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ヒストリー

ヒロシマの記録1955 5月


1955/5/3
広島で被爆し1954年10月以来、東京・日赤中央病院に入院中だった原爆症患者の成城高校3年、千葉亮君が死去。18歳。生徒会が激励のための映画「無限の瞳」を作っていた
1955/5/5
原爆乙女25人が岩国空港から米空軍機で米へ出発。原田東岷医師、大内五良医師、谷本清牧師、聖路加病院の高橋万里子医師、マウント・サイナイ病院のヒッチグ博士らが付き添う
1955/5/6
原子力平和利用海外調査団(団長、藤岡由夫博士)が石橋湛山通産相に「米から提供申し入れのあった濃縮ウラニウムは、初歩的な実験用具として受け入れるのが望ましい」と報告
1955/5/6
広島市立浅野図書館で原水爆禁止世界大会準備世話人会。森滝市郎原水禁広島協議会事務局長ら集まり討議
1955/5/8
広島市三篠本町、岡村道信氏が原爆資料館の資料にと戦時中、同市にまかれた米の降伏勧告ビラ4種類を市に寄贈
1955/5/9
米原子力潜水艦の建造責任者ジョン・ホプキンス・ゼネラル・ダイナミックス社長が来日。日本での原子力利用を検討する原子力民間使節団長
1955/5/9
原爆乙女らニューヨーク近郊のミッチェル空軍基地に到着。ノーマン・カズンズ氏らが出迎え
1955/5/10
東京・参院議員会館で原水爆禁止世界大会日本準備委員会の第1回正式会合。100人出席。日程、資金など決定
1955/5/11
原爆乙女の渡米で反響。「原爆乙女の傷に衝撃を受けながら、原爆反対に踏み切れない複雑な米国民の心理」。共同特派員が伝える。ニューヨーク・タイムズ社説「米国民は今度の親切を自慢することはできない。この招待に時間と経費を使った個人に感謝の意を表すことはできる」。土曜文学評論「この計画はおそらく借金を少しでも返すようなものかも知れない」▽テレビ、ラジオは特別番組。ハリウッドからNBCテレビで全国中継された「人生物語」の主役に谷本清牧師。原爆投下機の乗組員ロバート・ルイス氏も出演。ルイス氏「自分はあのとき軍人としてなすべきことをしただけだが、一個の人間としてはなんと罪深いことをしたことか」▽日本映画「ひろしま」もニューヨークで上映へ
1955/5/11
原子力平和利用懇談会(代表世話人、正力松太郎)が東京・丸の内工業クラブに米原子力民間使節団の一行を招き懇談。米側は速やかな原子力発電実施を勧告
1955/5/12
渡辺広島市長の百メートル道路不要論をきっかけに、同道路めぐり中国新聞紙上で賛否の論議
1955/5/13
広島市平和記念資料館が完工
1955/5/18
ニューヨークのマウント・サイナイ病院長、アルフレッド・ローズ氏から、渡辺広島市長に「原爆乙女たちにできるだけの援助をしたい」と手紙
1955/5/18
ニューヨーク・バロネット劇場で上映中の映画「ひろしま」にニューヨークの各紙が評。ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン「全世界の人が残らずこの映画を見れば2度と戦争が起きることはないだろう。この映画にはぞっとして気分が悪くなるようなシーンが何度も出てくる。人を教育する映画で楽しませる映画ではない」。ニューヨーク・タイムズ「物語、演出、演技ともに欠点がいくつかある。この悪夢のような題材を扱う以上原爆がどんなに恐ろしいものか一見してわかるような図表がほしかった。これはその昔米国にもあった残虐映画を思い出させる」▽エレノア・ルーズベルト夫人「この映画は控えめにつくられているが効果的である。すべての観客に原爆戦争の恐怖を理解させる。平和増進に役立つだろう」
1955/5/19
政府の原子力利用準備調査会が米から濃縮ウランの受け入れを決定
1955/5/20
渡辺広島市長が米大使館を訪ね、モーガン参事官に原爆乙女の渡米治療などを感謝し、今後の原爆患者の救済を要望
1955/5/20
ビキニ被災の第五福竜丸乗組員22人全員が東大、国立東京第一病院を退院。約1年2カ月の入院生活
1955/5/21
広島県教育会館で被爆10周年記念・原水爆禁止世界大会広島準備会結成総会。準備会長に浜井信三前広島市長、事務局長に森滝市郎広島大教授
1955/5/21
米の核兵器権威筋が春の核実験について計15回をネバダで、1回は太平洋で実施と述べる。ネバダでは主として原子砲弾、爆弾の小型化、太平洋では対潜水艦原爆兵器を開発
1955/5/23
「ボンベイ・ミーティング」の著者で仏在住の米ペンクラブ理事アイラ・モリス、エディタ・モリス夫妻が広島市を訪れ原爆被害を取材
1955/5/24
広島県山県郡上殿小学校青少年赤十字団員が山ユリを持ち広島赤十字病院の原爆症患者を慰問。5回目
1955/5/25
原爆乙女に米国民の同情集まる。募金運動広がり、24日までに約4万4,000ドル
1955/5/26
ニューヨークのマウント・サイナイ病院での原爆乙女手術第1号に山本篤子さん、田坂博子さん
1955/5/28
年々薄れゆく原爆資料を永久に保存しようと広島で「原爆資料集成会」が発足。蜂谷道彦広島逓信病院長、堀川芳雄広島大教授、仁科伸彦広島地方気象台長ら50人が参加
1955/5/29
米エール大放射能物理学科のフランクリン・ハッチンソン助教授が「水爆実験の影響で米国内に1,800人以上の変異乳児が生まれている」
1955/5/30
東京・上野の日本学術会議で「放射線影響国際学術会議」。英、仏、ソ、中など9カ国の科学者参加。約2週間、東京、大阪、京都、広島、長崎の5カ所で原爆症や放射能汚染問題を研究討論
1955/5/30
広島市の平和記念館落成式。落成を記念し広島ゆかりの物故画家展。南薫造、靉光氏ら
1955/5/--
原爆障害に悩む広島、長崎の患者のために日本国民救援会(会長代理、大山柳子女史)が全国的な募金活動の展開決める
1955/5/--
詩人グループ「ぷれるうど詩話会」を中心に「広島の詩」を募集
1955/5/--
広島赤十字病院で原爆白内障の手術に成功。1949年以来2回目
1955/5/--
詩集「川よとはに美しく」(米田栄作氏著)をもとに広島刑務所厚生課長の吉田盈照氏が独唱、合唱付き管弦楽曲「交響詩三角州(デルタ)の歌」作曲。吉田氏は陸軍戸山学校軍楽隊から東京ムーラン・ルージュの楽長をつとめた後、刑務官に。8月6日、広島放送合唱団により演奏、放送へ
1955/5/--
原対協が4月末現在の治療状況などまとめる。合同診察会の受診者総数1,773人、各診療機関受診者828人の計2,601人。うち直ちに治療しなければならないのは1,173人。1954年1月の原対協発足以来の死亡者25人。再生不良性貧血9人、骨髄性白血病10人など
1955/5/--
吉川清氏、河本一郎氏ら「広島8・6友の会」つくる。「被爆者を原水禁世界大会に出席させるためにも、被爆者を集団として新たに組織しましょう」(「アンヘルの名とともに-河本一郎小伝」)

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