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ヒストリー

ヒロシマの記録1955 10月


1955/10/1
長崎原爆青年会結成(「長崎年表」)
1955/10/1
第8回新聞週間全国新聞大会が広島市で開催。新聞週間標語「新聞は世界平和の原子力」
1955/10/3
松江市で開いた全国民生委員児童委員大会で広島から提案した(1)原爆障害者治療費国庫負担(2)健康管理(3)障害年金優遇措置(4)調査研究治療機関の設置-を決議
1955/10/3
広島県教育会館で中国から贈られた原爆被害者慰問金の広島分290万円の贈呈式。安井郁日本原水協事務総長から森滝市郎原水禁広島協議会事務局長に贈呈
1955/10/3
長崎市で第7回原爆災害調査研究委員会。広島大医学部が大竹市の原爆被害調査を発表。「総体的に快方に向かう」
1955/10/7
東京・参院議員会館で第7回広島建設促進協議会。渡辺市長の提案で同協議会規約「平和記念都市建設の促進をはかる」を「産業都市建設の促進をはかる」に変更し、協議会の新発足決める
1955/10/8
政府が原子力利用準備調査会総合部会の基本計画小委員会を開き、天然ウラン・重水型の原子炉国産第1号を1958年度内に建設と決定
1955/10/9
広島子どもを守る会青年部(あゆみグループ)が発足(「広島県史・年表」)
1955/10/11
ノーマン・カズンズ氏から渡辺広島市長に原爆乙女の渡米治療の中間報告。「動かなかった関節が動くようになるなど乙女たちは喜びにあふれている」
1955/10/12
英も原子力潜水艦建造を計画。マウントバッテン軍令部長が言明
1955/10/14
ソ連、ポーランド訪問から帰国した山田節男参院議員がキランクィッキー・ポーランド大統領、モスクワ、ワルシャワなど両国12市長から託されたメッセージを広島市に渡す
1955/10/17
ABCCホームズ所長が新たに設置した日本側評議会(諮問機関)を発表。厚生省、国立予防衛生研究所、文部省、日本学術会議委員、広島大、長崎大の医学部長、広島県、長崎県医師会長らで構成
1955/10/19
ポーランド・クラコフ市青年団がステンレス製の納骨箱を広島市に贈呈。ワルシャワで開かれた世界青年学生平和友好祭に出席した全建労中四国地方本部宣伝部長本保幸雄、広島県青連副委員長斎木貞暁氏が持参
1955/10/21
原子力利用準備調査会が基本計画小委員会を開き、10年内の原子力発電の実用化を決定
1955/10/22
広島市が仏舎利塔の建設地に比治山公園を決め、建設省と折衝へ。世界平和広島仏舎利塔建設会の要望で同会は高さ10階、65.5メートルの仏舎利塔を計画。すでに二葉山山頂には日本山妙法寺系の仏舎利塔が仮設
1955/10/23
原爆被害者の会宇品支部が結成式。会員65人で原爆で夫を失った女性が多く半数は日雇い労働者として働く
1955/10/24
広島市内で蜂谷道彦広島逓信病院長の「ヒロシマ日記」出版記念会。米で2万4,000部売れ、英でも3,000部。オランダ、イタリア、ドイツ、スペイン、フランスでも出版へ
1955/10/25
広島市幟町中学1年、佐々木禎子さんが原爆症で死去。12歳。1954年秋、体の異常を訴え1955年2月21日から広島赤十字病院に入院中。亜急性リンパ性白血病の疑い。爆心地から1.6キロの楠木町の自宅で被爆。この年14人目の犠牲者〈死因は亜急性骨髄性白血病〉
1955/10/26
1954年に原爆症で亡くなった広島市矢賀町、岩本儀江さん(9歳)の1周忌追悼集会。「8・6友の会」の河本一郎氏が原爆の恐ろしさを訴えるためにと「原爆の子の像」建立を子供たちに呼びかける(「アンヘルの名とともに-河本一郎小伝」)
1955/10/27
世界的バレリーナのアレキサンドラ・ダニロワさん(ロシア生まれ、米に帰化)が広島へ
1955/10/29
駐日フランス大使のダニエル・レビ夫妻が広島へ
1955/10/31
名古屋で米極東空軍医学会。ABCCのウェイン・トラックス博士が発表。「広島、長崎市民の血液構造に重大な変化はない。白血病患者は少数で問題ない」
1955/10/31
米の世界的伝道者シャーウッド・エディ博士が広島へ。「この戦争の結論はノーモア・ヒロシマズであり、ノーモア・パールハーバーズ、ノーモア・モスクワズだ」
1955/10/--
広島市が原爆孤児奨学金制度を創設。高校35人、大学11人。高校生月2,000円、大学生同3,000円。9月にさかのぼって支給
1955/10/--
アイソトープを使う造船所作業員の間に放射能障害。全造船の調べでわかる
1955/10/--
広島原爆で片方の目を失った広島県賀茂郡西条町、賀茂美術協会の林万寿人さんが青銅製の平和花瓶で日展入選
1955/10/--
広島大理学部北門で原爆被災当時の血塗られたタイル張りの壁見つかる。原爆資料館へ寄贈へ
1955/10/--
原対協が1~9月の広島市内の原爆症死亡者を調査。明らかに原爆症と認められる死者12人、被爆者で原爆の影響があると思われる死者295人
1955/10/--
渡米治療中の原爆乙女中林智子さんから中国新聞に便り「夜学に通い英語を勉強している」

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