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ヒストリー

ヒロシマの記録1953 5月


1953/5/5
「原子爆弾災害調査報告集」第1分冊、第2分冊(日本学術会議原子爆弾災害調査報告書刊行委員会編)が発刊。第1分冊は理工学、生物学、医学編、第2分冊は医学編(「奥付」)
1953/5/5
鉄道弘済会広島支部が広島市戦災児育成所の子供50人を宮島遊覧に招待、1日里親に
1953/5/5
映画「原爆下のアメリカ」広島上映を見た原爆孤児のナザレン教会副牧師・山沖千鶴さんが中国新聞に投書。「明らかに戦争刺激映画で、軍備拡大の意図を持つ。仮想の敵の保持する以上の莫大な原子兵器生産をアメリカ国民に迫る恐ろしい映画である」
1953/5/6
長崎の原爆乙女を歌った「平和の陰に」がビクター本社でレコードに吹き込み。長崎の郷土史家・島内八郎氏作詞、木野普見雄氏作曲、飯田信夫氏が編曲、歌手は藤代京子氏
1953/5/6
世界連邦広島協議会理事長の松岡政一氏が米国視察から広島に帰る。「滞米中、原子力の善用を訴えた」と中国新聞社で語る
1953/5/7
国連アジア極東経済委員会のバンコク駐在所長ハイヤス氏が広島市を訪問。8日、ABCCなどを視察。「悲しい経験をした広島市民に心から同情し、一致協力して復興に力添えしたい」
1953/5/7
新劇作家の大沢幹夫氏が「原爆の子」舞台公演企画の脚本を中国新聞社に持参。「広島市民の声を代表する批判を求めにきた」
1953/5/11
広島と米ニューメキシコ州サンタフェ市の児童画交換事業が米タイム誌(11日発行)に取り上げられ全米に報道
1953/5/11
日仏親善使節として来日した生物学者モレー博士が広島大学で「放射能の生物に与える影響について」と題して講演会
1953/5/11
広島の原爆乙女・松原美代子さんら2人が大阪市立医大病院に入院。13日に1回目の手術、20日に松原さんが2回目の手術
1953/5/13
広島大の1953年度科学研究交付金が決定。久保良敏助教授の「原子力、原子爆弾の社会心理学的影響」研究に3万円
1953/5/14
長崎原対協が発足。6月から原爆障害者の無料診療を始める(「長崎年表」)
1953/5/15
全国青年団協議会が原爆障害者更生資金募金を全国運動として展開することを決議。広島、長崎両原爆都市青年交歓会の決議を受ける
1953/5/17
広島女学院の原爆犠牲者の碑が牛田山山上に完成、除幕式。教職員20人、生徒310人の名前が慰霊碑中の原爆死没者名簿に記名(5・19、「夏雲・広島女学院原爆被災誌」)
1953/5/18
世界平和広島仏舎利塔建設会が総務委員会総会を開き、建設総予算を3億円と決定。国内外の募金に乗り出す
1953/5/18
新たな米精神養子33人が決まる。米ヒロシマ・ピース・センターのマービン・グリーン氏から浜井広島市長に書簡。精神養子の総数は416人に
1953/5/20
原爆孤児救済を掲げた古月舞踊団の「ノーモア・ヒロシマズ」京都公演(公楽会館)が主催者・国際芸能協会の契約不履行で上演できず、観客が騒ぎ警官出動。無料公演に
1953/5/20
婦人国際平和自由連盟派遣の国連オブザーバー、ウォルサー夫人が広島市を訪問。「原爆被害者はもっと声を大にして体験を世界人類に訴えるべき」
1953/5/21
日教組が製作する映画「ひろしま」の現地ロケが広島市の似島学園でクランクイン。26日には山田五十鈴さんらも広島入り
1953/5/22
善光寺管長の東伏見慈光師が参列し広島市中島町の供養塔前で原爆死没者、戦没者慰霊供養
1953/5/23
ウィーンで国際医師会議が開催、25日まで。草野信男氏が原爆症について説明(「ヒロシマの記録」)
1953/5/24
ABCCと同労組の退職金規定交渉が円満解決。労組がABCC側の最終案受け入れを決定、退職金は駐留軍要員並み
1953/5/25
米が世界最初の原子砲弾実験をネバダ州で実施。歩兵部隊が爆発後演習
1953/5/27
映画「ひろしま」の撮影で広島入りした山田五十鈴さんが演技の参考に鉄砲町の福井芳郎画伯を訪ね、被爆体験を聞く
1953/5/--
世界平和デー運動のアルフレッド・パーカー氏から「世界の飢餓を除くため8月6日に果樹を植えよう」との手紙が中国新聞社に届く
1953/5/--
米オークリッジで開かれた生物学研究会議でABCCのプラマー博士らが広島、長崎における調査研究結果を報告。「原爆の放射能は将来生まれる子供にまで影響を及ぼす可能性がある」
1953/5/--
広島逓信病院の蜂谷道彦院長が被爆体験や原爆投下時の治療状況などを記した「私の原爆日記」(「ヒロシマ日記」)が米で翻訳出版されることに。1945年8月6日~9月23日までの詳細な日記。「広島の原爆雑話」の表題で「逓信医学」(1950年11月~52年12月)に掲載
1953/5/--
日本人の手による精神養子運動を進める「広島子どもを守る会」に、地元広島から初めて前広島市議会議長秋田正之氏が申し込み
1953/5/--
広島大政経学部の堀川武夫講師の研究「平和の政治学」が米国政治学界に紹介されることに。前年8月、アメリカセミナー(広島大)で発表を聞いた米スタンフォード大ウォーカー教授が紹介を申し入れ

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