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ヒストリー

ヒロシマの記録1979 12月


1979/12/1
ソ連が中央シベリアで地下核実験。米エネルギー省が発表
1979/12/2
第五福竜丸の甲板員だった静岡県焼津市の増田三次郎さんが肝臓がんのため死去。53歳。第五福竜丸乗組員の死亡は久保山愛吉さん、川島正義さん(1975年4月11日、肝硬変、46歳)に次ぎ3人目
1979/12/3
荒木広島市長がソ連核実験に抗議電報。5日、被爆者らが全国24カ所で座り込み
1979/12/4
原爆資料館に黒色塗料で落書き
1979/12/6
原爆被爆者対策基本問題懇談会(茅誠司座長)が、東京で被爆者代表や広島、長崎両県市代表から意見を聞く。陳述人は荒木広島市長、日本被団協の伊東壮事務局長、広島被爆者団体連絡会議の森滝市郎代表、広島県被団協の伊藤サカエ理事、長崎県被爆者団体連絡協議会の葉山利行代表の5人
1979/12/7
中国人被爆者の広島検診は中国側に問題ない。中日友好協会の趙安博氏が語る
1979/12/10
大佐古一郎氏が「ドクター・ジュノー武器なき勇者」を新潮社から出版
1979/12/10
中国が1980年からジュネーブ国連軍縮委員会に参加を決定。軍縮委は1978年まで31カ国で構成し、米ソ共同議長制。1978年5月の国連軍縮総会で改組が決まり、5大核保有国を含む40カ国の新陣容と議長輪番制で1979年1月から新体制で運営
1979/12/11
盛善吉さんが自主製作した映画「世界の子らへ-原爆1980年、広島の人はいま」が完成、広島市で初公開。語り部の下江武介さんの話に感動し製作
1979/12/11
荒木広島市長が原爆被爆者対策基本問題懇談会で述べた「戦争終結を早めた原爆」発言に広島被爆者団体連絡会議(近藤幸四郎事務局長)などが抗議
1979/12/12
窃盗容疑で逮捕の韓国人被爆者孫振斗被告に対し、福岡簡易裁判所が1年4月の実刑判決
1979/12/12
広島市が原爆資料館に眠る被爆者資料を反戦・平和をテーマにした2展示施設に永久貸与決める。横浜市の創価学会戸田平和記念館と京都市の日本歴史資料館
1979/12/13
東京で民間の核燃料再処理会社の設立発起人会。社長に後藤清九州電力副社長が内定
1979/12/13
山口放送の胎内被爆児を追った「聞こえるよ母さんの声が-原爆の子・百合子」が、テレビ・ドキュメンタリー部門の芸術祭大賞を受賞
1979/12/14
米がネバダ州で地下核実験。エネルギー省が発表
1979/12/14
原爆資料館に落書きした少年を補導
1979/12/14
中国で被爆写真が反響。帰国した「日中友好運動広島県民会議」の宮崎安男団長語る。大道、太原など3カ所で32枚。約600人が見る
1979/12/16
カンボジアから生還した元カンボジア外交官夫人内藤泰子さんが広島を訪れ、原爆慰霊碑に参拝
1979/12/16
荒木広島市長が米核実験に抗議電報。17日、被爆者らが抗議の座り込み
1979/12/18
社会党、原水禁国民会議、総評が東京で被爆者援護法即時制定要求総決起大会。約600人が参加
1979/12/19
79年原水禁世界大会実行委員会が主催し、東京で「被爆者援護法制定をめざす国民集会」。歴代厚相として初めて野呂恭一厚相が出席
1979/12/19
広島大平和科学研究センターの基本構想をまとめた丸山益輝工学部教授が、心筋梗塞のため訪問先の中国・南京で死去。60歳。専門は鋳造学
1979/12/19
米サンフランシスコのテレビ局KPIXがヒロシマを取材し、被爆者にインタビュー
1979/12/21
ソ連がセミパラチンスクで地下核実験。スウェーデンのハグフォルス軍地震観測所が記録
1979/12/21
日朝合同の広島・長崎朝鮮人被爆者実態調査団(尾崎陞団長)の報告書まとまる
1979/12/21
原水禁国民会議が来年の統一世界大会について1カ所で国際、国内集会セット開催を提唱
1979/12/22
荒木広島市長が21日のソ連の核実験に抗議電報。24日、被爆者らが全国24カ所で座り込み
1979/12/22
広島市長を表敬訪問した外国人が50カ国、410人に。前年の32カ国、316人に比べ大幅増
1979/12/23
ソ連のポリャンスキー駐日大使が広島をお忍びで訪問。原爆資料館を見学、原爆慰霊碑に花輪。1977年8月以来2度目。被爆者らは「なぜ堂々と来ない」
1979/12/23
ソ連がセミパラチンスクで地下核実験。米エネルギー省が発表
1979/12/24
荒木広島市長が23日のソ連の地下核実験に抗議電報。核実験抗議は前年1年間の36回を上回る37回となり、過去最多。26日、被爆者らが全国24カ所で座り込み。32回目の行動、前年の31回を上回り過去最多
1979/12/25
1979年原子力白書が閣議で了承。原発推進を明確に打ち出す
1979/12/25
原子力船「むつ」開発一段落後に原子力船開発事業団を廃止。原子力委員会が方針を決める
1979/12/25
東北電力の宮城県女川原発が1984年の運転めざして本格着工
1979/12/26
動力炉・核燃料開発事業団が初の濃縮ウラン国産化に成功。岡山県人形峠の遠心分離式ウラン濃縮パイロットプラントで濃縮度約3.2%を約300キログラム
1979/12/28
1980年度予算案閣僚折衝で被爆者諸手当の増額決定。原爆障害対策費全体は1979年度より16.5%増の839億6,900万円
1979/12/28
「大阪市原爆被害者の会」が被爆体験、生活記録をつづった「平和への遺産」シリーズ第1作「500米に生きる」を発行。爆心から500メートルで被爆した大阪市の三浦一江さんの体験記
1979/12/--
米スリーマイル島原発事故で川に流れた放射能の汚染値は当局発表の20倍。現地住民に調査を依頼された萩野晃也京大助手が発表
1979/12/--
ソ連が7万トン級原子力空母を建造中。17日付ニューヨーク・タイムズが伝える

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