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ヒストリー

ヒロシマの記録1962 10月


1962/10/1
米シアトル市で開会中の「21世紀世界平和博」の会場で、「広島原爆写真展」が4日から開かれる-と同市の平和センター事務局長ジョン・クロー氏から浜井広島市長に電報。広島市が送った原爆被災写真などのパネル60枚と熱線を受けた瓶やかわらなど10点を展示
1962/10/2
米政府原子力委員会が「太平洋のジョンストン島周辺で2日、大気圏内核実験を行った」と発表。一連の太平洋米核実験の28回目。太平洋ではクリスマス島での実験が7月11日で終了、ジョンストン島では7月25日に超高空核実験が失敗して以来の再開
1962/10/2
米国務省が在米ソ連大使館に「3日予定している米有人宇宙飛行に危害が及ぶような核実験は控えてほしい」と要請
1962/10/3
原子力委員会が原子力事業専従員災害補償専門部会の新設を決める。これまで労働者災害補償制度で処理されてきた原子力災害補償について特別対策を検討へ
1962/10/3
日本原子力産業会議が米ニューヨークで開かれる「日米原子力会談」(12月5~7日)に井上五郎中部電力社長ら9人の派遣を決定
1962/10/7
ソ連がノバヤゼムリャ地区で15回目の空中核実験を行ったことが判明。規模は3メガトン。スウェーデンのウプサラ大地震研究所が探知
1962/10/10
原水爆禁止広島市協議会や広島市内の宗教団体など11団体が国際軍縮要求デー広島実行委員会を結成。会長に浜井市長を選ぶ。要求デーの11月1日に原水禁・全面軍縮デモを計画
1962/10/10
第17回国連総会の最重要課題である核実験停止問題についての討議が第1委員会で始まる
1962/10/12
広島市原爆被爆者協議会が常任理事会で、上部組織の全日本原爆被爆者協議会(任都栗司会長)の会則原案の「目的」に「原水禁運動」を入れないことを決定。「被爆者団体は医療保障や生活援護を目的とすべきで、原水禁運動を入れると偏向した団体から利用される恐れ」との理由。日本原水協メンバーの広島県被団協は批判的
1962/10/12
米政府原子力委員会が中部太平洋ジョンストン島上空で行われる今後の核実験に備え、「15日以降、同島周辺の実験区域を拡大する」と発表
1962/10/12
米政府原子力委員会が「12日、ネバダ実験場で低威力の地下核実験を行った」と発表。米実験再開後54回目
1962/10/14
米政府原子力委員会が「ソ連は14日朝、セミパラチンスク地区で核装置を爆発させた」と発表。同委員会が発表したソ連核実験の19回目
1962/10/14
広島大理学部放射能研究室が14日朝の広島地方の雨から1リットル当たり毎分1,903カウントの放射能を検出。半年ぶりに平常値の数倍。ソ連核実験の影響と推定
1962/10/15
米がジョンストン島水域で高空核実験を行ったが、失敗。核装置を打ち上げたソア・ロケットは発射後6分で破壊。米高空核実験は5度目で失敗は4回目
1962/10/15
広島からポーランド・アウシュビッツに向けた平和行進を続ける日本山妙法寺の佐藤行通氏から「各地で予想以上の歓迎を受けている」と浜井広島市長に手紙。2月6日に広島を出発後、東南アジアを行進中
1962/10/16
浜井広島市長が、被爆者救済に貢献したニューヨーク「土曜文学評論」主筆、ノーマン・カズンズ氏をノーベル平和賞候補に推薦を決める
1962/10/17
社会党、総評など13団体を中心に「原水爆禁止と平和のための全国大会」準備会が正式発足。共産党系の平和運動に反対する社会党系原水禁運動の推進母体。広島市での独自全国大会を計画 1962/10/17
タス通信が「ソ連は16、17の両日、宇宙飛行用の新型多段式運搬ロケットをソ連国内から中部太平洋水域に発射した」と発表。射程は1万2,000キロ
1962/10/17
英原子力公社が「ドーンレーにある世界最大の高速増殖型原子炉が発電を開始した」と発表
1962/10/18
広島県被団協が、社会党など13団体の開催する原水爆禁止の全国大会を支持し、積極参加を決定
1962/10/18
米政府原子力委員会が「ジョンストン島付近で数メガトン級の核装置を飛行機から投下、核爆発実験をした」と発表。4月25日の太平洋実験再開後30回目
1962/10/18
在韓米軍が核弾頭を発射できるナイキ・ハーキュリーズとホーク・ミサイルを韓国戦線に配置した-とソウルの合同通信が国連軍消息筋の情報として伝える
1962/10/18
米ミズーリ州のダビッド・ソントン牧師が広島をテーマにした音楽詩「平和シンフォニー」作曲のため、一家で広島市を訪問。半年間滞在し作曲へ
1962/10/19
ジュネーブ軍縮委員会に参加する中立30カ国が、国連総会第1委員会に核実験停止決議案を提出。来年1月1日までに一切の核実験を停止するよう要求
1962/10/19
米がジョンストン島実験場48キロの上空で低威力の核実験。故障の多いソア・ロケットのかわりに地対地ミサイルのサージャント改良ロケットを使用
1962/10/19
日本、カナダ、チリ、デンマーク、パキスタンの5カ国が国連に放射能調査の継続を求める決議案
1962/10/20
広島大理学部放射能研究室が20日夜の広島地方の雨から1リットル当たり毎分2,257カウントの強い放射能を検出。今春以来の最高
1962/10/21
米の原子物理学者ラルフ・ラップ博士が新著「キル・アンド・オーバーキル」の中で核爆発一歩手前の事故があったことを明かす。1961年、北カロライナ州上空でB52爆撃機がやむを得ず24メガトン爆弾を投下、6つの爆発安全装置のうち5つが外れていた、と述べる
1962/10/22
キューバでのソ連のミサイル基地建設に対し、ケネディ米大統領が全米テレビ、ラジオ放送を通じ、キューバの海上封鎖を含む7項目の措置を発表
1962/10/22
ストックホルム工科大測地学部が「22日、ソ連の核爆発実験を探知した」と発表。場所はノバヤゼムリャ実験場、規模は24メガトンと推定
1962/10/22
呉造船労組宮原地区家族会の550家族が原爆反対と世界平和を願って折った千羽づる1,100羽と募金5,150円を幹事会に持ち寄る。広島市を通じて被爆者へ
1962/10/23
ソ連政府が米のキューバ封鎖を非難する声明を発表。「米が侵略を企てるなら、強力な報復攻撃を行う用意がある」と警告
1962/10/23
ソ連のモスクワ放送がキューバ問題に関し「ソ連政府は侵略が行われない限り、1発の核爆弾も米を襲うことはないと確約する」と伝える
1962/10/23
ソ連タス通信社長ゴリュノフ氏を団長とするソ連ジャーナリスト代表団一行7人が広島市を訪問。原爆慰霊碑に参拝、原爆資料館を見学
1962/10/23
広島「折鶴の会」が広島を訪問中のソ連ジャーナリスト代表団に、モスクワで病床にある英デーリー・エクスプレス記者ウィルフレッド・バーチェット氏への手紙を託す。1945年9月、外国人記者として初めて広島の惨状を世界に伝えたことへのお礼の手紙
1962/10/24
米ギャラップ世論研究所の調査で、米国民の84%がケネディ大統領のキューバ封鎖決定を支持
1962/10/25
国連安保理事会がキューバ紛争に関し、米、ソ、キューバ3国の当事国交渉の全権をウ・タント事務総長に委任
1962/10/25
米当局筋が「ソ連の高空核実験(22日)のため新たな人工放射能帯が生じた」と述べる
1962/10/26
広島県被団協が広島県、広島市に被爆者援護について陳情。(1)原爆医療法の特別被爆者の取り扱いを全被爆者に拡大(2)原爆孤老に老人ホームを建設
1962/10/26
日本原水協の黒田秀俊常務理事が訪問中の広島市で語る。「社会党など13団体主催で広島で開く原水禁の国民大会は分派的挑発行動になるので反対だ」
1962/10/26
米が中部太平洋ジョンストン島上空でソア・ロケットによる高空核実験に成功
1962/10/27
フルシチョフ・ソ連首相がケネディ米大統領とウ・タント国連事務総長にあてたキューバ問題についての書簡をモスクワ放送が発表。「米がトルコからミサイルを撤去するなら、ソ連はキューバから攻撃的兵器を撤去」
1962/10/27
ケネディ米大統領がフルシチョフ・ソ連首相に書簡を送り、「キューバ危機解決のためのいかなる交渉も、キューバにあるソ連ミサイル基地を解体しない限り実現できない」との米政府の主張を重ねて表明
1962/10/27
キューバのカストロ首相がウ・タント国連事務総長の呼びかけに答え「もし米が海上封鎖を含むキューバへの脅威と侵略的行動を思いとどまるならば、キューバはミサイル基地の建設中止に同意する」と述べる
1962/10/27
世界平和アピール7人委員会が東京の学士会館でキューバ危機について協議し、平和的な問題解決に努力しているウ・タント国連事務総長に激励電報
1962/10/27
米政府原子力委員会が「27日、太平洋ジョンストン島付近で大気圏内核実験を行った」と発表。ネバダでも同日、地下核実験
1962/10/27
米政府原子力委員会が「ソ連は27日、ノバヤゼムリャ実験場で中規模の大気圏内核実験を行った」と発表
1962/10/27
日本放射線影響学会の第4回研究発表会が広島市の平和記念館で開会。29日まで。核実験による日本の汚染研究など発表
1962/10/28
キューバ問題でフルシチョフ・ソ連首相がケネディ米大統領に新書簡を送り、キューバのソ連基地解体撤去を命令した-とモスクワ放送が伝える。国連監視下での撤収を表明
1962/10/28
ケネディ米大統領がフルシチョフ・ソ連首相に返書を送り、キューバのソ連ミサイル基地撤去を「平和への重要な貢献」と歓迎。「国連を通じて必要な措置を取り、米が(キューバ)封鎖を解除できるようになることを期待する」と述べる
1962/10/28
ソ連への核実験抗議船エブリマン3号が、レニングラードでソ連当局の送還に反対して船を自ら沈めた-との電報が、米ニューヨークの非暴力委員会本部から船長アール・レイノルズ氏のバーバラ夫人(広島在住)に届く。フルシチョフ首相に核実験即時停止を訴える非常手段に24日、自沈
1962/10/29
原水禁広島協議会が核実験停止協定締結要求の街頭署名運動を広島市内4カ所で開始。国連総会に中立国が提出した来年1月1日までの無条件核実験停止協定の締結を支援する目的。署名は国連や米英ソ首脳に送付へ
1962/10/29
キューバのガルシア国連大使が国連総会第1委員会の核実験停止討議で「核停条約だけでは真の解決にならない」と海外基地の全廃を呼び掛け
1962/10/29
ブラジルが国連総会第1委員会に「ラテンアメリカを非核武装地域にする」決議案を提出
1962/10/30
中国5県の社会党県本部、県労、広島県被団協など36団体が、「原水禁国民大会」中国ブロック準備会を結成。国民大会は社会党、総評など13団体が日本原水協の体質改善を掲げて開く。広島県内では県地域婦人団体協議会、県青年連合会などが準備会を欠席
1962/10/30
米政府原子力委員会が1962会計年度の支出内訳を発表。核兵器開発・製造費は7億600万ドルで前年度より38%増
1962/10/31
広島市渉外課が10月まで1年間に外国から同市に寄せられた手紙の数を集計。26カ国から360通に上り、1961年の275通、60年の231通を上回る。半数が米からで、4割近くが原爆・平和に関する手紙

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