×

ヒストリー

ヒロシマの記録1968 12月


1968/12/5
原水禁国民会議と原水禁沖縄協議会が那覇港の魚や海底泥を採取し検査のため原潜寄港汚染問題調査特別委員会に送る
1968/12/6
日本学術会議の原爆被災資料小委員会が、被爆資料の収集、保存、活用についての基礎調査を文部省の科学研究費で実施するため研究グループ発足を計画。調査班長に社会科学関係は小川政亮社会事業大教授、自然科学関係は志水清広島大原医研所長に委託
1968/12/9
政府が佐世保港異常放射能で地元漁協に見舞金650万円の支出を決める
1968/12/10
広島で被爆した釜山市の厳粉連さんとソウル市の林福順さんが「原爆病院で治療を」と広島入り。8日、京都市での第二次大戦韓国犠牲者慰霊祭の韓国代表として来日。13日に原爆病院に入院
1968/12/10
国連総会第1委員会が全面核実験停止など軍縮3決議案を採択
1968/12/12
韓国人被爆者の厳粉連さんらが広島市役所に「一時渡航者にも被爆者健康手帳の交付を」と要望。市は厚生省に問い合わせ中と回答。後に「日本に永住せず旅券入国の場合、被爆者健康手帳の交付はできない」(厚生省)と却下
1968/12/14
原水爆禁止山口県民会議(北村謙祐理事長)が、初めて山口県内の原爆孤老15人を原爆被爆者福祉会館ゆだ苑に3日間招待
1968/12/16
日本被団協が東京で「完全な原爆被爆者援護法の実現」を要求する12月行動をスタート。17日も。約200人が参加。国家補償の精神に基づく援護法を求める
1968/12/17
原水禁国民会議が東京・三宅坂の社会党本部で「原爆被爆者援護法制定要求中央集会」
1968/12/18
佐世保港に5月の異常放射能事件から7カ月半ぶりに米原潜プランジャーが入港。日本寄港は通算24回目、佐世保14回目。抗議運動高まる
1968/12/19
米がネバダ核実験場で、過去最大の地下核実験。「広島型原爆の60倍」。新聞記者立ち会い、19キロ離れた地点でテレビ取材も
1968/12/19
広島市が被爆者養護ホームの運営方針を発表。運営は財団法人「広島原爆被爆者援護事業団」(仮称)で行い、県、市の共同事業
1968/12/19
広島テレビのドキュメンタリー「朝顔」(構成・松山善三氏)が芸術祭奨励賞を受賞。8月6日の広島の1日を映像と音楽で描く。同局は3年連続の奨励賞受賞
1968/12/20
原爆被災資料の収集、保存のため日本学術会議内に「原水爆資料基礎研究班」設置決める。代表に志水清広島大原医研所長。メンバーは26人を予定
1968/12/25
広島原爆病院に入院している韓国の厳粉連さんらが1カ月の在留延長を申請。法務省が28日、延長を認める
1968/12/26
重藤文夫広島原爆病院長が病床の被爆者を救ってと、献血を呼びかけ
1968/12/27
米政府原子力委員会が、中国の8度目の核実験を発表。「中国はウイグル自治区ロプノル地区で3メガトンの第8回大気圏内核実験を行った」。中国は28日夜の北京放送で伝える
1968/12/28
中国の核実験によるとみられる放射性物質が新潟市内で降った雨から観測される
1968/12/28
広島市が中国核実験に抗議電報「広島市・核実験抗議文書発信状況綴」
1968/12/30
原水禁国民会議が中国の核実験に抗議声明

年別アーカイブ