんが米、ソ、仏、英、中国、インドの核保有国と西ドイツの在日大使館を訪ね、各国首脳あての手紙を渡す
1983/10/5
広島市がマンスフィールド米大使ら47カ国の駐日大使に、首脳の広島訪問を求める手紙送る
1983/10/5
佐世保港に寄港していた米原子力空母カールビンソンが出港。韓国に向かう
1983/10/5
英労働党が一方的核廃棄政策を決議
1983/10/5
米ソ戦略兵器削減交渉(START)がジュネーブで2カ月ぶり再開。米が新型核弾頭1基配備ごとに現有核弾頭2基を廃棄するという「ビルトダウン」と年5%の核弾頭廃棄案を提案
1983/10/6
米エネルギー省が「ソ連セミパラチンスクで地下核実験の地震波を観測」と発表
1983/10/6
米エネルギー省が「中国北西部で地下核実験を観測」と発表
1983/10/8
荒木広島市長が中国とソ連の核実験に抗議する電報を打つ
1983/10/8
レーガン米大統領がラジオ演説で「シリアが約5,000人のソ連軍技術顧問と技術者を駐在させ、地対地短距離ミサイルSS21を含む新たな装備を保有」と非難
1983/10/9
中国とソ連の核実験に抗議し、広島市の原爆慰霊碑前で被爆者や市民30人が座り込み。小学生も 1983/10/9
毎月1回、平和を訴えデモを続けている京都府向日市山縄平地区の子供会「がんばるくらぶ」の子供たちが広島市を訪れ、原爆資料館を見学
1983/10/9
広島県朝鮮人被爆者協議会の李実根会長が欧州反核の旅に出発。西ドイツの平和団体の招き
1983/10/10
レーガン米大統領に広島訪問を訴える広島市民グループの意見広告が米紙ワシントン・ポストに載る。米市民に大きな反響
1983/10/12
渡日治療のため長崎市を訪れている在韓被爆者6人が、被爆者健康手帳を申請(「長崎年表」)
1983/10/12
ソ連共産党のザミャーチン国際情報部長が「米が西欧への核配備を強行すれば、ジュネーブの中距離核戦力(INF)削減交渉を中止」と言明
1983/10/12
在韓被爆者渡日治療第7陣の13人が広島市入り
1983/10/14
ワルシャワ条約外相会議が「年末までに米ソ間の合意がなくてもジュネーブの欧州中距離核戦力(INF)削減交渉を継続すべき」とするコミュニケを採択
1983/10/14
原子力委員会が「むつ」も含めた原子力船開発の在り方を検討する原子力船懇談会の設置決める
1983/10/14
米国防総省が次期大陸間弾道ミサイルMXの第2回発射実験に成功したと発表
1983/10/15
西ドイツで「反核行動週間」始まる。ボンでは「人間の鎖」で米ソ大使館6.5キロを結ぶ
1983/10/15
広島市を中心とした女性だけの反核グループ「デルタ女の会」の畠山裕子さんら3人が英・西ドイツへ出発。反核グループと交流。25日に帰国
1983/10/15
西ドイツのゲンシャー外相がウィーンのソ連大使館でグロムイコ外相と会談。「11月21日までに欧州中距離核戦力(INF)削減交渉が妥結しない場合は、西ドイツへの米新型ミサイル配備を予定通り進める」と表明
1983/10/15
日本グラフィックデザイナー協会が広島市の平和記念館で「83平和ポスター展」。同協会の亀倉雄策会長が広島国際文化財団の要請で「ヒロシマ・アピールズ・ポスター」を制作したのを機に、会員が描いた反戦、平和をテーマにした90点を展示
1983/10/17
ソ連軍のニコライ・チェルボフ大将が西ドイツの週刊誌シュテルンのインタビューで「米がパーシング2を配備すればソ連は10分で米に達する兵器を配備」
1983/10/18
レーガン米大統領がホワイトハウスで「欧州中距離核戦力(INF)削減交渉で年内合意ができない場合は中距離ミサイルの欧州配備を開始」と言明
1983/10/18
カナダの反核映画「ノーモア・ヒバクシャ」に出演した広島市の被爆者村田忠彦さんが、製作者の要請でカナダ、米に出発
1983/10/18
ワインバーカー米国防長官がレーガン大統領に、宇宙空間のソ連核ミサイルを迎撃するシステムの開発を勧告。5カ年計画の初年度予算26億ドルを要求
1983/10/18
東北電力初の女川原子力発電所1号機の試運転が始まる。地元補償は空前の121億円
1983/10/21
ミッテラン仏大統領とサッチャー英首相が記者会見で「独自の核戦力維持で一致」と表明
1983/10/21
米中距離ミサイルの欧州配備に反対して西ドイツ4市で100万人、ローマ30万人、ロンドン20万人がデモ。ボンでは米、ソ、英、仏など核保有国の大使館と首相官邸、議会などを「人間の鎖」で封鎖。10万人が参加。米では140カ所以上で集会やデモ
1983/10/21
今井隆吉軍縮大使が国連総会第1委員会で、軍縮を推進するためには「理想主義的なスローガンでは解決できない」として(1)国際的な信頼関係の醸成(2)多国間の検証機関の設置-を訴え
1983/10/21
東ベルリンで開かれたワルシャワ条約機構国防相会議が米ミサイル欧州配備への対抗措置を決定 1983/10/21
国際反戦デー、全国564カ所で57万人が参加。反戦より政治浄化を訴える声が目立つ
1983/10/23
ベルギーのブリュッセルで20万人が反核集会
1983/10/23
核禁広島県民会議が在韓被爆者診察のために第11次の医師団を派遣
1983/10/24
国連軍縮週間スタート。広島市では「広島・長崎市民平和研究所」設立に向けた街頭募金や反核パネル展。東京では1万5,000人が参加して反核集会
1983/10/24
タス通信が「米がパーシング2、巡航ミサイルの欧州配備の準備完了に伴い、ソ連も東ドイツとチェコスロバキアに戦術ミサイルを配備する準備開始」と発表
1983/10/25
浄土真宗本願寺派安芸教区の広陵東組仏教婦人会連盟が被爆体験記「炎の記憶-安芸門徒の原爆体験」を出版▽全電通被爆者連絡協議会が1970年以来発行を続けている職場の被爆体験集「原子雲の下に生きつづけて」が第10集で完結
1983/10/25
米各地で基地や兵器工場に反核デモ。逮捕者1,000人超す
1983/10/25
科学技術庁が1983年原子力白書。原油価格の引き下げなどが響き、原発の経済性はダウン
1983/10/26
ソ連がセミパラチンスクで地下核実験
1983/10/26
レーガン米大統領に広島訪問を要請する広島市民の意見広告が米ボストン市のクリスチャン・サイエンス・モニター紙にも掲載
1983/10/27
「世界を動かす指導者を広島に招く市民の会」(代表、相原和光広島YMCA総主事)にガンジー・インド首相から「核兵器を保有していない」と返事
1983/10/27
荒木広島市長がソ連核実験に抗議する電報を駐日ソ連大使に打つ。抗議電は1968年9月の仏核実験以来、通算300回
1983/10/27
NATO国防相会議で、NATO全体で1,400個の核弾頭廃棄の方針決める。ソ連にも同じ措置を取るよう呼びかけ
1983/10/27
アンドロポフ・ソ連共産党書記長が欧州中距離核戦力(INF)削減交渉について「両陣営の核弾頭を同じにするため、ソ連のミサイル(複数核弾頭)を英、仏両国より少なくする用意がある」と提案
1983/10/28
韓国の金正札・社会保健部長官が河村虎太郎核禁広島県民会議議長に(1)生活保護世帯の無料医療制度の適用対象に1985年から在韓被爆者も加えたい(2)渡日治療を受けられない被爆者に渡日中の留守家族の生活費を国が支給-などの方針を示す
1983/10/28
広島市で開催の日本農村医学会第32回総会で、核兵器禁止を決議
1983/10/29
オランダのハーグに欧州15カ国から60万人が集まり反核デモ。日本被団協の黒川万千代さんが28日夜の集会で被爆体験を話す
1983/10/29
ソ連核実験に抗議し、広島市の原爆慰霊碑前など広島、山口県内37カ所で被爆者らが座り込み
1983/10/30
広島市内の日米市民ら100人が「次の世代のための国際平和ピクニック」を実施
1983/10/30
広島県安芸郡府中町の市民団体「府中町平和の集い」(代表、長崎広次広大名誉教授)が、1984年の8月6日の除幕をめざし、町内に原爆死没者慰霊碑を建設することを決め、全町民に呼びかけ募金運動を展開へ
1983/10/30
長崎平和推進協会が、第6回国連軍縮週間行事として初の「市民のつどい」(「長崎年表」)
1983/10/31
広島市が第17回日米市長・商工会議所会頭会議の開催を機に、広島の復興の歩みや平和の願いをアピールする写真集「広島~HIROSHIMA」を刊行
1983/10/--
「核戦争が起きて『生き残れない』と答えた子供はソ連80.7%、米は41.5%」。核戦争防止国際医師会議(IPPNW)と米ハーバード大精神医学部が共同で米ソ両国の子供の核意識を調査。民間防衛を信じる米と被害教育を徹底するソ連の違いが浮き彫りに
1983/10/--
広島JCと秋葉忠利・米タフツ大准教授が「ヒロシマ-ボストン平和交流マラソン」を計画。「ひろしま国際マラソン」に米ボストン市から代表を招き「ヒロシマの心に触れてもらう」のがねらい
1983/10/--
NHK広島放送局が原爆をテーマに制作したテレビ番組「爆心地の夜」とラジオ番組「そしてコスモス…」「おわりのない朝」の3作品が芸術祭に参加
1983/10/--
1936年に建設され被爆した広島市の山陰合同銀行広島支店ビルが、老朽化が進み全面改築へ

年別アーカイブ