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ヒストリー

ヒロシマの記録1966 9月


1966/9/3
日本原水協が第12回原水禁世界大会の総括を発表。同大会国際予備会議でソ連系の世界民主青年連盟代表の参加をめぐり親中国派の海外代表16カ国が脱退した問題について、「思想や見解の違いをもって特定の組織を運動から排除しようとする独善的態度」と厳しく非難。原水禁国民会議と核禁会議の大会を「分裂集会」「反共大会」と決めつけ。17日の全国常任理事会で承認
1966/9/5
米原潜シードラゴンが入港中の横須賀市内の臨海公園で、社会、共産両党と横須賀地区労系の原潜寄港阻止3団体連絡協議会(林嘉十代表)が抗議集会、約4,000人が参加。抗議デモの反代々木系学生と警官がもみ合う
1966/9/5
米原子力潜水艦シードラゴンが横須賀港に入港。米原潜の日本寄港は通算12回目。横須賀は2回目、シードラゴンは1964年11月12日の佐世保寄港以来4回目。9日に出港
1966/9/6
米原潜シードラゴンの入港に反対し、横須賀港内で労組員、学生ら約60人が漁船12隻で海上デモ 1966/9/7
全米新聞協会のアジア視察団一行26人が浜井広島市長を訪ね、原爆被災や復興状況を聞く
1966/9/7
横須賀市内の臨海公園で原潜寄港阻止3団体連絡協議会が「ベトナム侵略反対、原潜寄港阻止横須賀大集会」。社会党の佐々木更三委員長、共産党の野坂参三議長はじめ約1万2,000人が参加。市中デモで反代々木系学生約700人と警官が衝突、警官242人が負傷、学生7人が逮捕
1966/9/8
政府が国際原子力機関(IAEA)の第10回総会(11日からウィーン)の政府代表に外務省顧問の朝海浩一郎氏を決定
1966/9/9
広島の被爆者、下江武介さん(広島県芦品郡協和村)が被爆体験を訴えるため渡英。英の核非武装運動(CND)の招きで、15日にはバロー市で行われた英初の原子力潜水艦の進水反対デモに参加
1966/9/10
広島市二葉山の平和塔の釈迦像(石こう)の頭部が壊される。12日から修復作業
1966/9/11
第16回パグウォッシュ会議がポーランドのソポトで20カ国70人の科学者が参加して開会。世界の安全保障、軍縮、ベトナム問題などを討議
1966/9/11
日本被団協(森滝市郎理事長)の代表理事会が、専門委員会(小川政亮日本社会事業大教授ら4人)のまとめた「原爆被害の特質と『被爆者援護法』の要求」第2次草案を討議(「ヒロシマ四十年・森滝日記の証言」)
1966/9/11
仏が南太平洋ムルロア環礁で原爆実験を実施。7月から同環礁で行われた一連の核実験の4回目。ドゴール仏大統領が40キロ離れた巡洋艦上から視察。10月5日、ブールジュ仏情報相が記者会見で、実験が中距離弾道ミサイルの弾頭用だったことを明らかにする
1966/9/12
原水禁国民会議と核禁会議の2団体が、仏核実験に対し実験即時停止を訴える抗議声明をそれぞれ発表。在日仏大使館に抗議文を手渡す。社会党と公明党がそれぞれ抗議声明と談話を発表。同盟も在日仏大使館に抗議
1966/9/12
国連宇宙空間平和利用委員会の法律小委員会が国連本部で再開。ジュネーブで開かれた会議(7月12~8月4日)に続き、宇宙条約の討議を続行
1966/9/12
外務省が南太平洋ムルロア環礁での仏核実験に対し抗議談話を発表
1966/9/13
原爆孤老の広島市仁保町、無職荒木チカさんに、佐賀県・久光製薬(中富正義社長)から胃腸薬、こう薬が届く。14年間続くプレゼント
1966/9/13
歌手のペギー葉山さんが広島原爆病院に患者運搬台1台贈る
1966/9/15
ドゴール仏大統領が閣議で言明。「仏は近い将来、水爆を持つ」
1966/9/15
国連宇宙空間平和利用委員会の法律小委員会が、宇宙条約草案の詰めで米ソ対立のため討議を打ち切る。国連総会には中間報告を提出へ
1966/9/15
原潜阻止全国実行委員会(社会党・総評系)が「原潜闘争の総括と今後の方針」を発表。原潜寄港が物資補給、乗員休養にとどまらず日本の基地恒常化へ変化していると分析。「核基地反対」闘争への転換を強調
1966/9/17
日本原水協が全国常任理事会で、10月と11月の2カ月間、1,000万円を目標にした被爆者救援募金を全国で展開する行動計画を決定
1966/9/17
西ドイツの平和団体「自由のための国際婦人連盟」事務局長シュハルト夫人ら5人が広島市を訪問。18日、原爆慰霊碑を参拝。21日までワールド・フレンドシップ・センターに滞在
1966/9/18
広島県労会議が第20回定期大会で原爆ドーム保存の特別決議。労組員を中心にカンパ活動を決める
1966/9/18
アイゼンハワー米元大統領がテレビ対談で、朝鮮戦争(1953年7月に休戦協定調印)を終わらせるため、当時、中国に対して核兵器を使用する用意を整えていたことを明かす。「核兵器の使用に関する立場については公表しなかったが、いくつかのルートを通じて明らかにしておいた。これは非常に効果があったと思う」
1966/9/19
中部電力の原子力発電所建設予定地である三重県芦浜地区で、衆院科学技術振興対策特別委員会の中曽根康弘氏ら4人の船上視察が、ピケで阻まれる
1966/9/20
ブラジル広島県人会(村上智会長)から広島原爆病院の入院患者にバスタオル115枚が届く
1966/9/21
国際原子力機関(IAEA)の第10回総会がウィーンで開幕。96カ国代表が参加。原子力発電の将来性、放射線事故の対策などが議題
1966/9/22
原水禁国民会議が静岡市で被爆21周年原水禁世界大会実行委員会を開き、大会を総括。日本原水協の混乱、核禁会議の反中国運動への転落などから、3団体の組織上の争いは終止符を打つことができた-と分析
1966/9/23
原水禁国民会議が全国委員会で組織強化のための役員増員と被爆者救援カンパ400万円の配分を決定。役員は現在の代表委員6人に新たな4人を加え10人。常任執行委員も2人加え19人を21人に。新代表委員は務台理作(哲学者)、藤井日達(日本山妙法寺貫主)、小林ヒロ(長崎市原水禁会長)、堀井利勝(総評議長)の各氏
1966/9/23
国連総会に出席した椎名悦三郎外相がソ連のグロムイコ外相と核拡散防止問題などを話し合う。椎名外相は「米ソが協力してほしい」と要請
1966/9/24
仏が南太平洋ムルロア環礁の南方40キロのファンガタウファ環礁で原爆実験を実施。一連の5回目。水爆開発の一過程の強化原爆と推定
1966/9/24
原爆死など広島県内の動員学徒慰霊塔の起工式が平和記念公園の原爆ドーム南側であり、遺族ら約30人が出席。広島県動員学徒犠牲者の会(石橋礒一会長)が建立を計画。20日に広島市平和記念施設運営協議会が「原爆ドームの景観を壊さないため高さ8メートル程度に(計画は12メートル)」と注文。同会が起工式だけして検討へ。市内全町内会を通じた寄付に「割り当て」の批判
1966/9/28
建設省と広島県、広島市が初めて同市基町地区の原爆スラムを合同視察。同地区の住宅建設促進同盟連合会(川本春三会長)の要請による視察。建設省住宅局の建築指導課長は地元の陳情に「原爆スラムに住宅地区改良法を適用は可能」と国の補助適用を示唆
1966/9/28
原対協の職業補導部の第12回修了式が原爆被爆者福祉センター(広島市国泰寺町1丁目)であり106人が巣立つ。1961年7月開設以来、計1,372人が修了
1966/9/30
スウェーデンのウプサラ大地震研究所が、ソ連セミパラチンスク地区のソ連地下核実験を探知
1966/9/--
広島県が生活困窮の被爆者と原爆スラムを対象に実態調査を決める。県では初の調査

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