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ヒストリー

ヒロシマの記録1978 2月


1978/2/1
カナダでソ連の墜落原子炉衛星の新たな破片が見つかる。強い放射能を放出
1978/2/2
宮沢弘広島県知事が原子炉衛星の廃絶を関係国や国連へ要請してほしい-と園田直外相に文書を送る。3日、荒木広島市長も要請文
1978/2/3
米原子力巡洋艦ベインブリッジが横須賀基地に入港。原子力巡洋艦の同基地入港は1975年5月のロングビーチ以来、3年ぶり
1978/2/4
広島県被爆二世協議会、国労長崎地本被爆二世協議会など4団体が東京で被爆二世の全国組織結成に向けて懇談会開く
1978/2/4
「ムンク版画展」開幕式のため広島市を訪れているビョーン・ブラスク駐日ノルウェー大使夫妻が原爆慰霊碑に参拝
1978/2/6
山口県豊北町の佃三夫町長が豊北原発の事前調査拒否を表明
1978/2/7
クレーター米海軍長官が下院で、横須賀に入る空母ミッドウェーについて「核攻撃力を持つ空軍機および対潜水艦作戦のプラットホームの役割」と核装備を証言。日本政府は「事前協議上あり得ない」と否定
1978/2/7
米上院が核拡散防止法案を可決。3月10日発効
1978/2/7
米復員軍人援護局が1940~50年代のネバダや太平洋の核実験に従事し、がんになったと申告した12人の元兵士に、過去10年間に医療扶助金を給付したと発表
1978/2/8
広島県原水禁が1978年夏も独自の原水禁大会を開くよう原水禁国民会議に提案へ。「運動や理念の違いが大きく、組織の解体統一や大会の一本化は無理」
1978/2/8
米国務省がクレーター海軍長官発言について声明。「米国は日本に対する約束を忠実に尊重してきた。長官の発言は単に空母の有用性と適応性を例証」
1978/2/8
ネバダの地上核実験に参加し、白血病にかかっていたアイダホ州の元陸軍軍曹ポール・クーパー氏が死去。氏は1957年8月末のスモーキー作戦に参加、爆心から2.7キロ地点に配置。1977年2月に白血病と認定され、月額820ドルの傷害給付を受給
1978/2/10
米国防総省が核実験参加の軍関係者の健康特別調査を始める。2週間で1万人以上が電話で「体調がおかしい」と訴え
1978/2/13
原水禁国民会議が夏に独自の世界大会開催を決める。統一問題については、より広範な団体との共同行動を進めるため、「連絡会議」(仮称)を設置。1977年の「5・19合意」で発足した原水禁統一実行委員会(代表幹事、新村猛名古屋大名誉教授ら3人)は「1977年12月末をメドに国民的大統一の組織を実現するとの目的が果たせなかった以上、任務は終わった」で一致
1978/2/14
総評が臨時大会に原水禁運動で当面の運動方針案を提案。「原水禁統一実行委員会を発展的に改組し、広範な国民階層を網羅した『原水禁国民連絡会議』を結成する」。反対多く採択できず、検討項目として残す
1978/2/14
米国防総省が「1946年から63年の核実験に関係した30万人の一部に発生したがんの因果関係を見極めるには数年間かかる」と発表
1978/2/14
南アフリカが自力の核開発を表明
1978/2/16
クレーター米海軍長官が下院歳出委員会国防小委員会で「ミッドウェーは今日、通常ジェット戦闘機と対潜および攻撃ヘリコプターの基地として海外任務についている」と訂正発言
1978/2/16
「1969年の中ソ紛争で、ソ連が中国へ核先制攻撃を計画」-。ニクソン政権時代の大統領補佐官のハルドマン氏が2月27日に発行する「権力の終わり」で明らかに。米ABCテレビが伝える
1978/2/17
国連代表派遣連絡調整会議(田中里子事務局長)が5月の国連軍縮特別総会に代表団が携えていく要請書をまとめる。「全面的な軍縮実現には核兵器の完全禁止国際条約を締結する必要がある」と強調
1978/2/17
ソ連が中国へ核攻撃を計画したとのハルドマン元米大統領補佐官の著書をソ連が全面否定
1978/2/18
「軍縮実現のために広島に住む人間として行動を起こしたい」と在広外国人10人が声明。ウィリアム・ボールドウィン氏(カナダ)、フランス・ボーン氏(ベルギー)、ドリス・ハートマン女史(米)、チャールズ・カイト氏(米)、マーガリート・レッドウェル女史(米)、ジョン・マッハ氏(英)、エルシー、ゲルストン・マクニール夫妻(英、米)、メアリー・マクミラン女史(米)、モーリン・パーカー女史(米)
1978/2/18
衆院予算委員会で公明党が「日本原子力発電会社の敦賀発電所で、黒人労働者が危険作業に従事」と政府を追及。「1967~69年ごろ約150人、77年に50~60人」
1978/2/19
米原潜造船工のがん死亡率は一般人の2倍以上と米ボストン・グローブ紙が報道。白血病は4.5倍
1978/2/20
ジュネーブで開かれる非政府組織(NGO)の軍縮国際会議に広島代表4人が出席。広島女学院大の庄野直美教授、湯崎稔広島大原医研助教授ら
1978/2/20
山口県豊北原発に反対の住民が「町原電対策協議会設置条例」の廃止を求める直接請求で、2,716人の署名簿を豊北町選管に提出
1978/2/21
沖縄嘉手納の第313空軍師団長兼第18戦術戦闘航空団司令官ウォルター・バクスター准将が、共産党の瀬永亀次郎副委員長と会見し「米軍は同基地で核兵器の事故を想定した演習『ブロークン・アロー』を年4回実施している」と表明
1978/2/22
戦術核も憲法上持てない-衆院外務委員会で園田直外相らが新見解。「わが国は非核三原則に加えて核防条約という二重の制約もあり、核は持たないし、憲法上持てない」。土井たか子議員(社会)の質問に答える
1978/2/23
米がネバダでことし初の地下核実験
1978/2/24
荒木広島市長が23日の米核実験で米大使館に抗議電。1969年10月以来、通算116回。26日、被爆者らが広島県内各地で座り込み。この年初めて
1978/2/24
ジュネーブで開かれる非政府組織(NGO)軍縮国際会議に参加する日本代表72人が東京をたつ。会議には国際平和ビューロー、国際民主婦人連盟、世界平和評議会、世界科学者連盟などの代表500人が参加、日本からはNGO被爆国際シンポジウム日本準備委員会、原水禁統一実行委員会、日本被団協、日青協、地婦連などが参加
1978/2/25
原水禁統一実行委員会と原水禁運動の統一を目指す静岡県民準備会主催の「3・1ビキニデー中央集会・被爆者とともに核兵器廃絶を願う集い」が静岡市で開催。約700人が参加
1978/2/27
長崎市が、長崎国際文化会館に原爆犠牲者の形見コ-ナ-を開設(「長崎年表」)
1978/2/27
非政府組織(NGO)の軍縮国際会議が、ジュネーブで始まる。145国際組織に属する50カ国700人が参加。ノーベル平和賞受賞者のショーン・マクブライドさん(アイルランド)が議長あいさつ
1978/2/27
米国防総省の調査で、核実験参加の米兵241人が「がん」を申し出る。2週間で1万3,000人が検査のため同省核防衛局を訪れる
1978/2/28
衆院本会議で原子炉衛星の規制を全会一致で決議
1978/2/--
放射線影響研究所の山木戸道郎研究員(広島大医学部講師)らが被爆と免疫、がんの関連を探る研究に着手
1978/2/--
北九州市教委が、1977年の広島原爆の日に登校してきた生徒を公民館や公園に集め、平和授業をした2中学の教諭15人を「無断職場離脱」として文書訓告処分。市教委は1973年から8・6平和授業は組合活動として禁止
1978/2/--
広島市出身の中山士朗氏が小説集「宇品桟橋」を出版。10編中9編が原爆を題材。三交社刊
1978/2/--
広島市が原爆小頭症患者に支給している援護金(月額5,000円)の打ち切りを決める。1979年度から国の月額3万円の手当支給が決まったため
1978/2/--
NHK月曜特集「あの時世界は…」の第2弾「マンハッタン秘密計画」(4月10日放送)取材のためキャスターの磯村尚徳さんが広島を訪問
1978/2/--
広島県佐伯郡廿日市町の廿日市中学校で2年生150人が「未来の平和を」と題し、タイルを使ってモザイク壁画制作
1978/2/--
長崎市が、写真家故小川虎彦氏の写真を基に、初めての被爆アルバムを製作(「長崎年表」)
1978/2/--
NHK中国本部が呼びかけ広島市民ら800人が描いた「市民が描いた原爆の絵」(2,225枚)を広島平和文化センターが本格保存へ
1978/2/--
原水禁国民会議が前田哲男氏著の「隠された被ばく-マーシャル群島住民の23年」を出版
1978/2/--
国連軍縮特別総会準備委員会で日本政府が、非同盟諸国の提唱する核不使用条約に同調しない方針を明らかにする

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