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ヒストリー

ヒロシマの記録1950 4月


1950/4/6
広島平和擁護委員会世話人会が発足。大山郁夫氏を迎え広島市内で40人出席。常任委員に四竈一郎、佐久間澄氏ら4人
1950/4/6
前米太平洋潜水艦隊司令官ロックウッド中将が「ソ連は既に原子力潜水艦の建造に着手している」と警告
1950/4/6
名古屋で開かれた日本病理学会でABCCの神部誠一博士が「広島において剖検された胎児の先天性障害について」と題し発表。225例中14例に心臓異常
1950/4/7
ノーマン・カズンズ氏から浜井市長あてに精神養子の養親希望者が多いので孤児の資料をもっと送ってほしいと手紙
1950/4/12
米ハーバード大コーガン教授が政府原子力委員会に報告。「広島、長崎は危険状態を脱した。赤血球、白血球もOK。障害児の事実もない」
1950/4/13
社会党の元文相、森戸辰男氏が広島大学長就任を受諾。「広島大学は平和日本建設の中核にならなければならない」。19日発令
1950/4/14
広島市内の仏教会が原爆ドーム南側に大仏殿と供養塔建立を広島市に陳情
1950/4/14
広島市が鎌倉市へ「立ち上がる平和のシンボル」としてクスノキの苗木を送る。日本ペンクラブ「広島の会」が縁
1950/4/15
広島市で日本ペンクラブが主催し「広島の会」。川端康成会長らペンクラブ会員約80人が参加。川端氏ほか石川達三、真杉静江、阿部知二、原民喜氏ら18人が講師に。「世界平和擁護のためペンマンとして努力する」との平和宣言を発表
1950/4/18
ノーマン・カズンズ氏から精神養子への2回目送金1,500ドルが広島市に届く
1950/4/22
東京で「きけわだつみの声」の日本戦没学生記念会が正式発足
1950/4/22
新日本歌人協会広島支部を中心に「反戦詩歌人集団結成準備会」を広島市内で開く。深川宗俊、峠三吉氏らが中心(「ひろしま平和の歩み」)
1950/4/25
米海軍が議会で原子力潜水艦の建造を発表
1950/4/28
仏政府がジョリオ=キュリー博士を同国原子力委員長から解任。博士が共産主義者で西欧の安全を脅かす、が理由
1950/4/30
ビドー仏首相が「仏は原子爆弾を製造せず」と言明

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