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ヒストリー

ヒロシマの記録1959 6月


1959/6/1
広島市下流川町の画家玉田和正氏が原水爆禁止と世界平和を祈願するオートバイ日本1周に、原爆慰霊碑前から出発
1959/6/3
東京・千代田区の首相官邸前で広島市の僧侶小林葆生さんが「再軍備、安保条約」に反対し割腹自殺。小林さんは1952年3月にも広島市の大仏殿で自殺を図ったことがある
1959/6/3
スーステル仏原子力相が「米英ソ3国が核実験停止に同意した場合も、3国は依然、原水爆を保持することになる。したがって仏は核実験を実施する」と言明。英仏議員会議に出席した英議員が下院で報告
1959/6/5
英のコールダーホール型動力炉の買い入れを閣議が了解
1959/6/5
広島県内12市議会の正副議長会議が核武装反対を決議。「原爆の惨禍と打撃を史上最初に体験したわが国は、断じて核武装を行わないよう、国民の強い決意と政府の自重を強く要請してやまない」
1959/6/6
広島県被団協が、広島原爆病院の原爆死亡者の発表中止について、「被害者の実相が国民には分からなくなる。従来通り発表するよう要請する」と決定
1959/6/6
長崎大村空港で全日空のスチュワ-デスが、原爆病院の入院患者にスズラン200本を贈る(「長崎年表」)
1959/6/7
米海軍当局が「中距離弾道ミサイルのポラリスを装備する初の原子力潜水艦ジョージ・ワシントンが9日、進水予定」と発表
1959/6/7
英ロンドンでの大西洋会議(NATO加盟国の各界指導者で構成)で、クリーブラント米代表が日本の核武装などに関する報告書を提出。「日本は10年以内に核兵器を持つことになるかもしれない」
1959/6/8
原水禁広島協議会が、広島県に第5回原水禁世界大会の準備金50万円を補助申請
1959/6/8
中国5県市議会議長会が核戦争の惨禍を強く訴える決議を採択
1959/6/8
ジュネーブの核実験停止会議が再開
1959/6/8
ユーゴのチトー大統領が、フルシチョフ・ソ連首相の提案したバルカン核武装禁止地帯設置案を支持 1959/6/8
アフリカ・ガーナのエンクルマ首相から日本原水協にメッセージ。「もっと多くの人々が広島、長崎への原爆投下が悲劇であったことを認めるようになれば、再び『原爆を許すまじ』が諸国民の目標になるだろう」
1959/6/9
渡米治療の後、米に残りニューヨークのパーソンズ・デザイン学校で洋裁の勉強を続けていた原爆乙女、箕輪豊子さんが卒業
1959/6/10
第5回原水禁世界大会に参加する国民平和大行進が東京、新潟から広島に向けて出発。与論島(鹿児島県)からは16日出発
1959/6/11
原水爆禁止呉推進連盟の役員総会が、原水禁世界大会への対応について「政治的な動きはせず、原水爆禁止一本に運動を絞る」ことを決める
1959/6/11
フルシチョフ・ソ連首相がラトビアでの首相歓迎大会で「ソ連はスカンジナビア半島およびバルト海地域における核武装禁止地帯の設置を提案する」と演説
1959/6/13
原爆後遺症の総合的な研究を進める第1回原子爆弾後障害研究会が広島市の平和記念館で開会、14日まで。広島県、広島市、原対協の主催。広島、長崎や全国の医学関係者ら約300人が参加。国立予防衛生研究所からABCCに派遣の石田保広博士が「広島原子爆弾被爆者における悪性新生物患者の疫学的観察」を発表。「被爆者の悪性新生物の発生率は、受けた放射線量に比例して増加する。2キロ以遠の被爆者にはほとんど影響がない」
1959/6/15
広島市議会が、核武装に反対し第5回原水禁世界大会を支持する決議
1959/6/15
仏の作家アイラ・モリス氏から浜井広島市長に「広島をテーマにした小説『ヒロシマの花』を発刊する」と手紙。広島の資料を基に被爆者の実相を描く
1959/6/15
米政府原子力委員会と国防総省が、1958年7月31日と8月11日に太平洋ジョンストン島付近で行った数メガトン級水爆実験について、初めて詳細な公式報告を発表。(1)成層圏での水爆実験は米として初めて(2)爆心から64キロ地点で爆発を直視した動物の網膜が焼け、480キロ地点で視力障害になった
1959/6/15
広島市議会がハワイ・ホノルル市との姉妹都市縁組の受諾を決議(「広島市議会決議・意見書綴」) 1959/6/16
英ロンドンの国際社会主義者平和連盟代表委員会から浜井広島市長に「原爆被爆者援助委員会を作り、援助計画を立てている」と手紙。案では被爆者に対する住居、医療、教育などの補助金を予定
1959/6/17
日本原子力研究所労組がストに突入。茨城県東海村の東海研究所第1号原子炉の運転が中止
1959/6/18
社会党広島県本部が安保条約改定反対と原水禁世界大会について、国民運動県委員会を新設して県民運動の盛り上げを決定
1959/6/18
日本原水協が常任理事会で、25日を「核武装反対デー」とし、全国署名、募金活動を決定
1959/6/19
米政府原子力委員会の生物・医学部長ダナム博士がシカゴの核医学会で放射性降下物の人体影響について演説。「核兵器実験から生ずる放射性降下物のため、年平均500人が白血病、骨がんにかかり、あるいは遺伝上の悲劇に悩むことになるかもしれない」
1959/6/20
骨髄性白血病をおし、広島刑務所の篤志面接員として受刑者を励まし続けた広島市吉島羽衣町、村田まさきさんに法務大臣の感謝状伝達
1959/6/20
ソ連が国防新技術に関する中ソ協定を破棄。原爆見本と原爆生産技術資料提供の約束を撤回(「近代日本総合年表」)
1959/6/20
米政府原子力委員会がネバダ州ラスベガスの原爆実験場で原子力ロケット推進機関の初テストに成功したと発表
1959/6/21
広島「折鶴の会」が広島YMCAで結成1周年記念の集い
1959/6/22
米上下両院合同原子力委員会の放射能分科委員会が「水爆攻撃が米国に与える影響」に関する公聴会を開く。27日まで。ソ連の水爆攻撃に米が報復する「水爆戦争」を想定。米政府民間防衛動員局のシェーファー主任気象技師「米国内224の目標地域に総計1,453メガトン相当の水爆が爆発したとすれば、被災地域では1,180万戸が全壊同様、放射能害だけでも数百万人の死傷が予想される」。同局のキンドレン氏「爆風や火傷、放射能により4,890万人が死亡。さらに2,000万人が重傷を負うだろう」。しかし専門家筋は全体を通し、「水爆戦争で人類絶滅や文明破壊はない」と結論。8月30日、被害予想報告を上下両院合同原子力委員会が発表
1959/6/25
関西原子力懇談会(大阪府と160社で構成)が、業界から500万円の基金を集め「関西原子力平和利用PRセンター」を大阪商工会議所内に設置することを決定
1959/6/25
バグダッド人民裁判所所長のファデル・アバス・マハダウィ大佐が「イラク陸軍は核兵器を含む最も近代的な武器による再武装を完了した」と言明
1959/6/25
ソ連外務省がモスクワ駐在の米英仏など10カ国に、バルカンおよびアドリア海地域の核武装禁止提案についての政府声明を手渡す
1959/6/26
日本原水協が広島、長崎の原爆被災者調査の結果を発表。放射線障害や生活実態、原水禁運動への意識などを調べた初の総合調査で、いわば「原爆被爆者白書」。2月から石井金一郎広島女子短大助教授を団長に政治、物理、医学研究者が両市の被爆者431人を調査。(1)多量の放射線を受け、被爆者の半数以上が貧血、がん、肝臓障害を起こしている(2)原爆医療法に強い不満-などが判明
1959/6/26
広島、長崎県選出の国会議員らによる「原水爆被害者対策議員懇談会」が衆院議員会館で初会合を開き、正式発足。原爆被害者の福祉厚生を促進するため(1)被爆者が入退院できる生活保障(2)被害者、遺族への援護費支給-を超党派で進めることを申し合わせ
1959/6/27
原水禁世界大会を成功させるための呉市募金打ち合わせ会で、自治会、婦人会が協力し1戸10円募金を7月15日まで続けることを決定。目標額は52万円
1959/6/27
ゲイッケル英労働党党首が核兵器問題で警告。「既に世界の12カ国が各自の核兵器生産を開始する技術的、経済的能力を持っている。仏は近い将来、最初の核兵器実験を行う予定。中国も1962年までに核兵器を所有すると言っており、他の共産圏諸国もこれにならうだろう」
1959/6/27
米上院外交委員会が、国務省の政策に関する元外交官の意見をまとめた報告書を発表。「核兵器に頼りすぎている米の戦略には疑問」
1959/6/28
第7回世界青年学生平和友好祭(7月、ウィーン)に広島県代表として参加する青年3人が広島を出発。原爆慰霊碑前で壮行会。広島県労青年対策部長の佐々木一、広島県被団協青年部副部長の高橋昭博、全建設青婦部長の小林基雄の各氏。原爆の恐ろしさを訴えへ。「ヒロシマの土」をウィーン近郊マウント・ハウゼンの旧ナチス捕虜収容所に置くために持参。高橋氏は7月9日、東京で急性肝炎のため入院、友好祭には不参加
1959/6/28
英ロンドンで英平和委員会主催の大規模な平和デモ、2万人が行進。原水爆反対、英駐留米軍基地反対を決議
1959/6/29
原爆犠牲者のめい福と世界平和を祈る平和祈念像の制作を依頼された彫刻家柳原義達氏(東京・新制作協会)が広島入り。平和記念館で広島平和祈念像建設会(前田伊織代表)らと打ち合わせ。8月4日にも再訪、制作の構想を練る
1959/6/29
来日中のインド・シッキム王国のベマ・チョキ王女とレンチ・ナムギャル王子が原爆慰霊碑に参拝、広島原爆病院で患者を見舞う
1959/6/--
ギリシャにミサイル基地を設ける西側の動きに対し、フルシチョフ・ソ連首相がギリシャ隣国のアルバニアを訪れ、バルカンおよび地中海地域に核武装禁止地帯を設けるよう提案

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