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ヒストリー

ヒロシマの記録1961 10月


1961/10/1
アール・レイノルズ博士一行を乗せた核実験抗議船フェニックスに対し、ソ連ナホトカ港長から「政府の査証のないものは入国させない」と国際電報。フェニックスは2日、強風に流されて目的地とは反対の長崎県厳原港に入港
1961/10/2
米政府原子力委員会が「ソ連が北極圏のノバヤゼムリャで大気圏内の核爆発実験をした」と発表。9月1日に実験を再開して以来16回目
1961/10/3
アール・レイノルズ博士一家が寄港先の門司でしたためた「広島の友への公開状」が中国新聞社に届く。「航海は単なる核実験反対でなく、相互理解への訴えでもあります。抗議そのものは決して問題を解決しません。私たちは日本、ソ連、米の人々との間に了解を求めたい」
1961/10/3
気象庁は2、3日に各地で降った雨と空気中のチリから平常値の15倍から20倍の放射能を検出
1961/10/3
ソ連政府の招きによりモスクワの病院で治療を受けていた原爆乙女の永田尚子さん(長崎市家屋町)が3年3カ月ぶりに帰国
1961/10/3
欧米の平和行進の一行29人がモスクワの赤の広場で、軍縮と核実験禁止を要求してパレード
1961/10/4
スウェーデンのウプサラ大地震研究所が「ソ連は4日、ノバヤゼムリャのきわめて高空で核爆発実験をした」と発表。再開後17回目
1961/10/5
日ソ協会が9月4日に出した「ソ連の核実験はやむを得ない」との声明を取り消し「ソ連の核実験は遺憾」との声明を改めて発表
1961/10/6
仏原子力委員会筋が「ソ連は6日、核実験再開後最大の核実験を行った」と語る。気象庁は観測した微気圧振動から爆発の規模を10メガトンと推定
1961/10/7
チェコスロバキアのプラハで開かれた国際赤十字社連盟理事会が、日赤代表団の平和決議を採択
1961/10/7
ソ連核実験の抗議航海に出ているアール・レイノルズ博士を支援する「フェニックス会」が結成される。メアリー・マクミラン広島女学院大教授、桑原英昭広島県宗教連盟理事長、谷本清広島流川教会牧師ら30人が参加
1961/10/7
フルシチョフ・ソ連首相が核実験再開に関する日本原水協の公開質問状に回答。「西側諸国の『戦争瀬戸際政策』を防止するため実験再開に踏み切った。難局打開のため西側指導者と会談する用意がある」
1961/10/9
米政府原子力委員会が「ソ連は8日、ノバヤゼムリャ付近で再開後19回目の核爆発実験を行った」と発表
1961/10/9
アルベルト・シュバイツァー、フィリップ・ノエルベーカー氏らノーベル平和賞受賞者7人が世界の指導者に平和を訴える声明
1961/10/10
米政府原子力委員会が「米は10日、ネバダ実験場で小規模の地下核爆発実験をした」と発表。再開以来3回目
1961/10/11
ケネディ米大統領が記者会見で「米は大気圏内核実験の再開を目下検討中である」と語る
1961/10/12
岡崎勝男国連首席代表が国連総会第1委員会で「核実験停止問題を一般軍縮問題の『ことばの海』の中に沈められるようなことになれば核実験停止の効果的進展は達成できない」と発言
1961/10/12
米政府原子力委員会が「ソ連は12日、セミパラチンスク付近で核爆発実験を行った」と発表。再開後20回目
1961/10/13
ソ連のタス通信が、多段式ロケットの太平洋発射実験に成功したと報じる。今シリーズ5回目で、1万2,000キロ以上飛び目標近くの水面に命中
1961/10/16
日本とカナダが核実験再開に伴う大気圏放射能の増大による被害を防止するため、全世界を網羅した放射能測定体制の確立などを柱とする決議案を作成、国連総会第1委員会に25カ国共同決議案として提出
1961/10/16
広島市を訪問中のライシャワー駐日米大使が記者会見。「ABCC設立本来の目的はあくまで研究調査機関であり、治療のためではない。治療には全面的に協力するが、治療すると日本の厚生行政に介入するのではないかという遠慮がある。原爆の研究調査にひと役買うことも全世界の平和を推進するためである」
1961/10/17
米政府はソ連に50メガトンの水爆実験を中止するよう呼びかける声明を発表
1961/10/17
フルシチョフ・ソ連首相がソ連共産党第22回大会で「ソ連の核実験は今月末まで続けられ、50メガトンの水爆を爆発させて終了する」と言明
1961/10/17
仏在住の米作家アイラ・モリス夫妻から広島市長に手紙。「生活に困っている広島の被爆者のため、ヨーロッパ各地で募金活動を開始した。年末には送金」
1961/10/18
ソ連が予定している50メガトンの水爆実験について、国連総会第1委員会で非難相次ぐ
1961/10/19
成層圏の放射能調査をしていた岐阜実験航空隊が結果を発表。9月のソ連核実験再開以来、日を追って放射能が増え、12日には31.33マイクロキュリーの最高値を記録
1961/10/20
国連総会第1委員会が日本、カナダなど25カ国提出の大気圏放射能調査決議案を採択
1961/10/20
日本など6カ国がソ連の50メガトン水爆実験中止要請決議案を国連総会第1委員会に提出。その後、パキスタン、イランも共同提案国に
1961/10/20
山田久就駐ソ大使がクズネツォフ・ソ連第一外務次官に50メガトン核実験撤回の口上書を手渡す
1961/10/21
英の原水爆実験反対組織「百人委員会」のメンバー500人がロンドンのソ連大使館に50メガトン爆弾の実験中止を要請。デンマークでは反核団体の20人がソ連大使館前で抗議の座り込み
1961/10/21
日本平和委員会が舞鶴で「安保体制打倒、軍国主義復活阻止、日本平和大会」を開催。約1,000人が参加。「第7回原水爆禁止世界大会の決議実践のための独自行動で、基地反対闘争の起点に」(「平和運動20年運動史」)
1961/10/21
アール・レイノルズ博士一行を乗せた核実験抗議船フェニックスがソ連ナホトカ沖10マイルの地点に到着。入港を拒否され引き返す
1961/10/23
米政府原子力委員会発表。「ソ連は23日、ノバヤゼムリャ付近で2回の核爆発実験を行った。一つは大気圏内で30メガトン級」。英政府も「30メガトンの核爆発と推定され、大気圏内核爆発のうち最大規模」
1961/10/23
原水禁広島協議会が広島労働会館で核実験即時中止広島集会。ソ連の核実験の評価をめぐって紛糾。森滝市郎理事長が「良識のある結論を」と訴え、米ソ、日本の3国政府への要望書を採択
1961/10/24
核兵器禁止・平和建設国民会議(核禁会議)の代表がソ連大使館を訪れ、超大型核実験に抗議
1961/10/24
シーボーグ米政府原子力委員長が記者会見で「数週間内に大気圏核実験の準備を整える」と語る
1961/10/24
放射能調査各省連絡会議が、ソ連の超大型核実験による放射能の観測強化を決める
1961/10/25
政府は駐日ソ連大使に超大型核実験に抗議する口上書を伝達
1961/10/25
米政府原子力委員会が「ソ連は25日、ノバヤゼムリャ付近の大気圏内で核実験を行った」と発表。再開後24回目
1961/10/25
衆院が自民、社会、民社3党提出のソ連核実験に反対する核実験禁止決議案を可決。27日参院も
1961/10/26
政府が核実験抗議の口上書に対するフルシチョフ・ソ連首相の書簡(24日付)を発表。「北大西洋条約機構(NATO)諸国に対抗するため、やむなく決意」
1961/10/27
科学技術庁が核実験による放射性降下物に対する注意事項を発表。(1)放射能雨にぬれたら入浴などで洗い落とす(2)天水はろ過して飲用-など
1961/10/27
国連総会本会議は日本など8カ国が提案したソ連の50メガトン水爆実験中止要請決議案を可決
1961/10/27
北京放送が中国北部地方の住民に放射性降下物に注意するよう警告
1961/10/27
米政府原子力委員会が発表。「ソ連が再開後25回目の核実験をノバヤゼムリャ上空で行った」
1961/10/28
池田首相がフルシチョフ・ソ連首相の核実験に関する書簡に返書。「ソ連はやむを得ない防衛措置としているが、核実験再開の責任を他に転嫁するものであり、理由を問わず軍事目的のための核実験は停止すべき」
1961/10/29
茅誠司東大学長、湯川秀樹京大教授らで組織する世界平和アピール7人委員会が米ソ首脳にあて核実験即時停止を要望するアピールを発表
1961/10/29
ソ連の核実験再開に抗議してヨット、フェニックスでナホトカに向かったアール・レイノルズ博士一行が1カ月ぶりに博多港に帰港
1961/10/29
米政府原子力委員会が、ネバダ実験場で再開後4回目の地下核実験を行ったと発表
1961/10/30
スウェーデンのウプサラ大地震研究所が「ソ連は30日、超大型核爆弾実験を行った」と発表。英が爆発は50メガトンと確認。米政府原子力委員会は実験地を北極海のノバヤゼムリャ上空3,600メートルと発表
1961/10/31
池田首相がフルシチョフ・ソ連首相へ50メガトン級水爆実験に対する抗議電報を打電
1961/10/31
政府がソ連の超大型核実験に伴う放射性降下物の増大に対処するため、内閣に放射能対策本部設置
1961/10/31
核兵器禁止・平和建設国民会議(核禁会議)の2,000人がソ連大使館前で核実験抗議のデモ。日本原水協の安井郁理事長もソ連大使館を訪れ抗議
1961/10/31
岡崎勝男国連大使が国連総会第1委員会で演説。国連決議を無視して超大型の核実験を強行したソ連の行為を非難するとともに、米に対してはソ連に対抗した実験強化を思いとどまるよう呼びかける
1961/10/31
米政府原子力委員会が「ソ連は31日、ノバヤゼムリャ付近の大気圏内で2回核実験をした」と発表。9月1日の再開以来計28回
1961/10/31
マクミラン英首相が下院で「英はおどかしあるいは報復目的で核実験はやらない」と演説
1961/10/--
東京の女子高校生のグループが核実験禁止の願いを込めて折った1,000羽のハトを米ソ両首脳に送る
1961/10/--
陳毅中国外相がロイター通信総支配人との会談で「中国が原爆を保有すれば戦争の可能性はむしろ少なくなる」と言明
1961/10/--
茨城県東海村の日本原子力研究所の職員が、ストロンチウムなど「死の灰」元素が体外に排出される経過を調べる目的でストロンチウム85入りのコーヒーを飲んでいたことが明らかに
1961/10/--
広島大原爆放射能医学研究所の志水清教授と渡辺嶺男助教授が被爆者の肝疾患被病率を調査。非被爆者の3倍近い高率

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