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ヒストリー

ヒロシマの記録1977 3月


1977/3/1
ビキニ被災23周年。静岡県焼津市の弘徳院で故久保山愛吉氏の墓前祭(日本宗教者平和協議会主催)。孫の直子ちゃんを背負った妻のすずさんらが焼香
1977/3/1
原水禁国民会議が静岡市で開いた全国委員会で、一致した課題で統一行動を目指す「原水禁運動の統一に関する基本見解」を提案。日本原水協と協議へ
1977/3/2
新自由クラブを含む野党5党の衆院社会労働委員会関係者が今国会に共同提出を予定している被爆者援護法案について初協議。(1)法案の骨子は1974年に野党4党が共同提出した援護法に基づく(2)法案に伴う援護対策費は総額2,000億円とする-など大筋で合意
1977/3/2
中国電力島根原子力発電所の原子炉内壁にヒビ割れ見つかる
1977/3/3
ジュネーブ軍縮委で日本の小木曽本雄代表が核実験の全面的一時停止を初めて提唱
1977/3/3
広島平和文化センターが1977~79年度の練り直し事業計画を評議員会に提示。視聴覚ライブラリーの開設や平和読本の発行など盛り込む
1977/3/3
米の核技術輸出を規制し国際的な核拡散防止協定を強化する法案が米上下両院に提出
1977/3/4
広島県被団協の伊藤サカエ理事が「日米首脳会談で米大統領に核廃絶に踏み切るよう要請して欲しい」と福田首相に手紙
1977/3/6
ブラウン米国防長官がテレビ会見番組で「ソ連が米の敵国になる可能性は残っているが、現在の核戦力のバランスが続く限り、お互いの侵略を抑え得る」と言明
1977/3/7
ソ連ノーボスチ通信が「ソ連は8月に開かれるNGO主催の被爆国際シンポジウムを全面的に支持する」と論評
1977/3/8
中国電力が島根原子力発電所2号機建設のために地元(八束郡鹿島町)の住民を旅行に招待していたことが島根県議会で明るみに
1977/3/9
被爆者援護法の提案を予定している野党5党が担当者会議で法案内容の詰め。(1)医療手当月額3万円、介護手当同7万円(家族介護手当同4万円)の範囲内で支給(2)葬祭料は10万円-で合意したが、被爆者年金、弔慰金をめぐり意見が分かれる
1977/3/9
カーター米大統領が記者会見で、インド洋の完全非核武装化をソ連に提案していたことを明かす
1977/3/10
小寺初世子広島女子大教授らを中心に在日外国人被爆者核意識研究会が発足。韓国・朝鮮人被爆者を対象に核意識を調査へ
1977/3/11
関屋綾子前日本YWCA会長らが東京・日本YWCA会館で、NGO主催の被爆国際シンポジウム支持、協力のため「核兵器廃絶をめざす日本宗教連絡委員会」の設置を呼びかけるアピールを発表
1977/3/12
広島平和文化センターが理事会で、国際平和文化会館の建設とヒロシマ平和基金創設を決める
1977/3/12
映画「はだしのゲン(第2部)涙の爆発」(山田典吾監督)が広島市内で一般公開
1977/3/14
西ドイツのフライブルグ行政裁判所がウィル原発の工事を禁止する裁定。住民側が全面勝訴
1977/3/15
米返還被爆資料写真の「荷車の母」の陸田コヒデさん(広島市吉島町)が死去。81歳。遺体は遺言により、放射線影響研究所で解剖
1977/3/15
共産党の宮本顕治委員長が記者会見で「原水禁運動の統一にとって、被爆国際シンポジウムが開かれることしはチャンスだ」と語る
1977/3/16
茨城県大洗町にある動力炉・核燃料開発事業団大洗工学センターの高速増殖実験炉「常陽」で核燃料の詰め込み作業が始まり、臨界試験スタート
1977/3/17
広島電鉄の被爆公務死証明調査で2人の朝鮮人被爆者が対象から外された問題が広島県議会厚生委員会で論議。県側は「戦傷病者戦没者遺族等援護法は日本国籍の人が対象で、日韓条約締結以前に2人の遺族が日本に帰化していなければ除外」と答弁
1977/3/17
総評と共産党が共産党本部で原水禁運動の統一問題について協議。NGO主催の被爆国際シンポジウムが開かれる8月をメドに「より広い階層を結集する原水禁運動の新しい統一組織体」を作ることで合意
1977/3/17
東京都立小平高校の映画研究同好会が製作した原爆8ミリ映画「ヒロシマ」「76ヒロシマ」が広島市で初上映
1977/3/17
カーター米大統領が下院議員への手紙で、使用済み核燃料再処理施設と高速増殖炉は「安全保障上の潜在的な危険性を持ち得る」と強調。下院議員が手紙公表
1977/3/17
社会党の楢崎弥之助氏が衆院予算委員会で「現在運転中の原発で75人の労働者が放射線被曝とみられる死亡」と政府に安全性の再検討を迫る。宇野宗佑科学技術庁長官は「人身傷害者は出ていない」と全面否定したが、福田首相が「安全性を確保するためにも追跡調査に鋭意努力」と調査を約束▽中国電力・島根原子力発電所1号機では4人の死者との疑惑に対し、同電力の黒田繁雄広報室長が「放射線による死亡とは考えられない」と反論
1977/3/18
新自由クラブを含めた野党5党が被爆者援護法案担当者会議で被爆者年金、弔慰金について協議。(1)被爆者年金は最低18万円から障害の程度に応じて最高444万7,200円(2)遺族年金の対象者は特別手当受給者の遺族(3)弔慰金は特別給付金とし、60万円-などで合意
1977/3/18
在米被爆者検診のための医師団派遣の内容決まる。広島県医師会理事の岡田泰二氏を団長に宮西通博広島大助教授、山田広明放射線影響研究所調査課長の3人。29日に日本を出発、約20日にわたって350人以上検診
1977/3/19
タヒチ紙レ・ヌーベル・ド・タヒチが「仏が19日、南太平洋ムルロア環礁の核実験場でかなり強力な地下核実験を行った」と伝える
1977/3/23
荒木広島市長が仏核実験に対する抗議電報を在日仏大使館に打つ
1977/3/24
仏核実験に抗議して広島被爆者団体連絡会議の被爆者らが原爆慰霊碑前など3カ所で座り込み
1977/3/24
アウシュビッツ市のコニオール市長が広島市を訪れ、姉妹都市の広島県黒瀬町が計画しているアウシュビッツ記念館などへの協力を要請
1977/3/24
カーター米大統領が記者会見で、ソ連との第2次戦略兵器制限交渉(SALT2)の議題を異例の公開。(1)平和利用目的の核実験も管理体制下に置く(2)インド洋の非核武装化(3)欧州の兵力削減-など
1977/3/25
シュレジンジャー米大統領補佐官(エネルギー政策担当)が市民との懇談で、核燃料の再処理と高速増殖炉建設計画を全面的に中止する方針示す
1977/3/26
原水禁国民会議(社会党・総評系)が常任委員会で、NGO主催の被爆国際シンポジウムを日本原水協(共産党系)と協力して開くことを確認。原水禁世界大会については「統一開催へ努力」にとどまる。日本原水協は常任理事会で「統一のため組織解体の用意」と発表
1977/3/26
荒木広島市長とコニオール・アウシュビッツ市長が、広島市の原爆資料館とアウシュビッツ国立博物館の姉妹縁組締結で合意
1977/3/28
ブレジネフ・ソ連書記長とバンス米国務長官の会談がモスクワのクレムリンで始まる。第2次戦略兵器制限交渉(SALT2)の進展に絞って話し合う
1977/3/28
広島県原水禁が緊急常任理事会で、原水禁運動の組織統一を打ち出した総評と共産党の会談を批判、県原水禁は共同行動の積み重ねを原則とした統一テーゼで臨むことを決める
1977/3/29
国際非政府組織(NGO)が広島市で開催する被爆国際シンポジウムに提出する「原水爆被害総合報告書」の作成専門委員会が発足。原爆による物理的破壊や核実験による地球汚染を柱にした自然科学▽原爆医療史など医学▽原爆による社会、生活破壊など社会科学▽平和教育とマスメディア-の4部門
1977/3/29
スウェーデン地震研究所が「ソ連のセミパラチンスクでの強力な地下核実験を29日記録」と発表
1977/3/29
在米被爆者の検診に当たる広島医師団(団長、岡田泰二広島県医師会理事、3人)が出発。広島県医師会の大内五良会長「両国の友好と被爆者に対する米国内での認識を深めるきっかけになることを期待する」
1977/3/30
荒木広島市長がソ連核実験に対する抗議電報を在日ソ連大使館に打つ
1977/3/31
日本医師団(岡田泰二団長ら3人)による初の在米被爆者検診がロサンゼルスの日系病院で始まる。初日は5人が受診
1977/3/31
米国原爆被爆者協会顧問のトーマス・ノグチ氏が記者会見で「検診実現をテコに米政府に援護法制定を再び迫りたい」と語る
1977/3/31
原爆投下ショーを計画していた元米軍パイロット・グループのリチャード・ブルサード氏が「計画は中止」と語る。同氏は「だれが、なぜ中止したか知らない」
1977/3/31
ソ連核実験に抗議して広島被爆者団体連絡会議の被爆者ら120人が原爆慰霊碑前など3カ所で座り込む
1977/3/31
ブレジネフ・ソ連書記長、グロムイコ外相とバンス米国務長官の会談(28~30日)に関する共同コミュニケ発表。「第2次戦略兵器制限交渉(SALT2)に関する米ソ外相会談を5月にジュネーブで再開する」
1977/3/31
グロムイコ外相が外国人記者団にバンス米国務長官との会談内容を発表。「米案はソ連のミサイルを半減させ、自国だけ優位」と米を厳しく非難
1977/3/--
被爆直後の広島駅に救援に向かった広島鉄道教習所の教官、生徒の活動や駅周辺の状況を報告した公文書の原本が広島市東青崎2丁目の広島学園で見つかる
1977/3/--
広島大が新学期から核問題を中心にした「戦争と平和」講座を始める。1、2年生を対象に一般教養科目で、今堀誠二教授ら19人の講師陣が講義
1977/3/--
全電通広島被爆者協議会が県内の被爆二世を対象にした実態調査の結果をまとめる。三分の一が健康異常を訴え、三分の二が医療の無料化を要望
1977/3/--
1969年度から広島市の委託を受け原爆被災の全体像をつかむ調査を進めてきた原爆被災復元委員会(志水清会長)が3月末で解散へ
1977/3/--
元米軍パイロット・グループが「4月3日、ルイジアナ州ラファイエットの航空ショーで広島への原爆投下を再現」と表明。同グループは1976年秋にも原爆投下ショーをテキサス州で実施し非難を浴びる。荒木広島市長は「まことに遺憾」と談話

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