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ヒストリー

ヒロシマの記録1967 2月


1967/2/4
厚生省が「原子爆弾被爆者実態調査」(基本調査)の中間報告。全国の被爆者数(1965年11月1日現在)は27万7,955人。うち被爆者健康手帳取得者は82%。非被爆者に比べて男性の就業率が低く、逆に女性は高い。胎内被爆者は2,922人
1967/2/6
米国務省スポークスマンが言明。「米ソ間で交渉中の核拡散防止条約草案では平和目的のものでも核爆発は認められない」
1967/2/8
ブラント西ドイツ外相がジョンソン米大統領、ラスク国務長官、ハンフリー副大統領と会談。「平和目的の核爆発まで禁止している核拡散防止条約では非核保有国の利益は守れない」
1967/2/9
下田武三外務次官が核拡散防止条約について記者会見。「わが国としては非核保有国に平和利用目的の核爆発実験を認めることを強く希望する。核保有国の優越性だけが固定化されるならば、無条件で条約を支持するかどうか重大な決心をしなければならない」
1967/2/10
平和目的核実験の下田発言について、三木武夫外相は閣議で釈明。「平和利用を目的とする核実験の総合的判断はさらに検討を加え、閣議の意見を聞いて決めたい」。社会党と原水禁国民会議は「結局は核兵器を持とうとする危険なもの」と反対声明
1967/2/10
ブラント西ドイツ外相が「平和利用であっても自国で核爆発は行わない」と言明
1967/2/10
米原子力潜水艦シードラゴンが佐世保港に入港。米原潜の日本入港は1967年初で、通算14回目(佐世保12回、横須賀2回)
1967/2/13
米の平和運動家アール・レイノルズ氏ら7人がベトナム戦争に抗議するため、北ベトナムへヨットのフェニックスで医薬品を届ける反戦航海を計画
1967/2/13
浜井広島市長が東京で世界平和アピール7人委員会に原爆ドーム保存募金の協力要請
1967/2/13
井上敬次郎科学技術庁事務次官が事務次官会議で「原子力関係の政府見解を表明する場合は事前に連絡して欲しい」と要請
1967/2/14
中南米非核武装条約に14カ国がメキシコで調印。ボリビア、コロンビア、コスタリカなど。キューバは不参加。ブラジル、ジャマイカなど調印を保留
1967/2/17
核禁会議が1967年度の運動方針案決める。(1)第2回アジア核禁会議の開催(2)被爆者救援のための1円硬貨募金の展開-など
1967/2/18
アール・レイノルズ氏らを乗せたヨットのフェニックスが神奈川県三崎港を出港。広島に向かう
1967/2/18
広島県が1967年度予算案に被爆者対策費2,700万円を計上。独自の被爆者援護措置を始める。(1)検診交通費支給(2)広島原爆病院50床増(3)被爆者就職促進(4)被爆者健康手帳の交付促進(5)被爆者援護法制定促進-など
1967/2/20
米国務省が「核拡散防止条約は原子力平和利用の原子炉活動を阻害するものではない」と見解
1967/2/21
核拡散防止条約を討議するジュネーブ軍縮会議が17カ国の代表を集め始まる。ジョンソン米大統領がメッセージ。「平和利用目的の核爆発装置も精巧な兵器になりうる。禁じなければならない」
1967/2/21
広島市内の医師や宗教家が「ベトナム孤児救援広島委員会」結成。外科医の原田東岷氏ら20人。ベトナム戦争で傷ついた孤児を引き取る「土曜文学評論」主筆のノーマン・カズンズ氏らの活動に呼応
1967/2/23
米海軍横須賀基地周辺でスカルピンの横須賀入港に反対する社共両党、総評系主催の抗議集会。1,800人が参加。ジグザグデモで学生8人が逮捕
1967/2/23
米原子力潜水艦スカルピンが横須賀港に入港。3月6日出港。10日から佐世保に寄港のシードラゴンは出港
1967/2/24
ベトナム反戦航海のアール・レイノルズ氏らを乗せたヨットのフェニックスが広島港入り
1967/2/25
レバノンのアルハヤト紙(独立系)が「イスラエルは1966年後半ネゲブ砂漠で原爆装置を地下爆発させた」と伝える
1967/2/25
浜井広島市長が東京・数寄屋橋交差点で原爆ドーム保存募金。世界平和アピール7人委員会の茅誠司前東大学長、山高しげり全国地域婦人団体連絡協議会会長らも支援。27日まで3日間で43万円
1967/2/26
在欧の日本大使8人がジュネーブで会議。「核拡散防止条約は不平等」との指摘相次ぐ
1967/2/26
中国核実験(1~3回)のニュースフィルムをTBSが日中友好協会から入手、国外で初めて放送。ラジオ中国は27日特別番組を組む
1967/2/26
スウェーデンのウプサラ大地震研究所が「26日ソ連の地下核実験によると思われる地下振動を記録。震源はセミパラチンスク地域」と発表
1967/2/27
被爆死した長崎医大学生465人の遺族に1人当たり7万円の見舞金の支給が決まる(「長崎年表」)
1967/2/28
原水禁国民会議の「ビキニ被爆13周年全国集会」が静岡市で始まる。被爆22周年原水禁世界大会を8月1日から9日まで東京、広島、長崎で開くことを決める
1967/2/28
広島大原医研が定年退官の渡辺漸所長の後任に志水清広島大教授を選出
1967/2/28
広島の企業10社で作る「二葉会」が原爆ドーム保存募金に750万円。募金総額は1,600万円に。広島市は原爆ドーム補強予算案を3月市会に提案へ
1967/2/28
1967年度政府予算案の原爆被爆者対策費決まる。総額28億1,030万円で前年を17.5%上回る。(1)原爆症入院患者に支給する医療手当の引き上げ(2)原爆被爆者病理標本室の整備補助-が新規事業。通院交通手当と原爆死没者への葬祭料は見送り
1967/2/--
原爆小頭症の子供を持つ親の会「きのこ会」へ資金援助が相次ぐ。広島県婦協の呼び掛け実る
1967/2/--
ヨットで反戦航海を計画しているアール・レイノルズ氏に、北ベトナム赤十字が米軍の爆撃にさらされる危険があるとして出港中止を要請
1967/2/--
東宝の映画「千曲川絶唱」が広島上映。脚本・松山善三氏、監督・豊田四郎氏、出演・北大路欣也、星由里子、平幹二朗の各氏(「原爆被災資料総目録・第2集」)
1967/2/--
ATG配給の映画「河・その裏切りが重く」が広島上映。脚本・監督・森弘太氏、出演・灰地順、富田公子、佐藤慶の各氏(「原爆被災資料総目録・第2集」)

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