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ヒストリー

ヒロシマの記録1978 11月


1978/11/1
韓国政府が1970年代初めに核兵器開発を計画-。米議会が発表。在韓米軍撤退で「軍備の独立」を決意したが、インドの核爆発実験で国際世論が硬化し断念
1978/11/1
荒木広島市長が31日のソ連地下核実験で在日ソ連大使館に抗議電。広島市の核実験抗議電はこの年28回目、年間最多の1976年の27回を超す。2日、被爆者らが広島県内14カ所と東京で抗議の座り込み。広島市可部町の旧可部支所前でも初めて
1978/11/2
米エネルギー省が「2日、ネバダで地下核実験を実施」と発表
1978/11/4
荒木広島市長が2日の米地下核実験に抗議し在日米大使館に電報
1978/11/4
ソ連がセミパラチンスクで地下核実験。スウェーデンのウプサラ大地震研究所が発表
1978/11/4
岩国市の岩国エイトクラブ会員、池尚浩さんが3年がかりで撮った韓国人被爆者の8ミリドキュメンタリー作品「ヒロシマを持って帰りたい」が完成。1975年に広島市の河村病院に入院した崔英順さんを取材
1978/11/4
長崎市の姉妹都市ポルトガル・ポルト市から、世界平和シンボルゾ-ンの第1号として、平和公園内に据え付ける大理石の記念碑が届く(「長崎年表」)
1978/11/4
青年法律家協会の「被爆者とともに平和を考える委員会」が東京で「国民と被爆者援護法」シンポジウム開く。日本被団協の行宗一代表委員、石田忠(一橋大)、小川政亮(日本社会事業大)教授らのほか被爆者ら約70人が参加
1978/11/5
荒木広島市長が4日のソ連地下核実験に抗議し在日ソ連大使館に抗議電
1978/11/5
オーストリア国民投票で、完成したばかりの原子力発電所の運転に「ノー」。世界初
1978/11/5
被爆者らが広島市の原爆慰霊碑前などで2日と4日の米ソ核実験に抗議し座り込み
1978/11/6
東京・三宅坂の平和記念像前で原水禁国民会議の17人が米ソ核実験に抗議し座り込み。ポリネシア民族解放戦線のオスカー・テマル議長も参加
1978/11/8
「群集の渦」の第20回ヒロシマ・ナガサキ被爆二世直訴自転車行進団の西本満さんらが広島入り
1978/11/8
ポリネシア民族解放戦線のオスカー・テマル議長が広島市を訪れ原爆慰霊碑に参拝
1978/11/11
三重県桑名市の日本基督教団「桑名教会」の招きで来日した韓国の被爆者金伊述さんが広島市に被爆者健康手帳の交付を申請
1978/11/13
米ユタ州のデザート・ニュース紙が、ネバダの核実験とウラニウム鉱山が原因とみられる白血病患者がユタ州の特定地域で多発しているとのユタ州保健当局の11年前の報告書をすっぱ抜く
1978/11/13
1978年度のネール国際理解賞に日本山妙法寺の藤井日達師決まる。日本人で初
1978/11/13
東京都庁で開催の「原爆記録展」が東京・多摩地区の武蔵野市民ホールで。14日も
1978/11/14
広島原爆を投下したエノラ・ゲイの副操縦士ロバート・ルイス氏の飛行日誌がニューヨークで競売、8万5,000ドルで雑誌社「フォーブス」のマルコム・フォーブス氏が落札。「せん光が光った15秒後に激しい衝撃が2度あり、私たちの目の前に、疑いもなく人類が今まで目撃した中で最大の爆発があった。もし私が百年生きたとしてもこの数分間を忘れることはできないだろう」
1978/11/15
米国務省筋が核積載可能なソ連のミグ23戦闘機のキューバ配備を確認
1978/11/15
米大リーグ、シンシナティ・レッズの70人が広島市の原爆慰霊碑に参拝
1978/11/16
在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)の韓徳銖議長が広島市で「朝鮮人被爆者問題は単なる同情や哀れみではなく、かつての戦争に対する日本政府の補償の義務ととらえるべき」と発言
1978/11/17
ソ連のブレジネフ最高会議幹部会議長が訪ソ中の米上院議員団に「ソ連はすでに中性子爆弾の実験を行っているが、生産は手控えている」と述べる
1978/11/17
ソ連首相が「キューバ配備のミグ23は防衛目的」と言明
1978/11/17
広島原爆養護ホームで16日、投身自殺を図った88歳の被爆老人が死去
1978/11/18
来日中のポーランドのヤロシェビッチ首相が広島市を訪れ、原爆慰霊碑に参拝
1978/11/20
原水禁国民会議が東京で被爆者援護法制定要求第3次中央行動として援護法制定の勉強会
1978/11/21
フィジーからラジオと新聞の記者1人ずつが広島市を訪問、原爆資料館などを見学
1978/11/22
被爆者の声を綴った文集「木の葉のように焼かれて」を14年間にわたって発刊してきた「新日本婦人の会広島県本部」(伊原敏子会長)に「アリス・ハーズ夫人記念平和基金」から平和賞。受賞記念の集い開く。同文集は1964年に名越操さんらが第1集を刊行
1978/11/23
モスクワで開いていたワルシャワ条約機構政治諮問委員会が、核兵器廃絶と核平和利用のため米ソ英仏中の5大核保有国会議の早期開催を提唱し閉幕
1978/11/24
米国原爆被爆者協会の初代会長の岡井巴さんが脳内出血のため、ロサンゼルスで死去。57歳。原爆で夫を失った後、1952年に日系二世と再婚しロサンゼルスへ。1965年ごろから在米被爆者のため活動を始め「原爆友の会」を結成、70年には「米国原爆被爆者協会」をつくり初代会長。日本人医師の在米被爆者検診を実現させるなど運動の中心に(11・26)
1978/11/29
ソ連がカザフ共和国東部で連続2回の地下核実験を実施。オランダ王立気象台が発表
1978/11/29
呉市議会の水野泰彦議長ら3人が模擬原爆問題で神奈川県座間の在日米陸軍司令部ヒューバート・バートロン司令官と会見。同司令官は模擬原爆の存在を否定
1978/11/30
カーター米大統領が記者会見で「キューバに核兵器がある証拠はない」と言明
1978/11/30
荒木広島市長が、29日のソ連核実験に抗議の電報(「広島市・核実験抗議文書発信綴」)
1978/11/--
中国新聞論説副主幹の熊田重克氏が「ヒロシマで核を考える」を出版。労働教育センター
1978/11/--
広島市青年緑化協会(山木靖雄会長)が2年がかりで平和記念公園と平和大通りの樹木調査。全体の植栽状況、記念樹・供木の寄贈者、年次、場所-など。平和記念公園67種1,671本、平和大通り88種1,696本
1978/11/--
「子どもたちに世界に!被爆の記録を贈る会」(松浦総三代表)が「広島・長崎」の英語版4,000部を核兵器保有6カ国の元首をはじめ計65カ国の平和運動団体などに発送始める
1978/11/--
太平洋エニウェトク環礁の放射能汚染除去作業進む。1980年の島民(136人)の復帰を目指しエンチェビ、アオモン島などで総費用1億ドル(約190億円)、3年かけ作業。汚染土はルニット島の1958年核実験でできた巨大な穴「サボテン火口」に埋蔵処理。80年の浄化作戦終了時に火口をふさぎ、島は立ち入り禁止に

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