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ヒストリー

ヒロシマの記録1977 5月


1977/5/1
原水禁国民会議など主催の「核のない未来をつくるための会議」が閉幕。プルトニウムを生産する高速増殖炉と核燃料再処理施設の即時閉鎖宣言などを採択
1977/5/2
米会計検査院とニューヨーク州が、政府の放射性物質の運搬法に重大な欠陥があるとの報告書発表
1977/5/2
欧州共同体(EC)委員会スポークスマンが、欧州原子力共同体(ユーラトム)管理下のウラン200トンが1968年に行方不明になったとの米紙報道を確認
1977/5/2
広島市宇品西2丁目の広島「憩いの家」が開設20周年。祝う会に被爆者ら70人集う
1977/5/2
初の国際原子力会議「原子力発電と核燃料サイクルに関する国際会議」(ザルツブルク会議)がザルツブルクで開幕。国際原子力機関(IAEA)主催で、60カ国と23の国際原子力関連機関から2,000人が参加。12日間、米の新エネルギー政策を受けた各国の核利用計画など論議。日本から井上五郎原子力委員長代理ら80人が出席
1977/5/2
広島市の被爆者相談電話がスタート。初日は25件。手当や疾病の相談がほとんど
1977/5/3
修学旅行で広島市を訪れた岐阜県立羽島高校定時制の生徒が、原爆慰霊碑に平和への誓いをつづった原爆文集4冊を供える。広島平和文化センターに保存へ
1977/5/3
米会計検査院の非公開報告を米紙ワシントン・スターが報道。「核兵器の材料となりうる高濃縮ウランやプルトニウムなど特殊核物質が1955年から米の民間施設で1,800キロも行方不明になっている」
1977/5/4
広島市の姉妹都市ボルゴグラード市の親善使節団が広島原爆病院を慰問
1977/5/5
パキスタンの週刊誌アル・ファタが「パキスタンは1975年にも核実験をする予定だった。その年、同国の著名な核物理学者カーン氏がなぞの失跡をしてから計画は狂ったが、現在はいつでも行うことができる」と伝える。12日、パキスタン政府が否定
1977/5/5
「原爆の図」の丸木美術館(埼玉県東松山市)が開館10周年を迎える。入館者は延べ20万人
1977/5/6
鳩山威一郎外相とジャミソン・カナダ外相がロンドンで会談し、日本・カナダ原子力協定改定交渉の詰めを行い、まとまり次第ウラン鉱の積み出し再開で合意
1977/5/6
仏原子力庁のA・ジロー長官がザルツブルク会議で「核拡散防止上有効な新ウラン濃縮技術の開発に成功した」と発表
1977/5/7
総評と広島、長崎、静岡の被災3県原水禁が広島市で原水禁運動の統一問題を協議。(1)夏の世界大会までの組織統一は困難(2)世界大会の時期に「1日統一行動」をめざす-などの方針を確認 1977/5/7
第3回先進国首脳会議がロンドンで始まる。原子力平和利用を中心としたエネルギー問題など討議
1977/5/8
ロンドンの第3回先進国首脳会議が閉幕。「核兵器拡散の危険を回避しつつ、核エネルギーの平和利用を促進することにより、エネルギーの需要を満たす」などの共同宣言を採択
1977/5/9
日本山妙法寺が日本原水協、原水禁国民会議の両組織に「統一世界大会を開催し、その決議に基づいて新しい組織を年内に結成するよう」文書で申し入れ
1977/5/10
衆院社会労働委員会が政府提出の原爆特別措置法一部改正案を可決。5野党共同提出の被爆者援護法案は自民党の反対が強く、またも継続審議の見通しに
1977/5/11
第2次米ソ戦略兵器制限交渉(SALT2)がジュネーブで再開。攻撃用戦略核兵器の総数を米ソいずれも2,400基、そのうち複数目標弾頭(MIRV)を1,320基に制限する74年のウラジオストク合意を推進するとともに、戦略兵器運搬手段を全面的に削減する包括案を主張する米とウラジオストク合意だけを交渉の基礎とするソ連が、それぞれ基本方針を確認
1977/5/11
離島など医療不備の地区へ配転された長崎県の被爆教師が健康不安を訴えている実態が全国原爆被爆教師の会連絡会の調査で判明。長崎県教育委員会へ善処要請へ
1977/5/13
「原子力発電と核燃料サイクルに関する国際会議」(ザルツブルク会議)が核利用の混迷を浮き彫りにして終わる
1977/5/13
日本原水協が総評と日本山妙法寺に「統一世界大会の開催と原水禁運動の組織的統一に全力を尽くす」と文書で伝える
1977/5/14
日本原水協の国民平和大行進が東京を出発。8月1日に広島市入りの予定
1977/5/14
被爆女性らで作る「平和の遺産を残す会」(西土万合枝会長)が広島市で「世界の人々から被爆者に対する意見を聞く会」の初会合。在日米大使館アメリカンセンターのJ・リチャード・オーバータフ館長が「国連にヒロシマ賞を設けるよう働きかけよう」と提案
1977/5/14
「広島・長崎アピール」世話人の新村猛名古屋大名誉教授が、原水禁世界大会の統一開催のため、斡旋案を作ると表明
1977/5/16
広島県原水禁が「いかなる国の核にも反対」の運動原則を堅持して共同行動を進める「連絡会議」の設置を日本原水協(共産党系)に呼びかけ決定
1977/5/16
荒木広島市長、諸谷義武長崎市長がアメラシンゲ国連総会議長らに平和記念式典への招請状を送る
1977/5/16
デサイ・インド首相が記者会見で「核兵器はインドの国防に必要ない。平和利用の核爆発は秘密に行わず、結果は公表」と、核の平和目的と公開性を強調
1977/5/17
原水禁国民会議が広島市の全国委員会で(1)夏の原水禁世界大会も独自に開く(2)被爆者援護法の制定などに限って日本原水協(共産党系)と統一集会を開く-などの方針決める
1977/5/17
英紙デーリー・エクスプレスが「自家製の核爆弾製造に成功」と報道。「原爆テロの危険性を実証するため、米で公表された情報をもとに普通の実験室で、1カ月間で3キロの爆発力を持つ核爆弾を作り、すぐ解体した」
1977/5/17
臨時佐世保市議会が、地方自治法の直接請求権に基づいて提出された「むつ」受け入れ反対の条例制定議案を否決
1977/5/17
「日本原子力発電敦賀原子力発電所で制御棒駆動水戻りノズルにヒビが見つかった」と、通産省エネルギー庁が福井県に連絡
1977/5/18
長崎市立西町小学校の山崎虎雄校長が「ナガサキの原爆読本」を図書室から撤去。「公教育にふさわしくない」が理由。長崎県教組は反発
1977/5/19
米国務省筋が「カーター米大統領が仏、中国に核実験禁止を提唱したが、失敗した」と発表
1977/5/19
厚生省の出原援護局長が参院社労委で「救護活動中に被爆死した広島県立病院医師、看護婦を公務死と認定する。看護講習生については検討中」と答弁
1977/5/19
森滝市郎原水禁国民会議代表委員(社会党・総評系)と草野信男日本原水協理事長が東京の芝パークホテルでトップ会談。(1)8月の世界大会は統一大会を開く(2)国連軍縮特別総会に統一代表団を送る(3)年内をメドに国民的な統一組織を実現する(4)この目的を達成するために統一実行委員会を設置する(5)原水禁運動の原点に返り、核兵器絶対否定の道をともに歩むことを決意する-の5項目で合意。中野好夫、吉野源三郎氏ら「広島、長崎アピール」の学者・文化人5氏立ち会いで合意書を交わす
1977/5/20
ケースワーカー全国大会が広島市で始まる。21日まで。被爆者に対するケースワークなど討議
1977/5/20
広島県原水禁(社会党・総評系)が緊急常任理事会で、原水禁国民会議と日本原水協(共産党系)の統一合意(5・19合意)を大筋で了承。組織統一については「現組織の解体統一ではなく核禁会議(民社党・同盟系)なども参加する連合体をめざす」と解釈
1977/5/21
広島県被団協(森滝市郎理事長)が定期総会で、組織統一について「解体ではなく連合体をめざす」という広島県原水禁の方針支持を決める
1977/5/21
広島平和教育研究所が戦争体験記の募集など活動方針決める
1977/5/21
バンス米国務長官とグロムイコ・ソ連外相が共同声明を発表。「米ソ両国は第2次戦略兵器制限交渉(SALT2)協定締結を促進するため、共通の枠組みについて概括的な合意に達した。相違点は狭まった」
1977/5/22
福田首相が広島市を訪問。広島原爆病院を慰問した後、記者会見し「被爆者援護法の制定は横並びの問題に波及する。現行法強化で対処したい」と語る
1977/5/22
ニューヨーク・タイムズが原爆乙女・佐古美智子さんのドキュメントを掲載
1977/5/22
広島県原水協が理事会で、原水禁運動統一に関する「5・19合意」の支持を決議
1977/5/24
核禁会議が東京の全国代表者会議で、「原水禁運動の統一に同調しない」との方針を決める
1977/5/24
広島、長崎両県市と市議会で構成する広島・長崎原爆被爆者援護対策促進協議会(八者協)が、1978年度予算に要望する被爆者援護措置の陳情書をまとめる。被爆者年金、弔慰金の支給などが柱
1977/5/24
日本科学者会議が原水禁運動統一に関する「5・19合意」に全面的に協力すると声明
1977/5/25
国際非政府組織(NGO)の被爆国際シンポジウムを推進する広島準備委員会に原水禁団体各代表の参加決まる
1977/5/25
広島・長崎両市長らの国連訪問団(1976年11月)の報告書「国連訪問リポート」が刊行
1977/5/25
参院本会議が各種手当を引き上げる被爆者特別措置法の改正案を可決
1977/5/25
米がネバダ州の実験場でこの年3回目の地下核実験
1977/5/25
原水禁国民会議が全国委員会で、原水禁運動統一に関する「5・19合意」を了承。合意項目の中の「統一世界大会の開催」と「年内をメドに国民的統一の組織を実現」には日本原水協(共産党系)の間で詰める問題があるとして、広島、長崎、静岡の被災3県の代表を含む実務者レベルの連絡会議設置を原水協側に提案へ
1977/5/26
日本原水協が拡大常任理事会で、原水禁運動統一に関する「5・19合意」支持を全会一致で決議
1977/5/26
荒木広島市長が広島平和文化センター理事会で、「被爆国際シンポジウムは日本原水協と原水禁国民会議中心との色彩が強い」と同シンポジウムへの積極的関与は避ける意向を示す
1977/5/26
荒木広島市長が米核実験に抗議する電報を在日米大使館に打つ
1977/5/27
中国5県の原水禁、社会党県本部、県総評の代表が松江市でブロック合同会議を開き、原水禁運動統一に関する「5・19合意」を了承
1977/5/27
「米が戦術核兵器を撤去すれば、韓国は独自で核兵器開発する」。韓国外務省高官が言明
1977/5/27
コラムニストのジャック・アンダーソン、レズ・ホイッテン両氏が米紙ワシントン・ポストに寄稿。「1957年8月31日にネバダ州ロック砂漠で行われた米陸軍の核爆発演習に40人のカナダ兵が参加し、現在白血病によって生命の危機にさらされている」
1977/5/27
原水禁運動統一に関する「5・19合意」に基づく日本原水協(共産党系)と原水禁国民会議(社会党・総評系)の実務者が初会合。原水協が吉田嘉清副理事長、赤松宏一事務局長、石井森太郎事務局次長ら、原水禁は高桑純夫事務局長、池山重朗事務局次長、関口和総務部長ら
1977/5/28
大阪市原爆被害者の会が被爆者の相談例をまとめた「平和への遺産」を出版
1977/5/28
米核実験に抗議して広島被爆者団体連絡会議の被爆者らが広島市の原爆慰霊碑前で座り込み
1977/5/29
カーター米大統領が米誌ニューズ・リポートとの会見で、地上軍撤退に伴い韓国防衛に必要なら戦術核兵器の使用もありうると示唆
1977/5/30
広島市がアメラシンゲ国連総会議長の平和記念式典参列を発表
1977/5/30
「ソウル周辺に配備の核兵器に安全措置を」と米国防情報センター(ラロック所長)が提言
1977/5/--
在日本朝鮮人総連合会中央本部が日本国内に住む朝鮮人被爆者に対する援護策を政府に求めるため、実態調査に着手する準備を始める
1977/5/--
広島市平和記念公園のハトが増殖し過ぎたため、広島市は小屋の増築や産卵制限など対策を検討 1977/5/--
国際非政府組織(NGO)主催の被爆国際シンポジウムに提出する平和教育部門の報告書がまとまる。(1)核時代の平和教育(2)平和教育の歩みと現状(3)原爆教育の実践(4)原爆教育と児童文化-の4本柱

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