×

ヒストリー

ヒロシマの記録1959 12月


1959/12/1
南極大陸の非軍事化と平和目的の科学研究を保障する南極条約が、日本はじめ米英ソなど12カ国によりワシントンで調印。南極でのあらゆる核爆発、放射性廃棄物の処理も禁止。世界で初めて半永久的な非核武装地帯が設置される
1959/12/1
西欧同盟の防衛軍備委員会が、パリで開会中の同盟総会に「統一欧州核戦略軍」創設を提唱する決議案を提出。同盟総会は3日、決議案を採択
1959/12/2
茨城県東海村に隣接する演習場、米軍水戸射撃場の使用条件について、日米合同委員会が新しい取り決めに協定。発電用原子炉の設置計画が進む東海村上空は米軍機が一切飛ばないことに。誤爆などの危険に対処
1959/12/5
原子力委員会は、日本原子力発電会社が茨城県東海村に設置する英コールダーホール改良型発電用原子炉について「設置許可が適当」との答申書を岸首相に提出
1959/12/7
自民党広島、長崎両県連代表が合同の被爆者援護対策協議会を広島で開会。両県連と自民党政調会社会部会でまとめた原爆医療法の一部改正案を了承。医療範囲の拡大、被爆者・遺族の生活保障の確立、被爆者医療総合研究機関の設置-の3項目を決議。改正案は(1)爆心地から2キロ以内の被爆者は、放射能に直接起因する疾病治療を全額国庫負担で指定医療機関で受け、間接的に起因する場合は治療費の半額を国庫、残りを社会保険で行う(2)放射能に直接起因する場合の治療には1人当たり月5,000円から1万円までの医療手当を支給-など
1959/12/8
広島赤十字病院で「日赤原爆殉職慰霊碑」の除幕式。日赤名誉副総裁の秩父宮妃ら約200人が参列。原爆で死亡した同病院関係の医師、看護婦ら146人の霊を祭る。11月6日に地鎮祭、工費100万円
1959/12/8
茨城県東海村の日本原子力研究所で、第1号湯沸かし型原子炉の放射能汚染事故が発生。炉室内が許容量の200~600倍以上の放射能で汚染、研究者2人が放射能を浴びる。原研内放射能事故は12件目
1959/12/8
前年6月からソ連・モスクワで治療を受けていた長崎の原爆乙女、永田尚子さんが退院-と日本向けモスクワ放送が伝える
1959/12/8
日本原水協の全国理事会の出席者が渡辺良夫厚相に「原爆被爆者援護法を今国会中に成立させてほしい」と陳情。厚相は「努力したい」
1959/12/8
自民党政策審議会が原爆医療法の一部改正案を次の通常国会に政府提案することを決定
1959/12/11
ノーベル平和賞を受賞した英労働党下院議員フィリップ・ノエルベーカー氏がオスロでの受賞記念講演で「核兵器競争を止めるには、全面的で完全な軍備撤廃以外にない」と強調
1959/12/14
原子力委員会の原子力災害補償専門部会が、原子力被害を受けた第三者に対する賠償支払いを目的とした「原子力損害賠償補償法案」の要綱をまとめ、同委員会に答申。(1)原子力損害は極めて特別の場合を除いて原子力事業者が無過失責任を負う(2)損害賠償措置は1規模当たり50億円の限度内の民間保険を中心とす(3)この損害賠償措置でカバーできない場合、国家が補償する-が骨子
1959/12/14
木野藤雄広島、住田政之助長崎両市議会議長が広島市役所で原爆医療法の改正運動について打ち合わせ会。「自民党政策審議会が決めた改正案を全面的に支持する」など運動促進を申し合わせ 1959/12/14
日本原子力発電会社が茨城県東海村に設置する英コールダーホール改良型発電用原子炉について、政府が原子炉等規制法に基づき原子炉設置を許可。通産省も電気事業法公益事業令により電気事業を許可。同社の原子力発電についての国内手続きが完了
1959/12/15
広島県議会が、被爆15周年の1960年に同県が原爆犠牲者追悼の大慰霊祭を行うよう求めた要望を決議(広島県議会会議録)
1959/12/15
日本原水協が年末年始の被爆者救援策として、生活困窮の被爆者らに医療費や激励金などの支給を決め、各都道府県原水協に申請受け付け開始を指示。救援資金は中国からの735万円、女優有馬稲子さんの40万円、在日本朝鮮人総連合会の10万円などこの1年間の寄付金を充てる
1959/12/16
インド政府が核兵器製造に関し声明を発表。「インドの政策には反するが、インド原子力庁は外国の力を借りずに原子力兵器を生産できる段階に達している。しかし現在、製造をやっていないし、製造する案もない」。ヒンドスタン・タイムズ紙も「バーバ原子力庁長官が『インドは独力で原爆と原子兵器を製造できる技術を持っている』と言明した」と伝える
1959/12/17
日本原水協の黒田秀俊事務局長が原水禁広島協議会の拡大理事会で、来年8月の第6回原水禁世界大会の広島開催を打診。(1)原水禁運動は被爆地広島と密接なつながりを持って発展(2)来年8月は被爆15周年-などが理由。同協議会は検討へ
1959/12/17
米民主党の前大統領候補アドレイ・スチブンソン氏が季刊外交評論誌「フォーリン・アフェアーズ」に外交政策に関する論文を寄稿。「日本と朝鮮を核武装禁止地帯、管理軍縮地域に含ませるべき」と見解
1959/12/19
米英ソ3国核実験停止会議が一時休会
1959/12/20
ノルウェー核研究所のランデルス所長が「政府の命令があれば、ノルウェーの科学者は適当期間内に原子爆弾を造ることができよう」と放送で言明
1959/12/21
広島女学院高校の生徒でつくる「ともしび会」が広島市内の原爆被災者36世帯に、米のキリスト教被爆者福祉センターの粉ミルク、メリケン粉などを贈る
1959/12/22
民間原子炉第1号の立教大原子力研究所が建設地の横須賀市武山の元米軍キャンプ跡で起工式
1959/12/22
日本原子力発電会社が茨城県東海村に建設する英コールダーホール改良型発電用原子炉の買い入れ契約に正式調印。英GE社から199億6,300万円で買い入れ
1959/12/25
広島市を中心とする学者、文化人ら531人が「日米安保条約の改定交渉と調印は、特に原爆被災者である広島県民の世界平和への悲願を日本自身の手で踏みにじる恐れがある」と調印反対の共同声明を発表。岸首相、各政党などに送付へ。佐久間澄広島大教授、詩人の米田栄作氏、医師の土谷厳郎氏ら「安保改定反対共同声明広島世話人会」が呼び掛け
1959/12/25
原爆医療法改正案に伴い厚生省が1960年度予算案に要求した2億9,250万円が大蔵省第1次査定で全額削除。広島、長崎両県選出の自民党国会議員団が渡辺良夫厚相に「復活要求」陳情
1959/12/28
広島原爆病院がこの年1~11月末の診療概況を発表。入院232人、退院189人。死亡は38人(死亡のみ12月28日現在)で、前年1年間の30人を上回る
1959/12/29
米政府が核実験自粛期間を今年末で終了させる方針を決定。「米は今後いつでも核実験を再開できる態勢に復する。ただし実験再開に当たっては事前に世界各国に知らせる」。米は前年10月31日から1年間、核実験を自発的に停止。その後、今年12月31日まで自粛期間を延長。これに対し、英外務省は「有意義な核実験停止会議が続いている間は、英政府は核実験を再開しない」と言明
1959/12/--
広島市が原爆医療法の治療認定を受けた被爆者の生活実態調査をまとめる。1958、59年度の医療認定者数1,566人のうち、生活の中心になる「世帯主」が535人(34.2%)、職業別では「無職」が1,104人(70.5%)を占め、治療と生活が両立しにくいことを裏付け。調査結果は原爆医療法の一部改正の資料として厚生省など提出へ
1959/12/--
訪米中の大阪市立大医学部の西脇安・助教授がセントジョン大学の学生討論会で「原爆当時に子供だった広島の人に甲状腺がんが発生」と報告。米ワシントン・ポストは4日、西脇助教授との会見を報道。米政府原子力委員会も同日、ABCCに関係報告の提出を依頼
1959/12/--
北海道大の牧野佐二郎教授らが生きた動物細胞に直接ストロンチウム90の放射能を照射し、細胞染色体の変化を16ミリフィルムに記録することに成功

年別アーカイブ