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ヒストリー

ヒロシマの記録1970 3月


1970/3/1
ビキニ被災16周年。静岡県焼津市の弘徳院で故久保山愛吉氏の墓前祭。日本宗教者平和協議会主催。各県被団協代表ら50人が参列。弘徳院近くの幼稚園で第五福竜丸保存運動高校生交流会
1970/3/1
原水禁国民会議が静岡県焼津市で3・1ビキニ集会。2日まで。250人が参加。広島市平和記念公園の原爆慰霊碑の碑文を守る決議を採択
1970/3/1
大阪フェスティバルホールで「交響曲炎の歌」発表。大阪労音20周年記念。作曲・外山雄三氏、作詞・土井大助氏(「原爆被災資料総目録・第2集」)
1970/3/1
1955年、治療のため渡米した原爆乙女の一人、田坂博子さんが米人の夫を伴い広島市に里帰り
1970/3/2
広島県被団協(田辺勝理事長)が厚生省に被爆二世対策を要請
1970/3/4
万国博政府出展懇談会の茅誠司座長が「原爆のタペストリーを張った政府館の『悲しみの塔』は抽象的過ぎる。ヒロシマを理解できるかどうか疑問」と批判
1970/3/5
核拡散防止条約が発効。ニクソン米大統領がワシントンでの核防条約批准書寄託式で演説。「出席者がいつの日かこの日を、世界の永続的平和につながる過程での最初の一里塚であったと振り返るだろう。次の里程標は米ソ戦略兵器制限交渉(SALT)の妥結である」
1970/3/6
米原子力駆逐艦トラクストンが佐世保港に入港。米原子力艦艇の日本寄港は35回目
1970/3/6
山田広島市長が3月市会で「被爆25周年の意義を踏まえ平和教育を一層充実させる」と表明
1970/3/7
広島市内の被爆二世の少女が急性リンパ性白血病で死去。8歳
1970/3/9
「原爆慰霊碑を正す会」(岩田幸雄代表)が山田広島市長と浅尾義光市議会議長に碑文抹消を請願。「1万人以上の賛同署名を集めた。さらに署名を増やす」
1970/3/10
シーマンズ米空軍長官が上院の秘密聴聞会で「複数目標弾頭(MIRV)ミニットマン3型を6月に配備する」と言明
1970/3/12
ソ連陸軍がポーランド国境に近い白ロシア共和国の平原で核戦争を想定し演習。ソ連共産党機関紙プラウダが報道
1970/3/13
被爆写真の展示で紛糾した万国博テーマ館の「矛盾の壁」が公開。政府の万国博推進対策会議の意見を取り入れ被爆遺体やケロイドの写真を撤去、タイトルも「人間をかえせ」から「人間性をとりもどせ」に変更
1970/3/13
「原爆慰霊碑の碑文を守る連絡会議」が結成。社会、共産両党系の団体、市民グループなど15団体が共闘。「碑文抹消運動は核アレルギーの解消、軍国主義復活をめざす策謀で許せない。碑文は絶対に守り抜く」
1970/3/14
長崎市議会が原水爆禁止長崎協議会が提出した原爆被爆者援護に関する請願を採択(「長崎年表」)
1970/3/16
広島県被爆教師の会が平和教育指導資料「ひろしまの平和教育」を出版(「反原爆のたたかい-広島原水爆禁止運動小史」)
1970/3/16
米原子力潜水艦スカルピンが横須賀港に入港
1970/3/17
文学座・俳優座の提携公演「冬の花-ヒロシマのこころ」が広島公演。作・小山祐士氏、演出・木村光一氏。初演は2月28日に徳山市で(「原爆被災資料総目録・第2集」)
1970/3/17
山田広島市長が「原爆慰霊碑の碑文を守る連絡会議」の要請に対し「個人としては碑文を変えるべきではない」と発言
1970/3/18
2月に米で初公開された原爆記録映画「広島・長崎-1945年8月」がTBS系ネットで全国放映。1967年に米から返還され文部省がカットした映画「広島・長崎における原爆の影響」の人体場面も復活。画面に出た佐々木忠孝さんらは25年前の惨状に改めて怒り
1970/3/19
レアード米国防長官が「ソ連はモスクワ周辺の弾道弾迎撃ミサイル(ABM)基地8つのうち4つ目が完成目前」と語る
1970/3/19
万国博地方自治体館の被爆写真撤去問題が衆院予算委員会で取り上げられる。社会党の西宮弘氏が「プロデューサー側の了解なしに撤去したのは重大な著作権問題」と政府を追及
1970/3/19
広島テレビが1969年度芸術祭優秀賞を受賞したドラマ「碑」の制作で収集した209人の証言を「碑・旧広島二中1年生の記録」として製本。広島市に寄贈
1970/3/24
ブルガリア共産党中央書記のスタンコ・トドロフ団長ら代表団12人が広島市を訪問。同団長「万国博視察で訪日したが、広島を訪れるのは義務だと考えてやってきた」
1970/3/24
第2回日米原子力委員会が東京で開く。共同コミュニケ「米政府原子力委員会は日本の原子力発電計画に必要な濃縮ウランを追加供給する必要な措置をとる」
1970/3/25
第3回原子力産業会議年次大会が東京で始まる。27日まで。500人が参加、核燃料問題を討議
1970/3/26
長崎市立原子爆弾被爆者健康管理所が落成式、4月1日開所(「長崎年表」)
1970/3/26
米政府原子力委員会が「26日、ネバダ州のメサ砂漠でTNT火薬100万トン相当の、これまで最大規模の地下核実験を行った」と発表
1970/3/27
広島、長崎ABCCプログラム検討委員会が1970年度の研究方針決める。年少者のがん発生について新たに調査研究
1970/3/29
広島県原水禁(社会党・総評系)が広島市で「3・1ビキニ被災記念シンポジウム」開く。原子力の平和利用や核拡散防止条約について討論
1970/3/29
中曽根康弘防衛庁長官が自衛隊の高級幹部会で訓示。「日本が核武装することは、国民の防衛に対するコンセンサスを失わせ、防衛の基盤を崩壊させる」
1970/3/29
広島市の基町地区再開発工事現場で被爆者のものとみられる遺骨が見つかる。31日までに10数体分に
1970/3/30
広島市の原爆被災復元委員会(志水清会長)が1970年度の事業計画決める。(1)新たに30カ町の復元調査の実施(2)調査、広報の両専門委員会を設け、関係者の協力を得る-など。復元調査を終えた堺町1、2丁目、石見屋町、京橋町については死没者の確認や生存者の消息など確認調査を実施へ
1970/3/30
恵の丘長崎原爆養護ホ-ム完成。4月1日開所(「長崎年表」)
1970/3/30
広島ABCCのダーリング所長が米政府原子力委員会から表彰。答辞「長期計画について日米両国政府の合意が早い時期に得られなければABCCの存続について難しい問題が起きるかもしれない」
1970/3/--
京都大原子炉実験所が海水からウランを回収する実験に成功
1970/3/--
万国博の地方自治体館の被爆写真撤去問題で、映画監督の岡本愛彦氏ら制作スタッフが宮内弥館長に展示復活を要求する抗議文出す

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