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ヒストリー

ヒロシマの記録1954 10月


1954/10/4
政府が放射能被害調査研究費として6,300万円を認める。広島、長崎両市の原爆被害対策費357万2,000円。ビキニ患者措置費167万9,000円
1954/10/4
前ABCC研究員アール・レイノルズ氏一家4人と元広島大ヨット部の日本人青年3人が乗り組んだヨット、フェニックスが広島港から世界一周航海に出発
1954/10/5
原水爆禁止署名運動全国協議会(事務局長、安井郁氏)の署名1,201万8,742人に
1954/10/5
現代詩人会編の「死の灰詩集」出版。121編を収録。宝文館発行(「奥付」)
1954/10/5
ビキニ事件の原爆症調査研究協議会臨床部会が久保山愛吉さんの内臓から放射能を検出と発表
1954/10/5
浜井広島市長、田川務長崎市長が衆院地方行政委員会に出席、「原爆障害者治療費全額国庫負担」「原爆被災者の健康力増加」「原爆者の研究治療機関設置」などを要望。塚田十一郎自治庁長官「国でなんらかの措置は取らなければならぬと感じている」
1954/10/6
今中次麿広島大教授、大原亨広島県労議長らが発起人となり広島市電通会館で「世界平和集会広島世話人会」発足。7日に500人参加し、世界平和集会広島推進大会(10・8)
1954/10/6
米平和団体「ピース・メーカーズ」連盟から広島YMCAへ久保山愛吉氏の死に哀悼の意の手紙(10・7)
1954/10/6
参院厚生委員会で初めてビキニ患者の医療問題を取り上げる。東大の三好和夫博士「放射能症の治療法はない。将来もないだろう」
1954/10/7
衆院地方行政委員会で浅香忠雄厚生政務次官が「今後、原爆症に対して研究しつつ治療するという体制を確立するよう努力する。治療費について特別立法の可能性を研究中である」
1954/10/8
国連本部が「広島市から89万8,013人の原水爆禁止要求署名届く」と発表。名簿は国連総会の取り扱い事項となり、国連本部では名簿の内容、発送者を公表せず(10・10夕)
1954/10/9
焼津市で久保山愛吉さんの漁民葬。葬儀委員長は斎藤寿夫静岡県知事
1954/10/12
米ニュージャージー州にあるヒロシマ・ピース・センターから、精神養子の便りが途絶えがちと広島市に苦情の手紙
1954/10/14
原水爆禁止署名運動全国協議会世話人会で、広島の藤居平一氏が「被爆10周年の1955年8月6日に原水爆禁止世界大会を日本で開くため、今から準備しましょう」と呼び掛ける(「原爆三十年」) 1954/10/14
ABCCが東京での原爆展のため出展した資料はすべて広島市に寄付と言明
1954/10/15
広島市戦災児育成所児童とイタリア人の間で初めての精神養子縁組
1954/10/15
厚生省内に原爆による調査、研究を一元化し併せて行政対策も検討する「原爆被害対策に関する調査研究連絡協議会」(原爆協議会)発足。協議会は総括、臨床、環境衛生、食品衛生、広島・長崎の5部会。会長塩田広重日本医大学長ら75人。山口正義公衆衛生局長「広島・長崎の原爆の被害対策として国立予研を中心に原爆症調査研究を進めてきたが、第五福竜丸事件を契機として放射能の影響は国民生活の広範囲におよび、さらに強力な機関の設置が必要とされるに至った」。広島・長崎部会長は小島三郎国立予研副所長
1954/10/18
広島市青年連合会(会長、横田工氏)、原爆障害者の生活保護と厚生援助を決議。国費による授産場の設置、生業資金貸し付けのための信用保証制度の確立など運動(10・20)
1954/10/22
青年法律家協会(青法協)が「ビキニ実験は信託統治国の義務違反であり危険水域設定は公海自由の原則に反している。従って日本国民は米国に損害賠償を請求できる」と声明
1954/10/23
岡崎勝男外相がワシントンで「ビキニ被災関係で日本が米に要求しているのは600万ドル」と言明(10・25夕)
1954/10/23
広島市矢賀町、岩本儀江さんが再生不良性貧血のため死去。9歳。1954年に入り13人目の犠牲
1954/10/26
原対協が原爆後遺症の死没者調査を開始。広島法務局保管の死亡診断書約10万の中から内科関係を抽出。1945、46年に目立つ「ガス中毒死」
1954/10/27
広島の俳句関係者が集まり、被爆10周年8月6日をめどに原爆句集「広島」の発刊決める
1954/10/30
広島市議会が永久平和都市であることを宣する世界連邦都市宣言を満場一致で決議。全国5番目(10・31)
1954/10/30
国連本部ハマーショルド事務総長代理A・コーディア氏から原水爆禁止署名運動広島県協議会の森滝市郎事務局長あてに「国連本部は広島の決議文と署名簿を確かに受理し、同封の手紙の内容は各国代表に十分に伝えた」(9月30日付)の正式文書
1954/10/--
広島市観光協会が基町原爆記念館(通称、原爆資料館=管理人、長岡省吾氏)の日曜開館を市に陳情。「観光客が最もよく訪れる原爆記念館が日曜休館では不親切」
1954/10/--
広島市教委が市内小、中、高校生の被爆実態調査発表。[小学校]7,039人被爆=外傷1,201人、過去に内部疾患362人、現在も同109人[中学校]5,148人被爆=外傷1,016人、過去に内部疾患223人、現在も同50人[高校生]1,727人被爆=外傷444人、過去に内部疾患92人、現在も同24人
1954/10/--
「広島市内の被爆樹を保護してほしい」と志方益三名古屋大農学部教授から広島大に手紙

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