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ヒストリー

ヒロシマの記録1953 6月


1953/6/2
広島、長崎両市の原対協が広島市内で打ち合わせ会。原爆障害者治療費をNHKたすけあい運動など全国的募金で集めることを決定。5日、中央共同募金会とNHKに申請書を提出
1953/6/2
ABCCのテーラー所長が原対協の顧問に就任。「今後われわれが収集した種々の原爆記録やカラーフィルムをどしどし提供し、十二分に活用して治療促進を図りたい」
1953/6/2
長崎原爆乙女の会が結成される(「長崎年表」)
1953/6/5
広島市社会課が動員中の原爆死没者の弔慰金請求受け付けを開始。対象は建物疎開作業以外で死没の動員学徒、職場で死没の徴用工、女子挺身隊員。5月末現在の広島市内の弔慰金請求者数は地域義勇隊1,615人、職場義勇隊511人、動員学徒2,602人、女子挺身隊員6人の計4,734人
1953/6/5
彫刻家柳原義達氏が寄贈を申し出たラ・パンセ(婦人裸像)のブロンズ像が広島市平和大通りのアメリカ文化センター前の緑地帯に設置され除幕式
1953/6/5
映画「ひろしま」出演で来広の河原崎しづ江、加藤嘉さんら俳優4人が広島赤十字病院で入院患者を慰問
1953/6/6
日本学術会議連絡会議で広島市を訪問した評論家桑原武夫氏(京大教授)が原爆資料の陳列で発言。「西洋人に瓦や石の焼けたのを見せてもつまらん。なぜ当時の惨状を物語る記念写真を出さないか。このぐらいの施設を置くことは市民の義務だ」
1953/6/8
故ルーズベルト米大統領夫人のエレノア・ルーズベルトさんが広島市を訪問。「原爆を使う必要に迫られたということについて非常に残念に思った。戦争を一刻も早く終結させて破壊を打ち切りたいという願いの結果がこうなったものと思う。もしアメリカ軍が上陸した場合、日本の戦闘員はじめ非戦闘員の多くが傷つけられ、日本人自身がより強く苦しむという結果になったのではないか」。9日、広島県婦人会館で婦人有志と懇話会。「(原爆製造は)侵略のためでなく、平和のためということを言っておきたい」(6・9、6・10)
1953/6/8
阪大病院に治療入院していた広島の原爆乙女2人が4カ月ぶりに退院
1953/6/9
広島滞在中のルーズベルト大統領夫人に広島流川教会の谷本清牧師が要望。「精神養子が個人的契約に基づいている関係上、子供によって資金が偏っているから、是正勧告してもらいたい」
1953/6/10
世界平和建設運動を普及のためMRA国際代表兼日本駐在委員バーゼル・エントイッスル氏夫妻ら一行が広島市を訪問、原爆慰霊碑参拝
1953/6/15
映画「ひろしま」スタッフが広島市の翠町中の工作室を借り、特殊装置で原爆投下前後のシーン撮影を開始
1953/6/17
原対協が治療範囲を内科障害者にまで拡大することを決定。対象は爆心地から2キロ以内で、当時、白血球4,000以下、赤血球300万以下の貧血になった人など
1953/6/18
広島市社会課が原爆死没者、原爆障害者などの各調査資料を集計。原爆による死没者数(即死、直接死因)は推定20数万人。被爆当時、広島市内にいた推定42万人から県内外の被爆生存者数(1950年国勢調査の付帯調査)15万7,575人を引き、各種資料を参照して推定。なお原爆障害者数は4,038人、市外を含めると推定5,000~6,000人
1953/6/18
ルーズベルト大統領夫人の原爆投下発言について広島市段原新町の主婦が中国新聞夕刊に投書。「世界一の夫人と言われている人の談話だけに、私には了解できません。アメリカ人が『真珠湾を忘れるな』と言うように、私たちは『原爆を忘れるな』と声を大にして言わずにはおられないのです」 1953/6/19
米原爆スパイ事件のローゼンバーグ夫妻に死刑執行
1953/6/20
ルーズベルト大統領夫人の原爆製造発言について広島ナザレン教会副牧師の山沖千鶴さんが中国新聞夕刊に寄稿。「『原爆製造は平和のため』と極言されたのは実に意外に感じ、心から深い悲しみに襲われている。力と力の均衡が真の平和をもたらすでしょうか」
1953/6/21
ブラドレー米統合参謀本部議長が米上院外交委員会で「ソ連の軍事力は強化されつつあり、特に原子爆弾の貯蔵量は増加している。米攻撃の新空軍基地を粉砕する長距離原子爆撃機隊を建設する必要がある」と空軍強化を強調
1953/6/22
原爆障害者治療費の全国募金の実施が中央共同募金会の理事会で決定。600万円を目標に8月1~10日まで「NHKたすけあい旬間」の形で国民に呼びかけへ(「広島原爆医療史」)
1953/6/25
「原爆に生きて-原爆被害者の手記」(原爆被害者の手記編纂委員会編)が三一書房から発刊。原爆被害の証言と日本の政治、社会を告発する27人の手記を収録(「奥付」)
1953/6/27
世界連邦広島協議会が臨時総会。同協議会を世界連邦建設同盟広島支部に発展改組(「世界連邦運動・ヒロシマ二十五年史」)

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