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ヒストリー

ヒロシマの記録1949 9月


1949/9/6
広島市がトルーマン米大統領あての平和請願署名10万7,854人分を「土曜文学評論」のノーマン・カズンズ氏に発送。請願書は「原子力戦を経験したわれわれ広島市民は貴下が率先して戦争を防止し得るにたる強力な世界連邦組織を設立されることを嘆願する」。請願署名は10月14日、ニューヨークに着く(「広島原爆とアメリカ人」)
1949/9/7
ABCCの要請で眼科のコーガン、マーティン両博士が広島市へ。原爆が目に与えた影響を研究。10月末までに約1,200人を検査
1949/9/7
広島市議会が「集団行進および集団示威運動に関する条例」(広島市公安条例)を可決(「広島新史・年表」)
1949/9/9
広島市議会が平和都市建設促進決議を可決。関係先へ送付へ
1949/9/10
浜井広島市長が「原爆による死者の実数をつかむために近く総合的な調査をやりたい」
1949/9/10
「ノーモア・ヒロシマズ」の映画化を、米パラマウント、20世紀フォックス、モノグラフの3社が計画。米国から帰国の永田雅一大映社長が語る
1949/9/13
スイス・コーで開かれたMRA運動世界大会でヒロシマデー。山田節男参議院議員が出席。楠瀬常猪広島県知事名で同会議の広島開催を呼び掛ける
1949/9/17
ノーマン・カズンズ氏が「土曜文学評論」9月17日号に「被爆4年後のヒロシマ」。広島の戦災孤児に対し米国のボランティア家庭が資金面などで援助、写真の交換などを通しきずなを強めようとの精神養子運動を呼び掛ける。月々の養育費2.5ドル。1950年1月11日第1回分2,000ドル届く。1959年4月までに精神養子500人、金額2,000万円
1949/9/19
ABCC医学副所長グラント・テーラー博士が着任。かつて日本脳炎など研究
1949/9/23
トルーマン米大統領が「米政府は過去、数週間内にソ連領内で原子爆発が行われた証拠を持っている」と特別声明。ソ連は沈黙
1949/9/24
皇居前広場で戦後初のボーイスカウト大会。広島ボーイスカウトが「ノーモア・ヒロシマズ」の劇
1949/9/25
ソ連が原子爆弾保有を発表。「ソビエトは1947年以来原子爆弾の秘密を知っている。ソビエトは原子力兵器を所有しているが、原子兵器の禁止を支持する立場をとっており将来もこの立場を維持する意向を持っている。ソビエトは大規模な爆発を引き起こす数多くの計画を実施している。この爆発がソビエト国外で注意を引いたということもあり得ることである」
1949/9/26
建設省内に平和文化都市建設協議会を設置。委員長に建設大臣。10月3日に第1回協議会を開く
1949/9/27
広島ロータリークラブの発足を祝いホジソン国際ロータリークラブ会長夫妻が広島市を訪問
1949/9/27
原爆死没者らあらゆる戦争犠牲者を弔い広島戦災供養塔の本尊として、広島県山県郡の三段峡から仏像(広島大仏)が広島市舟入川口町の唯信寺に
1949/9/28
デバース米陸軍地上軍司令官が「原子爆弾の戦術的使用の可能性を検討すべき」と表明
1949/9/--
広島市基町の広島中央公民館内に原爆参考資料陳列室を開設。岩石、かわら、コンクリート、植物など6,700点。長岡省吾元広島文理科大地質鉱物学教室嘱託が資料収集
1949/9/--
浜井広島市長がトルーマン米大統領に送った8月6日の平和メッセージについて東京の米政治顧問事務局から「トルーマン大統領はメッセージに感謝の意を表明、広島の平和都市計画に関心を持っている」と市に連絡
1949/9/--
広島市救援のため、米ホノルルのウィルソン市長から浜井広島市長に招待状

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