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ヒストリー

ヒロシマの記録1978 10月


1978/10/3
米軍の模擬原爆訓練指令で外務省が広島県に公式見解。「核兵器はもちろん、模擬装置も国内にはない」
1978/10/3
中国新聞が夕刊で連載企画「私の原爆写真始まったフィルム保存運動」を掲載
1978/10/3
被爆者健康手帳不正入手事件で詐欺罪に問われていた柳坪進元広島市議に対する判決公判が広島地裁であり、久安弘一裁判長は「被爆者の心を踏みにじる悪質な行為」として懲役1年2月、執行猶予3年を言い渡す。柳坪元市議は9人の手帳を斡旋
1978/10/4
「米連邦捜査局が原潜を盗んで売却を計画した3人組を事前に逮捕
1978/10/4
ソ連がノバヤゼムリャ核実験場で地下核実験。オランダの王立気象台が発表
1978/10/4
原子力安全委員会が発足。国会承認手続きが間に合わず、5人の委員不在のままのスタート
1978/10/5
荒木広島市長が4日のソ連地下核実験で在日ソ連大使館に抗議電。7日、広島県内の7市町(15カ所)で被爆者らが座り込み。東京、山形でも
1978/10/6
「78核兵器完全禁止・被爆者援護世界大会」実行委員会が東京で解散。原水禁運動の横断的組織はこれでなくなり、個人と団体のゆるやかな結びつきの「核兵器完全禁止・被爆者援護をめざす国民懇談会」が残る
1978/10/11
原子力船「むつ」が佐世保港で修理のため、青森県大湊港を出港。1974年9月の放射線漏れ事故から4年ぶり
1978/10/12
国連軍縮週間に核兵器完全禁止などの統一行動を行う広島実行委員会が、委員会内で一致できない原子力発電問題に触れずに全国の自治体に被爆者援護法の制定要求などの行動要請文を送る
1978/10/12
米のスパークマン米上院外交委員長(民主党、アラバマ州)が、11月10、11日の第32回全米在郷軍人記念日祝賀会で「第25回在郷軍人賞」を広島原爆投下機の機長ポール・チベッツ退役空軍准将に贈ると発表
1978/10/12
被爆証人のいない在韓被爆者、李順玉さんに広島市が被爆手記と戦時中の学籍簿だけで被爆者健康手帳を交付。広島市「12歳で被爆し父母も伯母も死亡している李さんにこれ以上証人を求めるのは無理と判断」
1978/10/12
国連軍縮週間行動広島実行委員会の代表15人が荒木広島市長、宮沢弘広島県知事を相次ぎ訪ね、被爆、戦災写真展の実施など5項目と統一行動参加を要請
1978/10/14
米のウォルト・ディズニーチームの19人が広島原爆病院を慰問
1978/10/14
原爆に遭いながら国鉄横川駅を守り抜いた柳井女子商業(現柳井学園)の卒業生20人と元駅長の大橋範吾、真喜子夫妻が柳井市で33年ぶり対面。同女子商の3年生43人は1945年4月、動員され全員が同駅で被爆
1978/10/14
中国がロプノル核実験場で地下核実験。スウェーデン国防観測所が発表
1978/10/15
ソ連がセミパラチンスク核実験場で地下核実験。スウェーデン国防観測所が探知
1978/10/16
模擬原爆訓練指令問題で在日米陸軍司令部が、呉市議会総務水道委員会の会見申し込みを拒否 1978/10/16
原子力船「むつ」が修理、検査のため佐世保港に入港。海陸で激しい阻止行動
1978/10/17
被爆者健康手帳不正入手事件の柳坪進元広島市議が控訴を断念し、有罪が確定
1978/10/17
ソ連がノバヤゼムリャ核実験場で地下核実験。スウェーデンのウプサラ大地震研究所が発表
1978/10/17
荒木広島市長が14日の中国、15日のソ連地下核実験に抗議し在日中国、ソ連大使館に電報。この年、中国へは2回目、ソ連へは13回目
1978/10/18
荒木広島市長が17日のソ連地下核実験で在日ソ連大使館に抗議電
1978/10/18
小木曽本雄国連大使が国連総会第1委員会で、核兵器運搬手段の発射実験制限など運搬手段の規制について核兵器保有国間の協議を呼びかけ
1978/10/18
カーター米大統領が製造凍結中の中性子爆弾に即時転用可能な新型戦術核弾頭の生産を命令。パウエル報道官が語る
1978/10/18
ソ連がシベリア北西部で地下核実験。米が発表
1978/10/19
駐日ベルギー大使のヘルマン・ドゥエナン夫妻が原爆資料館などを見学
1978/10/19
中国とソ連が14日から17日にかけて行った3回の核実験に抗議し、被爆者らが広島県内15カ所と東京、山形で座り込み
1978/10/20
荒木広島市長が18日のソ連地下核実験に抗議し在日ソ連大使館に電報
1978/10/20
仏領タヒチの政治家オスカー・テマル氏(ポリネシア解放戦線議長)が仏ムルロア環礁の核実験の結果、付近の住民15人と約20人の仏人が被曝し、極秘に同環礁の軍病院で治療と明らかに。仏政府は否定。テマル氏は11月6日、原水禁国民会議の招待で来日
1978/10/20
荒木広島市長が24日からの国連軍縮週間に向け、インダレシオ・リエバノ総会議長(コロンビア外相)に核兵器廃絶と全面軍縮を求める要請文を送る
1978/10/20
在米被爆者援護法案が事実上廃案に。下院司法委員会行政小委員会のダニエルソン委員長から米国原爆被爆者協会の倉本寛司会長に連絡。廃案は1973年以来、通算4度目
1978/10/20
国連軍縮週間行動広島実行委員会が大会スローガンに「ノーモア・ヒロシマズ」のほか「ノーモア・ウオー」の追加を決める。「戦争を起こした日本国民の反省も加えるべき」と主張があったため
1978/10/21
ソ連の18日の核実験に抗議し広島県被団協の森滝市郎理事長ら約30人が座り込み。東京でも
1978/10/22
常陸宮夫妻が広島市の原爆慰霊碑に参拝後、広島原爆養護ホームを慰問
1978/10/22
岩国市で開かれた「10・21国際反戦デー全国統一行動中国5県反戦集会」に米のダニエル・エルズバーグ博士が参加、米軍岩国基地への核持ち込みの新証言。1961年5月、岩国基地の海兵隊将校だったアール・スペナード氏と、60年代後半に米から核兵器を積み日本に飛来したというアル・ハバド元大尉の証言
1978/10/23
米のダニエル・エルズバーグ博士が原爆慰霊碑に参拝。「1959年から60年にかけて岩国、沖縄をはじめ在日米軍基地に核兵器があったのは疑いようがないし、戦略上、現在も存在している。日本人は自国政府にもっと強く『核兵器はいらない』と主張すべき」
1978/10/23
東京都が有楽町の都庁ホールで原爆記録展。国連展示の写真64枚と新しく60枚、さらに衣服や懐中時計などの被爆資料、第五福竜丸の資料の計約150点を展示。24日から一般公開、30日に閉幕、入場者は2万3,000人
1978/10/24
広島市で「原発はごめんだ市民の会」(世話人、木原省治氏ら10人)が発足
1978/10/24
国連軍縮総会で決まった「国連軍縮週間」が始まり、長崎市は期間中原爆映画会や長崎国際文化会館の無料開放など実施(「長崎年表」)
1978/10/24
国連広報部のサリー・シェリー非政府組織(NGO)課長が、「国連創設35周年の1980年の国連軍縮週間に被爆資料展を開きたい」と提案。日本山妙法寺の佐藤行通師が明らかに
1978/10/24
国連軍縮週間行動広島実行委員会の主催で、広島市で平和教育についての討論集会。約100人が参加、石田明全国原爆被爆教師の会会長らが基調報告
1978/10/24
国連軍縮週間協賛行事として広島市平和記念館で「原爆被害写真・絵、国連パネル展」始まる。写真100枚、柿手春三さんの「燃える人」など市民の描いた絵9点、「米ソの核戦力比較」パネル、画家の四国五郎さんの弟四国直登さんが1940年4月1日から原爆症で45年8月28日に死亡するまでをつづった日記などを展示
1978/10/25
トンガ国王のタウファアハウ・ツポウ四世夫妻が広島市の原爆慰霊碑に参拝、「被爆者のために」と広島市に100万円を寄付
1978/10/25
国連軍縮週間行動広島実行委員会が主催し広島市で「被爆者援護」について討論集会。約70人が参加し、日本被団協の伊東壮事務局長らが基調提案
1978/10/26
島根県衛生公害研究所が中国電力島根原発の周辺海中で採取した貝から微量のコバルト60を検出
1978/10/26
広島県原水禁が主催し「核の平和利用について考える会」自由討論会開く。約60人が参加、中国電力代表らも出席
1978/10/27
核兵器の完全禁止、被爆者援護法の制定を訴える国連軍縮週間行動広島実行委員会が、広島市内を平和行進。約500人が参加。午後から広島市公会堂で広島県民集会。荒木広島市長も出席しあいさつ
1978/10/28
中国省市責任者訪日代表団の一行が広島市の原爆慰霊碑に参拝、原爆資料館を見学
1978/10/29
英の最高峰ベンネビス山に平和のケルンを築き、広島とも交流のあるメソジスト教会牧師バート・ビッセル師が日本政府と広島市の招待で来日
1978/10/31
ソ連がセミパラチンスクでこの年11回目の地下核実験。オランダ気象観測所が発表
1978/10/--
オーストラリアの婦人から広島県知事に「夫が原爆症では」との手紙届く。中東部海岸のバーレイ・ヘッズ在住のジーン・キルディーさん。夫は長崎被爆当時、福岡にいて数週間後に長崎を経由して移動
1978/10/--
大阪府池田市原爆被害者の会(桑井勇会長)が1977年、地元の中学教諭や市の協力で出版した被爆体験記「平和への願い」が米議会図書館へ収蔵
1978/10/--
広島県高校被爆教職員の会の森下弘会長が米国内を平和行脚
1978/10/--
広島女子大の小寺初世子教授が広島市在住の韓国、朝鮮人被爆者の「核意識」アンケートを実施。69人が回答し強い反戦、反核意志を示す
1978/10/--
山口県熊毛郡熊毛町の北山紀子さんが広島陸軍病院看護婦生徒教育隊の1期生として被爆者の救援に尽くし、原爆症を併発した半生を「このみちをゆく」と題した詩集にまとめ自費出版
1978/10/--
大阪府・市社会福祉協議会主催の1978年度社会福祉論文募集で、大阪在住の被爆者の実態を訴えた大阪市原爆被害者の会事務局長の高木静子さんに優秀賞
1978/10/--
米国防情報センターのジーン・ラロック所長から広島県被団協(森滝市郎理事長)に「日本寄港の米軍艦船は核兵器を積んでいると確信」と手紙

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