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ヒストリー

ヒロシマの記録1963 3月


1963/3/1
中学生時代広島の被爆者と文通を続けてきた富山市の丘山ひろみさんが広島県安芸郡海田町の阿部静子さんと8年目に対面
1963/3/1
日本原水協の安井郁理事長が記者のインタビューに答える。分裂の原因「政党の干渉が最大の問題だ。政党が参加し、介入してはいけないというのではない。しかし、各政党が自己の綱領実現の場にしようとする主導権争いは絶対に許せない。共産党が『あらゆる国の核実験反対』に同調できないのは立場としてわかるが、それを日本原水協の場で認められるかどうか分かりきったことだ」
1963/3/1
社会党系13団体が独自にビキニ・デー記念集会。全国集会に予定していた焼津市立南小学校の講堂での開催を市教委から「分裂、抗争する団体には貸せない」と断られたため、静岡市の公会堂ホールで約400人が参加し「原水爆禁止集会」開く
1963/3/2
ABCCで2年間被爆者調査に当たったエール大のスチュアート・フィンチ博士が米で調査結果を発表。「原爆によって白血病の増加が目立ち、甲状腺がんも増えている。被爆者の子供が障害になる率は非被爆者の親の場合と変わらない。唯一の遺伝的影響は生まれる子供の男女比が変化すること。父親が被爆した場合、男子が生まれる率が高くなり、母親被爆の場合は女子の比率が高い」
1963/3/2
社会党、総評など13団体で構成する「原水禁連絡会議」が静岡市の県教育会館で全国代表者会議。佐野文一郎前日本原水協常務理事が、あらゆる国の核実験に反対の立場を貫き、1962年12月4日に広島で開いた原水禁国民大会の宣言や2月21日の日本原水協統一声明支持を強調
1963/3/2
核禁広島県民会議(門秀一議長)が代表者会議で「被爆者援護法の制定を要求せずに、現在の原爆医療法を改正する方向で運動を進める」で一致。特別被爆者の距離枠を撤廃、被爆者全員に特別被爆者と同じ扱いを要求
1963/3/3
宗教法人大本教の社会行動団体、人類愛善会(米川清吉理事長)が日本原水協の再団結を呼びかける声明を発表
1963/3/3
西尾末広民社党委員長が大阪で「米原潜の日本寄港は絶対反対。甘い考えでいると核装備を持ち込まれるなど取り返しのつかないことになる」
1963/3/3
日本平和委員会(平野義太郎会長)の呼びかけで横須賀、神戸、佐世保で米原潜寄港反対集会
1963/3/3
公演で広島市を訪れた中国国立北京曲技団が原爆慰霊碑に参拝
1963/3/4
郵政審議会が1962年度のお年玉年賀はがき寄付金配分額決める。広島原対協は1,685万円。レントゲン車、医療機材などの購入、被爆者福祉センターの暖房設備設置など
1963/3/6
社会党の成田知巳書記長、総評の岩井章事務局長らが総評会館で原水禁運動の再建について協議。(1)いかなる国の核実験にも反対(2)日本原水協の事務局改革(3)原水禁世界大会を日本大会とする-の3条件を確認
1963/3/6
衆院科学技術特別委員会で桧山義夫東大教授、服部学立教大助教授、西脇仁一東大教授が参考人として出席、原子力潜水艦の日本寄港の危険性を陳述
1963/3/7
日本原水協の安井郁氏が田鶴子夫人と記者会見。「初めごろの運動は素朴ではあるが、明るさに満ちていた。だからこそ運動は3,500万の署名にまで発展した。杉並時代の無私の精神は正しい形で生かされるべきだ。政党や団体は無私の態度で原水爆禁止という共同の目的に奉仕すべきだ。今後については問題を国民にお返ししたい」
1963/3/7
原水禁広島協議会が広島市で常任理事会。中央が分裂しても広島は思想の違いを乗り越えて団結を守ることを確認。8月に原水禁世界大会が開かれない場合は8月6日に原水禁大会を全国に呼びかけて開催するなど原水禁運動の中核となることを宣言
1963/3/8
アデナウアー西ドイツ首相とマーチャント米大統領特使がNATOの多角的核武装について共同コミュニケを発表。「米、西ドイツ両国は多角的水上核戦力が、NATOの団結と強化に役立つ点で意見が一致した」
1963/3/8
社会党が中央執行委員会で、原水禁運動の統一は総評など社会党系13団体で構成する原水禁連絡会議を中心に模索することを決定
1963/3/8
ライシャワー駐日米大使が内外記者会見で「米は日米安保条約に基づき艦船を日本に寄港させることができる。原潜もその一つだ。しかし、原子力に敏感な国民感情もよく知っているので日本政府に問い合わせている」
1963/3/10
核禁広島県民会議が、広島商工会議所ホールで「中共核武装阻止、核停協定促進県民集会」を開く。約100人が出席
1963/3/11
原潜寄港問題で日本学術会議が朝永振一郎会長名で政府に「慎重に臨み、安全性を十分検討し結果を公表するよう」勧告
1963/3/15
米物理学者のバンアレン博士が、前年夏の米超高空核実験の結果できた人工放射線帯に関し「バンアレン放射線帯が少なくとも10年間は汚染された。この長い汚染のため放射線帯の科学的問題解決の実験は相当期間絶望となろう」と発表。実験前の自説を翻す
1963/3/18
英と西ドイツの両国防相が会談。共同声明でNATOの多国家、多角的核武装の支持をうたう
1963/3/18
モロッコ政府が「仏がサハラ砂漠のオガールで核実験」と発表。仏政府は沈黙。19日、アルジェリア政府が「仏は18日、サハラ砂漠で地下核爆発実験をし、アルジェリアに通告してきた」と発表。ガーナ、チュニジアで抗議のデモや政府の抗議声明
1963/3/20
キッシンジャー前米大統領顧問が米誌でNATO多角的核武装戦略の変更を主張。「現在の多角的核兵力案よりは英、仏の核兵力を基調とする欧州案の方がずっと好ましい。英とともに仏を含まない欧州が安定だと考えることは困難だ」
1963/3/20
仏の核武装と核兵器の拡張に反対し、全面軍縮を主張する「フランス核武装反対同盟」が結成される。哲学者のジャン・ポール・サルトル、社会党のジュール・モック元首相らが呼びかけ
1963/3/20
ジュネーブ軍縮会議で仏核実験に非難集中。発言9カ国のうち米を除く8カ国が抗議
1963/3/20
アルジェリアのベンベラ首相が「アルジェリアで仏の核実験を2度と実施させないため、仏アルジェリア協定の軍事条項改定交渉開催を要求する」と言明
1963/3/21
政府が在仏大使館を通し、仏に口頭で核実験抗議
1963/3/22
ソ連が仏核実験非難声明
1963/3/23
カナダの週刊誌スター・ウィークリーが「もしカナダが核武装したら」のタイトルで特集。トロント市在住の被爆者岡本恵美子さんの体験記を掲載
1963/3/25
米原潜寄港問題で湯川秀樹京大教授ら9学者が「政府の態度は憂慮に耐えない。学術会議の勧告を支持する」との声明を発表。湯川博士のほか木村毅一京大教授、田島英三立教大教授、中川重雄同、野中到東大原子核研究所長、桧山義夫東大教授、伏見康治名大教授、三宅泰雄東京教育大教授、山崎文男理化学研究所主任研究員
1963/3/27
原子力科学者154人が東京・上野の日本学術会議で「米原潜の寄港に強く反対する」声明発表。「原潜の寄港は動力用原子炉を持ち込むのと同じである。原子炉の放射能危害は純然たる物理、生物学的現象で、これに対する配慮は軍事的あるいは政治的配慮で曲げてはならない」。武谷三男、豊田利幸立教大教授、坂田昌一名大教授ら
1963/3/28
米海軍省が太平洋に配置されるポラリス潜水艦の母港はハワイ・オアフ島の真珠湾と発表
1963/3/29
政府が月額2,000円の原爆症医療給付の所得制限緩和を決定。年額所得税額の現行ゼロを1,640円以下に。対象者1,500人増え、計3,500人に
1963/3/--
広島の被爆女性が核実験の全面禁止を訴えてローマ法王に直訴へ。広島女学院大勤務の森木葉子さん(広島県佐伯郡大野町)。米に本部がある「平和のための国際的婦人ストライキ運動」(WISP)の呼びかけで世界のキリスト教徒の婦人有志がヨハネ二十三世に面会し訴える
1963/3/--
原潜寄港で米政府から日本政府に回答。「日本寄港に際しては燃料の交換、各種機械の整備は日本の領海外で行い、原子炉の冷却水など危険な廃棄物は一切艦外に捨てない」など。寄港地には横須賀、佐世保を希望し最初は佐世保を予定
1963/3/--
米国防総省が国内3カ所にICBMタイタン2型54基を1964年中に配備へ。タイタン2型は24メガトンの核弾頭を運べるとも。3カ所の基地はアリゾナ州デビスモンタン、カンザス州マッコネル、アーカンソー州リトルロック。UPI通信が伝える

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