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ヒストリー

ヒロシマの記録1961 4月


1961/4/1
広島大医学部に原爆放射能医学研究所が発足。所長に渡辺漸教授が就任
1961/4/3
英の反核大行進がロンドンのトラファルガー広場に到着。バートランド・ラッセル博士やコリンズ司祭らを迎え数万の市民が野外大会開く。「西ドイツでもイースターに核兵器反対の行進が行われ、8,000人が参加した」とロイター通信が伝える
1961/4/5
原子力委員会が(1)3号炉(国産1号炉)の臨界試験を年度内に始める(2)スイミング・プール型原子炉の建設を進める-など、1961年度の原子力開発利用基本計画を決定
1961/4/5
日本原子力研究所の第2号研究用原子炉CP-5型炉の出力が設計値(1万キロワット)まで上がらないため、参院決算委員会が原研幹部らを参考人に呼び責任を追及。藤岡由夫前原子力委員は「当時、私はAMF社からの購入に反対だった」
1961/4/5
放射線医学の権威、日赤中央病院長の都築正男博士が肺がんのため死去。68歳。原田東岷広島市医師会長が談話。「未知の原爆障害の開拓に尽くされた恩人で、広島市民にとって忘れることのできない人」
1961/4/6
広島市の平和記念公園に日時計が完成。広島有花会(白井トモヨ副会長)が前会長の森戸岸子さんの1周忌の記念として贈る
1961/4/7
広島市が海外の平和愛好者や国内の篤志家から寄せられた寄付金を集計。1960年度は129件245万3,000円で、前年に比べ18件80万4,000円増加
1961/4/8
米ワシントン・スター紙が、「英は北大西洋条約機構(NATO)加盟の欧州諸国に核兵器を供与する計画を検討中」と報じる
1961/4/8
ケネディ米大統領とマクミラン英首相がホワイトハウスで首脳会談。共同声明で「西側安全保障の中核は北大西洋条約機構(NATO)であることを再確認した。ジュネーブの核実験停止会議の妥結に全力を尽くす」
1961/4/9
世界平和アピール7人委員会が例会を開き、(1)死去した下中弥三郎委員の後任は置かない(2)5月にオスロで開かれる核兵器拡大防止会議への賛同メッセージ送付-など決める
1961/4/10
広島市原爆被害者の会連合会が、広島市原爆被爆者協議会(略称・市被爆協)と名称を変更。市行政と切り離し自主的運営をするために、広島市長が務めていた会長に任都栗司広島市議が就任
1961/4/10
広島市平和記念公園の日時計が壊される。広島有花会が6日に贈ったばかり
1961/4/11
原水爆禁止長崎県協議会(長崎県原水協)設立。長崎県内各地の原水協、被災協8団体が参加。1958年に設立の動きがあってから4年ぶりに実現(「長崎年表」)
1961/4/12
ケネディ米大統領がアデナウアー西ドイツ首相と会談。「欧州諸国が望めば米は核兵器を供給する用意があり、アイク前政権の核武装計画を完全に放棄したのではない」と語る
1961/4/15
ノーベル賞受賞者のライナス・ポーリング博士がスタンフォード大の公開討論会で演説。「米は現在12万5,000個の原水爆を持っている。すぐ使用できる原水爆は6,000トンに達するが、これはソ連全土を焦土にするのに必要な量の16倍に当たる。ソ連の保有量はこの約半分だが、米国をメチャメチャにするには十分な量だ。恐怖の均衡を終わらせ、全世界を絶滅から救う道は完全軍縮以外にない」
1961/4/18
広島大名誉教授で被爆体験集「原爆の子」編者の長田新氏が心臓まひのため死去。75歳
1961/4/18
「百メートル道路を平和の森に」と新日本協議会が植樹。全国各地から樹木の寄贈を呼び掛け、桜、白樺など200本が集まり、1回目としてヒマラヤシーダーなど15本を植える
1961/4/19
広島「憩いの家」創設者で、仏在住の米作家アイラ・モリス夫妻が、エディタ夫人の原爆をテーマにした小説「ヒロシマの花」の映画化準備のため広島市を訪問。「広島の花」は8カ国語に翻訳され70万部発行
1961/4/20
広島市宇品町の日浦幸さんが、原爆で受けた外傷を治療するため東ドイツへ出発。自由ドイツ労働総同盟の招きで、前年に続き2人目
1961/4/21
広島市の平和記念公園にあるバラの盗難を防止するため、苗木に白ペンキを塗る。1960年10月に広島バラの会から贈られた1,000本のうち150本が盗難に
1961/4/24
仏がサハラ砂漠で原爆実験。28日外務省は駐仏大使を通じ抗議
1961/4/25
広島市に原爆被爆者福祉センターがオープン。お年玉つき年賀はがきの収益金をもとに内外からの支援金を合わせて5,700万円で建設。鉄筋4階建て延べ2,000平方メートル。被爆者の健康管理、職業補導、生活相談に当たる。県、市関係者、市議ら120人で落成式を行ったが、被爆者の代表は招かれず反発を買う
1961/4/28
米作家のアイラ・モリス夫妻が広島市内に住む生活に困った被爆者600世帯をヨーロッパ人家庭が支援する「精神家族縁組」を結ぶ運動を提唱
1961/4/29
世界平和アピール7人委員会が、5月2日からオスロで開かれる核兵器拡大防止科学者会議に寄せて、核実験の停止と国際軍縮を訴えるアピールを発表
1961/4/--
サハラ砂漠の核爆発実験に参加した仏軍兵士の急死に原爆症の疑惑。陸軍当局は解剖の結果から放射能とは無関係と否定するが、医学界を巻き込み社会問題化
1961/4/--
米原潜セオドア・ルーズベルトが母港入港の際、海上にイオン交換樹脂を投棄。艦体から放射能が検出され立ち入り禁止措置

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